北京ダック「日本鬼嫁・中国オニシュウトメ」日記。

再開しました。 私は今、夏に居ます。

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不定期連載「私北京ダックと姑ハナ子」その2 (シドニー激闘編)

2005-05-01 | ㊥シュウトメ・ハナ子。
 
さてさて長らく中断していたが、ていうか誰も読んでないかもしれないしいいんだけど、とにかく続けようと思う。 ひっそりと。 なんでって、書き留めておきたいの、姑との苦難の日々を。 忘れないように、今後も気を許さないように。

姑のハナ子との2度目の対面は、あろうことか(今考えるとあってはならないことだった)シドニーのキングスフォード・スミス空港(っていうんだよ正式名称。 シドニー空港は通称。)到着ロビーだった。

うちの亭主、孝行息子の招待にて、パパ&ハナ子のツアーシドニーが敢行されたわけである。 時、2004年の11月頭。 前回対面から3ヶ月くらい経過していた。

ちょっと説明しておくと、は中国人にしては家族との距離が近くない方である。 関係は良好ながら、実家と自らの家庭をハッキリ分けて考える傾向にある。 それでも両親をシドニーに招いたのは、時代やら何やらのせいで両親よりも稼ぐようになった彼が、自分の滞在中(=ホテル代かかりません)にちょこっと招いてあげよう、というものだった。  ちょこっと。読んでいる方はこの言葉を憶えておかなければならない。

そういう事情であれば、当時既に一緒に住んでいた私としても、歓迎しようという気持ちだった。 私だって都合が折り合えば、そのくらいのことを両親にするのにやぶさかではない。 飽くまでもいろんなことが折り合えば、だ。

さて、話を戻して、空港でのパパ&ハナ子。 こんな感じでかなり物珍しゅうはしゃげている。 銀婚お上りカップルである。 
何しろパパにとっても日本以外の海外は初。 ハナ子もうじき60歳(当時)に至っては人生初の大陸脱出である。 テンパらない理由はどこにも見当たらない。 ここで私は認識した。
仮に私の両親が私の招待で海外旅行に来たとして(すいません実行したことはまだありません予定も・・・)、それはパパ&ハナ子の置かれている状況とは著しく異なるのだ。 
私たちの親の世代は、金持ちじゃないにしても、年若い我が子よりは持っている・・・のが日本では多数派だろう。 「自分でも行きたきゃ行けるけど、子供が招待してくれて、子供の成長を実感する旅は格別!」つう余裕が、日本の親にはあると思う。
それが無い場合。
両親というのは。
老けた子供。
ジャスト、それ以外の何物でもない。

10時間以上に及ぶ・・・というか中国国内移動時間や待ち時間を考えると、自宅を出て20時間近く経過しているはずなんだが、とにかく長旅を経て、二人はとても元気だった。
シティど真ん中だった私たちのアパートについて、用意しておいた昼食を済ませると、彼らは休憩を拒否した。 60近い人々が、である。
その当時、はフルタイムで働いていて、前日は残業で帰りがとても遅かった。 だから彼は大変に疲れていた。 私だって、彼の帰宅を待って、夜食を提供してから一緒に寝たので、睡眠不足である。
でも、いい。
なぜなら、現役の教員であるパパの滞在はたったの1週間。それよりは長いハナ子でも、1ヶ月だけの予定だった(いや、1ヶ月は、実のところ長いけれど、そのくらいなら耐える構えだったという意味)。
なら力一杯楽しんでもらおうじゃないか。
息子夫婦(当時は籍入って無かった、は!私ってば内妻だったのけ?)としては、そう思っていた。
翌日から、仕事に励む内縁の夫(当時)に代わり、国際義理両親のための、怒涛のシドニー観光ウイークが、幕を開けたのだった。

㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥  

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