団塊団子

団塊世代の暇潰し冗談 ぼやき と たわごと

赤い靴はいてた女の子

2014年03月29日 19時25分28秒 | 小樽

赤い靴はいてた女の子

異人さんに連れられて行っちゃった♪

赤い靴の女の子、きみ

きみは米人牧師の養女に出されるほど実母のかよは貧しかった

かよの再婚相手、志郎

志郎、啄木、雨情は小樽日報の同期だった

雨情はかよから話しを聞き作詞した

きみは病弱で米国へは行けず東京の孤児院で結核を患い死んだ

かよはこの事実を知らなかった・・



石川啄木

電車を降り、333個のガラスランプを眺めながら小樽駅を出ると案内版に
『子を負いて 雪の吹きいる 停車場に われ見送りし 妻の眉かな』
歌碑は左手を上がった三角市場の入り口にある。

啄木下宿先の『た志満(たじま)』は花園公園通りに面し、
公園通りを山側に上がって行くと公園があり歌碑がある。
公園通りを海側に上がると水天宮(すいてんぐう)に歌碑がある。




啄木が勤めた小樽日報社の社屋が写った写真が発見された。
これまでは、
啄木研究家撮影の粗末な板張り民家風が社屋とされてきたが、
啄木の『北海道一の立派な新築大家屋』という記述に合わず謎だった。

啄木が見栄を張ったと言われていたが発見された写真では、
2階建てでモダンなたたずまいの大きな建物で啄木の記述に合致する。
この建物は大正15年(1926年)に焼失し、その跡に建てられたのが
啄木研究家が撮影した建物らしいことも分かった。

隣接の蕎麦屋、籔半の店主は「弊店の石蔵が写っている」と言う。
小さな新聞社で働く見栄っ張り啄木のイメージが修正され、
北のウォール街、小樽の活気あふれる新聞社での活躍が目に浮ぶ。

( 注1 ) 2008.11.8 北海道新聞

( 注2 ) 蕎麦屋、籔半は通に言わせると、
    そばを食わせる店じゃない・・



俺の小樽
俺の小樽 は坂の街
俺の小樽 は海の街
俺の小樽 は鮨の街


小樽っ子
● おたる
第一音節「お」にアクセント

● おたる
第二音節「た」にアクセント

この違いで 小樽っ子 かどうかが分かる。


小樽といえば寿司!
食べ放題 2980円 の看板にそそられ入店、
案内されたのが立派な白木のカウンター、
で、
おしぼりが出て、
「何握りましょ?」
「食べ放題で…」
- 途端に店の人、豹変 -
「お席はこちらでお願いします」
と、
階段下のせま~いテーブルへ連れてこられ、
出るは不味い寿司、
お替りは注文しようにも誰もやって来ない・・


「世界一無礼な寿司屋」北杜夫

私と妻とカメラマンは、カウンターに坐った。
妻が
「あの貝は何ですの?」
と店員に尋ねた。
そこは親父さんとその息子らしい若い三十歳代の男がいた。
その若い男は、先客の二階の客の寿司を握っていて、
「それは、これが済んでから」
と、実に突っけんどんに言った。
私はムッとした。
いやしくもこちらは客である。
またその若造は、私が醤油の皿を前に置くと、
パッと邪険に無言で位置を変えた。
それから二階の寿司を握り終えると、
「注文しないと何も出んよ」
と、客を客とも思わぬ口調で難ずるように言った。


小樽の寿司屋に限らず北海道の観光街の店は
一見客に対する扱いはひどいです。
当時小樽の街ではちょっとした騒ぎになったエッセイです。
自称躁鬱病の北氏ですから、
かなり精神のバランスが悪い時に書かれたのでしょう。
インターネットで店の評判が分かる今の時代では、
おごった店や職人は淘汰されて行くことでしょう。

二度と来ないであろう客ということでボる店もあるようですが、
一般的に小樽の寿司屋は高いのが多いです。
松竹梅特上並とかのセット以外は会計時にトラブルことの無いよう
値段を確認してから注文するなどした方がいいでしょう。
食中毒で営業停止になって、その間に出前だけならと営業して
また被害を出したのも小樽の寿司屋でした。
偏屈で有名とかいう店でも衛生観念が無いような店も有ったりで、
評判が良くても必ずしも満足出来ない店があります。


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