“しなやかに、清々しく”

日常の出来事等を気ままに発信したい。

第5回「首都圏真野ハイキング会」開催。

2012-11-26 08:33:33 | Weblog
 11月25日(日曜日)、雲ひとつない絶好の行楽日和、首記ハイキング会は、総勢ちょうど30名で紅葉の成田街道“佐倉宿と成田山”を廻るハイキングに出かけました。
 歩くコースに沿って、ご紹介して見たいと思います。
 午前10時、京成佐倉駅。朝6時すぎに家を出発したという東京を挟んでの多摩方面から参加した人もいたが、一人の遅刻者もなく集合。
世話役のT氏から簡単なコース説明がなされ、直ちに出発。
 佐倉藩学問所として創立された由緒ある千葉県立佐倉高校前を通る。長嶋巨人軍名誉監督を輩出したことでも有名な高校である。

 
佐倉高校 校門。

 次いで、10分ほどで佐倉順天堂記念館へ。


順天堂記念館入口。

 佐倉順天堂は、蘭医佐藤泰然が天保14年(1843年)に開いた蘭医学の塾兼外科の診療所として創設されたものという。
泰然の養子尚中(たかなか)は、明治新政府から大学東校(現東京大学医学部)の最高責任者として招かれたのち、お茶の水に順天堂医院を開業した。
 案内人の説明に従って進む。
 展示物には、当時の外科手術で使用した道具、麻酔のなかった当時の大変な手術現場の絵等また、佐渡の生んだ蘭医学者司馬凌海の書き物もあった。
佐倉順天堂については、「胡蝶の夢」(司馬遼太郎作)の中にも出てくる。
 (今日、「胡蝶の夢」をぱらぱらとめくってみたら、司馬凌海(伊之助)は、佐倉順天堂の塾生でした。10年ほど前に読んだものですっかり忘れていました)


入口を入ってすぐの芝生広場には、佐藤泰然像他多数の銅像が展示されている。


 入館前、庭で出席者全員の記念写真。

次いで、武家屋敷跡に向かう。今なお、当時(1830~1840年ころ)のまま(復元したものあり)の建物が公開されている。旧河原家、旧但馬家、旧武居家の3軒が残っている。


旧河原家。


旧但馬家の入口。

旧但馬家。

武家屋敷を後にして佐倉城址に向かうため、城址街道を進む。歩道が整備されてなくやや危険だったが無事到着。
城址公園は、整備されていて、木々が大変きれい。


公園内の茶室、三逕亭(さんけいてい)。

そして本丸跡へ。
 本丸跡広場では、三々五々、弁当を広げ楽しい昼食。


昼食の一グループ。

 約50分間の昼食後、佐倉駅に戻り、電車で成田山へ。


駅から成田山新勝寺へ向かう表参道。


成田山新勝寺総門。


仁王門。


新勝寺本堂。

四十数年前(結婚直後)に一度訪れたが、ほとんど覚えてない。しかし、奥へ歩くに従ってかすかな面影がよみがえる。
新勝寺では、家内安全、皆健康で・・・等々を祈願。
来た表参道を引き返し、途中で土産物を買う。やはり、成田山へ来たと言えば○○土産。
15時30分 京成駅前の居酒屋玄関に集合。
また、楽しい懇親会が開かれる予定。
 小生は、定期健診で要検査となった大腸へのスコープ検査が翌26日に控えていたので懇親会を失礼。15時40分京成成田発の特急で帰路についた。
今回のハイキングは、所謂散策とは異なり、歴史、文化を勉強するルートであった。
事前に勉強してくるようにと申していれば、尚、楽しさは倍増したかも・・・。
 幹事の皆さん、二度ほど下調べに訪れたとか。
楽しいコース計画を立てていただき、ありがとう。

 このブログを打ちながら胃腸洗浄薬のため、何度も○○○に走る。愛犬ペガサスも心配して○○○まで2~3回様子を見に来る。
“大丈夫だよ…”

午後2時過ぎからのスコープ検査の結果、ポリープ等は、見当たりませんでした。ご心配をおかけしました。(PM3:40)






 
コメント
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