ジダンの「頭突きによるレッドカード退場」。ジダンがいるのといないのとじゃ、フランスの志気もそうとう違ってたんじゃないかと思う。最後のPKだって違った結果だったかも・・なんて考えさせられる決勝戦。イタリアとフランス、全くの互角に戦っていただけに、なんとも不完全燃焼の結末。
日本もがんばっていたが、決勝トーナメントあたりの試合を見ていると、ど素人の私が見ていてもその実力の差は歴然としていて、「こりゃー日本勝てないわ!」と思ってしまった。引退を決めた中田が今大会ず~っと、常に厳しい、不機嫌そうな顔をしていたのも、ワールドカップレベルのサッカーに日本がまだまだ追いついていないって事よくわかってて、技術的にも精神的にも未熟な日本チームのメンバーに「絶対にこんなんじゃ勝てないんだ!」って警告を出していたんじゃないかと思う。
だけど、今回のワールドカップでその世界レベルの強さを肌で感じた日本が、これからどう変わるかってとこも楽しみだ。しかしそこにはやっぱり中田がいて、ぐんぐんチームを引っ張って行って欲しいって思う。中田帰ってこないかな~。
ってな感じで、私の中の「2006FIFAワールドカップ in ドイツ」は終わった。
今回私の妹「YOSHIKO!」は、な、な、な、な、なんと!ドイツまで行って
対日本戦3戦全部生で見てきた。帰ってきてからまだ会ってないが、生で見たワールドカップはどんな感じだったのか是非聞いてみたい。
その「YOSHIKO!」が、子供達のおみやげにドイツの写真集を買ってきてくれた。一つは「Berliner Mauer Kunst」(←?????)そしてもう一つは「ES GESCHAH AN DER MAUER」(←?????)というどちらも「ベルリンの壁」をテーマにした写真集だ
「Berliner Mauer Kunst」の方は、ベルリンの壁に描かれた、アニメチックな絵、写実的な絵、たくさんの皮肉を盛り込んだ風刺画などが、実に色鮮やかに描かれている。
そしてもう一つの「ES GESCHAH AN DER MAUER」
こちらは、ベルリンの壁を越えようとした人、それを阻止しようとした人、助けようとした人達が写っている写真集。モノクロで解説も「独」「英」「仏」の三カ国語でしかかかれていないが、その緊張感、悲惨さが実にリアルに目に飛び込んでくる。
これは、お父さんが自分の息子を手作りのリフトにのせ、壁の向こうに送りこもうとしているところ。
この写真は、壁の見張り役の兵隊が上官の目を盗んで、この小さな男の子を鉄条網をかいくぐらせてあげようとしているところ。その後、この兵隊はこのことが上官にばれて、遠い所に任地を変えられてしまった。
こんな感じの写真がたくさん載っている。
そもそも私は「ベルリンの壁」ってのがどこに何のためにあったって事さえよくわかってなかった。私的には「ベルリンの壁」はドイツを西と東に分けてる壁って感じで、朝鮮半島の「38度線」のようなものと思ってた。しかし、これを機会にインターネットで調べてみたら、ベルリンはそもそも東ドイツの中にあって、そのベルリン自体が東ドイツ領の「東ベルリン」と西ドイツ領の「西ベルリン」にわかれてて、つまり「ベルリンの壁」は東ドイツの中に離れ小島のようにある西ドイツ領の「西ベルリン」をかこむ壁って事らしい。なんで、東ドイツの人達が西ドイツ領である「西ベルリン」に逃げ込むのを防ぐ為の壁って事になる。(なんだかややこしくなってしまいました。興味のある人は世界史の先生に聞いて下さい)
この写真集を見てると、ほんとうに命がけで「西」に逃げようとしてるわけで、それだけ「東」での暮らしが大変なものだったんだろうと想像できる。
もともと一つだった国が、戦争で二つに分断され、自分たちの意志とは別に主義主張の違う国の国民となってしまう。本当は分かれたくないのに「ベルリンの壁」で阻まれる。日本だって一つ間違えばこんな風になってたかもしれないと思うとぞっとする。
しかし、この写真集を見ていると、少なくともこの「壁」ぎりぎりのところには、人間同士の血の通った交流があったんだという事がわかる。
残念ながら、生きては壁をこえられなかった人達の写真もあるが・・。
「ベルリンの壁」は1961年に建設が始まり、1989年11月に崩壊した。
1989年といえば、昭和天皇が崩御した年、ブッシュがアメリカの大統領になった年、美空ひばりが亡くなった年。
まだ記憶に新しい年である。
こんなすごい体験をした人々は、やはり今話題になっている「愛国心」に対する思い入れも、日本人のそれとは全然違うだろう。それぞれの国の代表がそれぞれの国を背負って戦ったワールドカップ。その「愛国心」の重みは、多少でも試合結果に影響をあたえてるんじゃないだろうか。
