招きねこの手も借りたい

主婦のち仕事、ところによって母、時々芝居。

気まぐれな神様

2008年03月04日 | 日常
渋茶を飲んでいたら突然天の声が聞こえた。

「pecoよ!peco!」

あ、この声はほんのときたま私に降りてくる
『おかたづけの神様』だ。

「かたづけよ、peco。とりあえずは、パソコン周りから手をつけよ。」

年に何度か、こうして唐突に私には
『おかたづけの神様』が降りてくる。
そうなると私は、全てを放りだしてかたづけたくなる。
そしてそんな時は、いろいろアイディアが浮かんでくる。
それは『おかたづけの神様』が、耳元で囁いてくれるかのように、
こうしたらどうか?ああしてみたらどうかと頭に浮かぶ。

勢いに乗り、パソコン周り、ソファ脇のサイドテーブル周り、
さらにその横の棚のわんこグッズ収納を片付ける。

『おかたづけの神様』が降りていらっしゃる間に、
できるだけのことをする。
めったに降りていらっしゃらないので、
今がチャンスなのだ。

そして、この神様は気まぐれで、飽きっぽいので、
いつ降りていらして、いつ去っていかれるか分からない。

今日は結構長居をしている。
よしよし、では台所もこの際手をつけるか。
さてと。

鍋や、買い置きの食品、乾物類などの収納を見直そう。
とりあえず戸棚の中身を全部出した。
いるものといらないものを区分けする。
長い間使っていなかったものは思い切って処分しよう。

思ったよりたくさんの物が入ってるもんだなぁ。
ふむふむ。

と、この時。
『おかたづけの神様』が、唐突に
「さらばじゃ~」と去っていった。
え、そんな殺生な。神様!
このぶちまけられた台所の戸棚の中身はどうするんです!

「あとは、自分の力でやるのだ、フォッフォッフォッ。」

気まぐれで、根気のない神様が去り、
残ったのはおびただしい量の様々な台所用品と食品と、
やる気のない抜け殻になった中年女だけ。

しかし、一度出したものはとりあえずしまわないことには、
食事の支度もままならない。

もう何もアイディアも出てこない。
出るのはため息だけである。

そして、『おかたづけの神様』と入れ違えに降りて来たのは、
『睡魔』の大魔神だった。

睡魔の大魔神と、熾烈な闘いをしつつ、
なんとかかんとか台所を片付けた。

今度神様が降りてくるのはいつなのか、
それは誰にも分からない。

ちらし寿司

2008年03月03日 | 料理
娘が家で過ごす久しぶりのひな祭りなので、
ちらし寿司をどうしても作りたかった。

だが、今日は母の月1回の心臓の検診日で、
丸々午前中いっぱいかかった。
あわてて帰宅し、母と娘にうどんを作り、
大あわてでスタジオへ。
思いのほか今日はナレーションの分量が多く、
時間がかかった。
私と夫が遅い昼食をとったのは、3時近くだった。
この時点で、買い物すらしていない。

ほんとは市場で新鮮な材料を揃えたかったのだが、
身体も疲れていたのでそれはあきらめ
近所のスーパーへ。

はまぐりのお吸い物を作ろうと思ったのに、
スーパーには「中国産」のはまぐりしかなかった。
……。
今年ははまぐりのお吸い物はパス。
紅白のはんぺんを菱形に切っていれるお吸い物に変更。

ごぼう、人参、薄揚げ、干し椎茸、蓮根、絹さや、
いくら、海老。
その他、生活雑貨諸々。

もの凄い勢いでカゴにいれ、レジへダッシュ。

帰宅して、1杯だけコーヒーを飲んだら、
気合をいれてちらし寿司つくりを始めた。
ちらし寿司は、母の得意料理だ。
ひな祭りはもちろん、誕生日、祝い事、来客の時、
ことあるごとに作ってくれた。
母が現役バリバリで台所にたっていた時は、
とても母にはかなわないと思い、あえて私は作らなかった。
残念ながら母から味の秘伝は教えてもらっていない。
私は私で、ネットやらレシピ本やらから学んで作る。

できたのが、これ。



母のちらし寿司は、海老やいくらはいれない。
私は材料の豪華さで腕前をカバーした。

それにしても、ちらし寿司は手がかかる。
ひとつひとつ材料を別々に下処理し、煮ないといけない。
で、そんな日にかぎって仕事の電話が鳴る、鳴る。

肩と頬の間に電話をはさみつつ、絹さやの筋をとりながら、
ナレーション料金の見積もりの話しをし、
海老を茹でつつ、今週のCM撮影の衣装の打ち合わせをし、
野菜を煮含めつつ、
ギャラを受け取りに来た事務所の子の応対をする。

