日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

07年北海道の旅(1) 刺激を受けた若者の提案

2008-02-11 22:59:42 | 建築・風景

『この数年、私は札幌建築デザイン専門学校の教師に招かれて、設計課題の講評を行っている。今年(2007/11/22)の3年生の課題は、学生各自にDOCOMOMO選定建築を選ばせた保存再生提案だ。
資料を図書館やインターネットなど様々なルートによって収集し、図面を描き起し、3D(コンピューターグラフィック)で表現してプレゼンテーションする。
DOCOMOMOに選定された建築は完成度が高く、手を入れるのはなかなか難しい。実地見学もできず、資料によって状況判断しての提案になるが、講師の私が思わずうなるような、刺激的な提案もあった。

例えば、大高正人さんの代表作「坂出市人工都市」。大きな模型まで造り、空に開かれた(大天窓)ボックス住居を構築して路地構成をする。新鮮だ。
「土浦邸」は託児所。前庭を地階にして庭に配慮して光を取り込む。実現できそうだ。これも模型まで造ってのめりこんだ学生のパワーに圧倒された。
難しい課題で皆難儀していたが、学生とのやり取りで、建築の面白さが互いに実感できた』

この一文は、僕の書いた1月に発行されたDOCOMOMO Japan会報からの再録である。
昨年の11月の北海道の旅は、毛綱毅嚝の建築と厚岸(あっけし)の北大臨海試験場を観るために釧路に行き、毛綱毅嚝の処女作「反住器」を訪ねて、毅嚝の母はるさんに、DOCOMOMO選定プレートをお渡しするのも目的だった。
でも本来の目的は、札幌建築デザイン専門学校の2年生と3年生の設計課題の講評をし、学生たちと建築談義をすることにある。学生は緊張するようだが、冒頭に書いたように、僕のほうも刺激を受けるのが楽しみなのだ。

3年生の提案には、坂出市人工都市や土浦邸だけではなく、「通り抜ける家」と題したHさんの、清家清の設計した「森博士の家」の改修提案も魅力的だ。
居間の北側の窓を床までに大きくし、裏の庭を楽しむ。僕の講評は、日本の社寺には北に庭をつくり、刈り込まれた庭木の葉の表を楽しむ工夫をすることがある。この提案はやってみたい。この住宅の魅力が大きくなりそうだ、というものだった。学生を指導しているMOROさんに電話をしたときに、清家さんのより、こっちのほうが楽しそうだね!と言ったりした。

「出雲大社庁の舎」のI君の提案は、参道の中心に移設し、下を掘ってスロープで通り抜けるようにして神が内在するこの舎を仰ぎ見て本殿に向かうというものだ。僕にはこういう発想が出てこない。ただの思いつきではないところがいい。建築に敬意を払っている。

挙げていくと限(きり)がないが、「白の家」の地下に、反転した「黒の部屋」を作るD・I君。やってみてどうだ!と言ってみたいではないか。K君の「上小沢邸」の水庭。N・Iさんの「長沢浄水場」提案は、完成度が高い。
この学校の素晴らしいところは、講評の終わった後に、レポートを提出させることだ。

菊竹さんの「スカイハウス」は、菊竹さんの考えた下に子供部屋をぶら下げるのではなく、上に部屋を積み重ねる、僕には思い浮かばない提案だったが、レポートでこの住宅を選んだI君はこう書く。僕との審議応答も踏まえ「自分の提案は安易であると痛感した」この提案は失敗したが「新たに提案したいのは中庭である」と前を向く。

講評したものの気になっていたのは、思わず「それをやると「聴竹居」ではなくなっちゃうよ」と言ってしまった一言だ。あの繊細なディテールの一つでも亡くすと、さてどうなるか。Y君は、保育所にしたいと提案した。このことを、管理をサポートしている竹中工務店の友人松隈章さんに伝えると,なるほどそういう見方もあるかとふと考えこんだ。この建築は借りていた人が退去し、手を入れて公開していくことを検討しているからだ。
ちなみに「INAX REPORT」(INAXが発行している冊子)の今月号(No173)は、聴竹居を設計した藤井厚ニの特集。松隈章さんの論文も興味深いが、「聴竹居」とともに、知られていない「村山龍平邸」などが、相原功氏の見事な写真で紹介されているのも見逃せない。この号には内藤廣さんが林昌二さんにインタビューしている記事も必読だと思う。

Y君は書く。「今後、聴竹居の保存がどの方向に進むかわからないが、聴竹居に盛り込まれている考え方や技術が、現在の建築に活かされて欲しいと思う」。Y君がこの春社会に出て、きっと彼のこのメッセージを自分自身で受け止めて仕事をしてくれるだろう。そうあって欲しい。

学生の発表には、書いてきたように新鮮な魅力に充ちてはいたが、技術の裏付には乏しく思いつきに留まってしまったものも多い。仕方がないことではあるが、先人の軌跡を紐解くことによって彼らが得たものは多いようだと思った。それは発表時にも感じたし、レーポートを読んで確信した。

今回の課題は、決して絵空事ではなく、生身の建築の保存問題に直結していることだと、学生とともに僕自身も改めて受け止めている。

<写真 講評の後学生に囲まれて(MORO先生の許可を得たので掲載する)>