ワールドカップとベルリンの壁。
なんだか、いっぱい考えさせられた。
日本もがんばっていたが、決勝トーナメントあたりの試合を見ていると、ど素人の私が見ていてもその実力の差は歴然としていて、「こりゃー日本勝てないわ!」と思ってしまった。引退を決めた中田が今大会ず~っと、常に厳しい、不機嫌そうな顔をしていたのも、ワールドカップレベルのサッカーに日本がまだまだ追いついていないって事よくわかってて、技術的にも精神的にも未熟な日本チームのメンバーに「絶対にこんなんじゃ勝てないんだ!」って警告を出していたんじゃないかと思う。
だけど、今回のワールドカップでその世界レベルの強さを肌で感じた日本が、これからどう変わるかってとこも楽しみだ。しかしそこにはやっぱり中田がいて、ぐんぐんチームを引っ張って行って欲しいって思う。中田帰ってこないかな~。
ってな感じで、私の中の「2006FIFAワールドカップ in ドイツ」は終わった。
今回私の妹「YOSHIKO!」は、な、な、な、な、なんと!ドイツまで行って
対日本戦3戦全部生で見てきた。帰ってきてからまだ会ってないが、生で見たワールドカップはどんな感じだったのか是非聞いてみたい。
その「YOSHIKO!」が、子供達のおみやげにドイツの写真集を買ってきてくれた。一つは「Berliner Mauer Kunst」(←?????)そしてもう一つは「ES GESCHAH AN DER MAUER」(←?????)というどちらも「ベルリンの壁」をテーマにした写真集だ
「Berliner Mauer Kunst」の方は、ベルリンの壁に描かれた、アニメチックな絵、写実的な絵、たくさんの皮肉を盛り込んだ風刺画などが、実に色鮮やかに描かれている。
そしてもう一つの「ES GESCHAH AN DER MAUER」
こちらは、ベルリンの壁を越えようとした人、それを阻止しようとした人、助けようとした人達が写っている写真集。モノクロで解説も「独」「英」「仏」の三カ国語でしかかかれていないが、その緊張感、悲惨さが実にリアルに目に飛び込んでくる。
これは、お父さんが自分の息子を手作りのリフトにのせ、壁の向こうに送りこもうとしているところ。
この写真は、壁の見張り役の兵隊が上官の目を盗んで、この小さな男の子を鉄条網をかいくぐらせてあげようとしているところ。その後、この兵隊はこのことが上官にばれて、遠い所に任地を変えられてしまった。
こんな感じの写真がたくさん載っている。
そもそも私は「ベルリンの壁」ってのがどこに何のためにあったって事さえよくわかってなかった。私的には「ベルリンの壁」はドイツを西と東に分けてる壁って感じで、朝鮮半島の「38度線」のようなものと思ってた。しかし、これを機会にインターネットで調べてみたら、ベルリンはそもそも東ドイツの中にあって、そのベルリン自体が東ドイツ領の「東ベルリン」と西ドイツ領の「西ベルリン」にわかれてて、つまり「ベルリンの壁」は東ドイツの中に離れ小島のようにある西ドイツ領の「西ベルリン」をかこむ壁って事らしい。なんで、東ドイツの人達が西ドイツ領である「西ベルリン」に逃げ込むのを防ぐ為の壁って事になる。(なんだかややこしくなってしまいました。興味のある人は世界史の先生に聞いて下さい)
この写真集を見てると、ほんとうに命がけで「西」に逃げようとしてるわけで、それだけ「東」での暮らしが大変なものだったんだろうと想像できる。
もともと一つだった国が、戦争で二つに分断され、自分たちの意志とは別に主義主張の違う国の国民となってしまう。本当は分かれたくないのに「ベルリンの壁」で阻まれる。日本だって一つ間違えばこんな風になってたかもしれないと思うとぞっとする。
しかし、この写真集を見ていると、少なくともこの「壁」ぎりぎりのところには、人間同士の血の通った交流があったんだという事がわかる。
残念ながら、生きては壁をこえられなかった人達の写真もあるが・・。
「ベルリンの壁」は1961年に建設が始まり、1989年11月に崩壊した。
1989年といえば、昭和天皇が崩御した年、ブッシュがアメリカの大統領になった年、美空ひばりが亡くなった年。
まだ記憶に新しい年である。
こんなすごい体験をした人々は、やはり今話題になっている「愛国心」に対する思い入れも、日本人のそれとは全然違うだろう。それぞれの国の代表がそれぞれの国を背負って戦ったワールドカップ。その「愛国心」の重みは、多少でも試合結果に影響をあたえてるんじゃないだろうか。
ワールドカップとベルリンの壁。
なんだか、いっぱい考えさせられた。
ためになろお話。書き込み大変でしたね。
写真もなんだか、ジーンときました。