料理というのは、本当は一生懸命、
誠心誠意取り組まないと、材料に申し訳ないと思う。
ちょっとそういう意味では不本意な調理時間となってしまった。

結局、ちらし寿司とお吸い物だけで力尽きてしまい、
あとは菜の花のおひたし、
昨日のカボチャの煮物の残り、
市販の胡麻豆腐を切っておしまいにした。

後片付けを終えた今、ちょっとへとへと気味である。
でも、よくやった自分!
と誉めてやることにしよう。







「エリザベス ゴールデンエイジ」鑑賞

2008年03月01日 | テレビドラマ・映画
母は、本日より週2日のデイケア施設への通所が始まった。
ケアマネージャーさんの親身なアドバイスと、
実行力のおかげである。

朝9時にお迎えの車が来た。
よろしくお願いしますと送りだすのは、
なんだか子供を幼稚園バスに乗せる時のかんじに似ている。

というわけで、母のお昼の心配もいらない。
夫は仕事で深夜まで不在。
娘に留守番を頼み、
「エリザベス ゴールデンエイジ」を観に行くことにした。
毎月1日は料金千円である。
最近当たり前の、お一人様鑑賞。

私は、コスチューム物の映画に弱い。
絢爛豪華な衣装や、セット。
そう、少女の頃自由帳に描き続けた
まさに「お姫さま」「女王さま」の世界。
イギリスの歴史の知識はほとんどない。
高校の頃世界史の授業で習った、
スペインの「無敵艦隊」が、イギリスのエリザベス1世に敗れたこと。
そしてそのエリザベス1世とは、一生独身を貫き通した女王だった。
くらいの予備知識しかないままでの鑑賞となった。

そんな私が、始まってすぐケイト・ブランシェット演ずる
孤高の女王エリザベスに感情移入。
豪華なドレスや装飾品を堪能するだけのつもりで行ったのに、
彼女の孤独や悲しみや、やるせなさ、押し寄せる不安など、
まるで自分のことのように感じて見入っていた。
もちろん期待通りドレス、すごいっす。
でも、それより何よりもケイト・ブランシェットの存在感と確かな演技力。
彼女39歳くらいじゃないかと思うが、
50歳を過ぎたエリザベス女王を見事に演じきっていた。

で、そのエリザベス女王が心を寄せる航海士ウォルター・ローリー。
女王の前の水たまりに自分のマントをさっと広げる登場の仕方に、
私は「おいおい」と軽くつっこんでしまったのだが、
女王の当時の立場や状況を考えると、
こういうタイプの男性に心惹かれるのは当然だろうとも思う。
美辞麗句を並べるばかりの者達のなかで、
ローリーは遠慮ない物言いで本心を話す。
教養高く、未知の世界の冒険談を語り、
植民地への夢を熱く語る。
このとき、ローリー30そこそこ。

そりゃあ、ときめくわなぁ。
と、思う。
でもね。
この女王の心をわしづかみにしたローリー卿を演じている
クライヴ・オーウェンがね。
私にはどうしても
『苦み走ったルー大柴』にしか見えないのである。
クライヴ・オーウェンファンの方、お気に障ったらご勘弁を!

演技は文句のつけようのないほど上手いし、
声もいいと思うのだが、
アップになるたびに私は心の中で「苦み走ったルー大柴!」と
思ってしまい、感情移入の邪魔をするのである。

せっかくの暖炉の前のせつないあのシーンでも
(未見の方のために詳細は省きます)
エリザベスの心中を思い胸がいっぱいになりながらも、
「苦み走ったルー大柴が気取るんじゃねぇ」
と思ってしまうのである。
不謹慎な私…。


あとは、わたし的にはもうひとりの女王「メアリー・スチュアート」に
とても興味を持った。
彼女の波瀾万丈の人生もそれだけで面白い映画になるだろうな。
子供の頃から「幽閉されたお姫さま」に妙に心惹かれたものだ。
自宅の蔵の2階に自分で閉じこもって、
幽閉されたお姫さま気分を味わおうとして失敗した私…。
思いっきりの日本家屋の蔵の2階で、
西洋の「幽閉されたお姫さま」気分になるのはムリというものだ。
なんか和物の物語にしとくべきだった。
閑話休題。

とにかくメアリー・スチュアートの
断頭台の前での真っ赤なドレス姿。印象的。

エリザベスの絢爛豪華なドレスはどれも素晴らしかったが、
私が一番「かっこいい!」と思ったのは、
スペイン軍との戦いの前に、
イギリス兵の前に白馬にまたがり、
銀色に輝く甲冑を身にまとい、白いマントをはためかせ
赤い髪をなびかせて現れたシーンだった。
その時の台詞もまた格好いい。

ただね、かなり拷問シーンとか処刑シーンとか、
戦争のシーンは残酷。
そういうの弱い方は、
私のように「薄目」「指の間からそっと見る」
「長めの瞬きをしてシーンが変わるを待つ」
などの対処をされることをおすすめする。

他にもいろいろ見所はたくさんある。
DVDではなく、ぜひ映画館の大画面でその迫力を味わっていただきたい。

ローリー卿のことを、「苦み走ったルー大柴」に見えてしまう私のような人は、
どうかお好きな俳優に脳内変換して見るといいかもしれない。
私は、誰に脳内変換しようか迷ってるうちに終わってしまったけどね。