次のような江戸時代の笑い話がある。
親父減らず口
さる所に親父あつて、
隙々(すきずき)には書物を楽しまれけるが、
ある時、本読み本読み居眠られしかば、
子供、親父を起こし、
「眠るにも眼鏡(めがね)が要りますか」
と言へば、親父もぬからぬ顔して、
「俺は眠るにもうつかりとは居眠らぬ」
「なぜにえ」
「夢を見るわな」
『軽口若夷』(寛保2年 1742年)
「眼鏡を掛けたまま、居眠りをしているよ」
という息子の言葉に対し、
「おっと、つい、うっかり…」
と素直に応じていれば、
「お父さんは向学心が旺盛で…」
「そんな大層なことではないよ」
「本当、読書に精が出ますよね。感心させられます」
「気の向くまま、読みたい本を読んでいるだけだよ」
「お父さんを見習い、私も一生涯、勉学に励みたいものだと…」
「そうか、そうか」
という和やかな展開になったはずなのに…。
減らず口を叩いたために、
「口の減らない親父だ。
そうやって本ばかり読んでいるから、口が達者になって、
そんな減らず口を叩くんだ。本なんて、もってのほかだ」
などと、滅茶苦茶なことになるのだ。
親父減らず口
さる所に親父あつて、
隙々(すきずき)には書物を楽しまれけるが、
ある時、本読み本読み居眠られしかば、
子供、親父を起こし、
「眠るにも眼鏡(めがね)が要りますか」
と言へば、親父もぬからぬ顔して、
「俺は眠るにもうつかりとは居眠らぬ」
「なぜにえ」
「夢を見るわな」
『軽口若夷』(寛保2年 1742年)
「眼鏡を掛けたまま、居眠りをしているよ」
という息子の言葉に対し、
「おっと、つい、うっかり…」
と素直に応じていれば、
「お父さんは向学心が旺盛で…」
「そんな大層なことではないよ」
「本当、読書に精が出ますよね。感心させられます」
「気の向くまま、読みたい本を読んでいるだけだよ」
「お父さんを見習い、私も一生涯、勉学に励みたいものだと…」
「そうか、そうか」
という和やかな展開になったはずなのに…。
減らず口を叩いたために、
「口の減らない親父だ。
そうやって本ばかり読んでいるから、口が達者になって、
そんな減らず口を叩くんだ。本なんて、もってのほかだ」
などと、滅茶苦茶なことになるのだ。