日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

お化粧電車と「私んち?」

2008-04-22 11:53:40 | 添景・点々

4月に入ってダイヤ改正があったが、毎朝乗る電車の時刻はほとんど変わらない。この1年、多分同じ綾瀬行きの準急に僕は乗る。そして、代々木八幡で新宿行きの急行に乗り換える。この急行はあっという間に新宿に着くが、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車だ。でも僕が厚木から乗る小田急線の準急は、数駅間はがらがら電車で「お化粧電車」なのだ。

目の前にアイシャドウを塗っている若き女性が座っている。しまったと思ったがうっかり彼女の前に座ってしまったのだから仕方がない。図書館から借りた松井今朝子の「辰巳屋疑獄」をめくり、雑念を払った。
しかし若き女性はビューラーを取り出し、くるくるとまつげを巻き始め、そのうちマスカラを取り出した。ふと気がついたら口紅を塗り始めている。小説の主人公、丁稚元助があたふたしている。

やれやれと思って若き女性の隣の可愛い娘を見たら、おにぎりを食べ始めた。チラッと目をやったら睨みつけられた。思わず眼を伏せ元助に集中する。物語が少し進み、元助が丁稚から手代になった。松井今朝子のホンなのに、芝居の出てこないこの豪商疑獄物語は息もつかせぬ面白さだ。朝の通勤電車は、僕の読書室・私的空間でもある。

ふと眼を上げるとおにぎりを食べ終わった可愛い娘が、口紅をつけ始めた。隣のお化粧の終わった若き女性は、今度は携帯電話に夢中だ。
翌朝、目の前の40代と思しき女性がクリームを顔に塗り始めた。おやおや。丹念に塗り終わった後、別のビンを取り出した。重ね塗りだ。ふーん、女性は2度クリームを塗るのか?あれ、口紅も取り出した。
彼女たちは毎朝電車の中で、涙ぐましいい作業?をしている。なのに、美しくなったと思えないのも不思議だ。厚化粧とは言えないのでまあそんなものなのか。

建築学会の機関誌建築雑誌の今月号(2008・4)の特集は「拡張する 私んち」である。
この特集をまとめた杉浦久子昭和女子大教授が面白いことを述べている。
「電車の中で化粧に勤しむ人」は、「私の家」という概念からは、少しはみ出した「私の家的なるもの」、まあ、公共と私有の境界が曖昧化している一例で、それは、その家の主の私性がまちに表出する「私んち」?といえる新たな概念だというのだ。

特集では、漫画喫茶やネットCAFEなど様々な事例を挙げながら、今の時代の公共性を論考している。編集長五十嵐太郎さんなどの世代の問題意識ともいえるだろう。今の社会状況を建築サイドから捉えるのに、なかなか興味深い視点だ。

杉浦教授の、特集の取りまとめのタイトルは、「新しい公共性/私性の萌芽」だ。
特集のテーマを、漫画喫茶を調査体験した北川啓介名古屋工業大学准教授と話し合う中で、「公共空間は皆のものである」という感覚は共通しているように思えた、と杉浦教授は書く。
僕にとっての非日常性が、若い世代のなかで日常性に同化していく「私性」。
「電車の中で化粧に勤しむ人」の、彼氏の顔を見たいとか、親や子供の顔を見たいなどとは思わない。ただ漠とした不安を感じるのだ。