今日はこの地域の子ども会が中心になって行う「お地蔵様」というお祭りの日だ。きれいに掃除され提灯やお花で飾られ、沢山のお供え物を前にしたお地蔵様に、子供達がお参りし、その後公民館でお弁当やお菓子を食べながらのお楽しみ会。
アヤの頃に比べると、遠足など、どんどん行事を少なくしていく方向にある子ども会であるが、この「お地蔵様」だけは絶対になくならないだろう。
なんてったって、お地蔵様は子供達の守り神なのだから・・・。
今日の中日新聞に「捨て子の双子、奇跡の再会」という記事が出ていた。
3年前生まれたばかりで中国江蘇省揚州市の路上に、前後して捨てられていた双子の女の子が、姉妹とは思われずに施設に預けられ、2年前、それぞれ別の米国人夫婦に養女として迎えられた。この夏、ホームページで3歳の誕生日を祝う写真を見たもう一方の夫婦が「うちの娘にそっくり」と連絡し、双子と証明され、再会をはたしたという内容だ。
これ自体は感動的なお話だが、気になったのは次の記事
米国人が中国人の孤児を養女にするケースは年々増え、昨年は、5年前の倍近い8000人近くが海を渡った。「中国では孤児はほとんどが女児」という。
なぜ、中国には孤児が多いのか?そしてなぜその孤児のほとんどが女の子なのか?
これはすべて1979年に始まった中国の「一人っ子政策」のせいだろう。
「一人っ子政策」とは、「一組の夫婦に子供は一人」を原則とするものであり、少数民族や夫婦双方が一人っ子である場合を除いて、二人目を産むと高額の罰金が科せられるなど、事実上、二人目の出産は許されないという、人口増加を抑制する政策だ。
子供は一人しか産んじゃだめ、2人以上産んだらお金をはらわなきゃいけない、といわれれば、貧しく、そして家督相続の意識の強い地方などでは、最初に男の子が生まれればいいが、女の子が生まれてしまったら困ってしまう。そこで、おなかの中にいる間に「女の子」とわかったら中絶し、それができない場合は「捨てる」のだ。
現在、一人っ子政策が始まった頃の子供達が大人になり、結婚する年代になってきている。結婚する男女両方が一人っ子。つまり、その2人でそれぞれの両親、そして生まれて来る子供を面倒見なければならない。経済的負担もそうだが、なによりも一人っ子ということで、祖父母両親の愛情を一身に受け大事に大事に育てられ、そのまま大人になってしまった彼らに、ちゃんと子育てができるのかという心配もでているらしい。
もっと大変な問題は「黒孩子(ヘイハイズ)」「闇っこ」といわれる戸籍のない子供達だ。多くの人手が必要な農家では、子供達も重要な労働力だ。したがって農村部では政策に逆らって沢山子供を産む。しかし、罰金は払えないので二人目以降の子供達は「生まれなかった」事にされる場合が多い。こういう子供たちは、戸籍がない為、学校にも行けず、病気になってもまともな医療サービスは受けられず、大人になっても就職することは難しく、しかたなく、生き長らえるために悪に手をそめたり、自国を捨て外国に不法入国したりすることになる場合が多い。
毛沢東主席が「戦争の勝負を定める決定的な要素は人間だ」と唱え「産めよ増やせよ」と人口膨張を促進し、別の人の政権になり状況が変わると今度は増えすぎたから「産むな、産んだら罰金だ」という。
国を動かす人たちが考えに考えた政策だ。情報を集め、調べ、シュミレーションをし、議論に議論を重ね、将来の中国のことを考えての政策だろう。
結果的に、都市部では「一人っ子政策」の成果があらわれ、人口増加率は減少したようだが、ほんとうにこれで良かったのか?
日本では現在「少子化対策」がいろいろ行われている。中国と全く逆の状況だ。
政治経済に「子を産み育てる」という生命の最も基本的な本能的な部分が制約をうける。
「子供は授かり物」なんていう感覚は全く通用しない。
本当にこれでいいのかな~と思う。
私は何の制約もうけず、3人の子供を産んだ。そして、みんなに祝福してもらった。
「授かった」って言う言葉もすんなり受け止める事ができる。
それが出来るって事は、本当に幸せな事なんだってあらためて思った。
アヤ、リエ、ケン、それぞれ「大きくなったら何になろう」「どんな職業につこう」と夢見ている、アヤなどはその夢に結びつくように進路を考えてる年齢だ。
同じ子供でも、国から「いらない」と言われた子供「黒孩子(ヘイハイズ)」達はこんな風に夢をもてるのだろうか?夢どころか、とにかく毎日毎日を生きなければならない。それでも、生まれてすぐに「最初から存在しなかったもの」として、闇に葬られるよりはましなのか。
こんな中国の子供たちを見て、
きっと「お地蔵様」は泣いている。
アヤの頃に比べると、遠足など、どんどん行事を少なくしていく方向にある子ども会であるが、この「お地蔵様」だけは絶対になくならないだろう。
なんてったって、お地蔵様は子供達の守り神なのだから・・・。
今日の中日新聞に「捨て子の双子、奇跡の再会」という記事が出ていた。
3年前生まれたばかりで中国江蘇省揚州市の路上に、前後して捨てられていた双子の女の子が、姉妹とは思われずに施設に預けられ、2年前、それぞれ別の米国人夫婦に養女として迎えられた。この夏、ホームページで3歳の誕生日を祝う写真を見たもう一方の夫婦が「うちの娘にそっくり」と連絡し、双子と証明され、再会をはたしたという内容だ。
これ自体は感動的なお話だが、気になったのは次の記事
米国人が中国人の孤児を養女にするケースは年々増え、昨年は、5年前の倍近い8000人近くが海を渡った。「中国では孤児はほとんどが女児」という。
なぜ、中国には孤児が多いのか?そしてなぜその孤児のほとんどが女の子なのか?
これはすべて1979年に始まった中国の「一人っ子政策」のせいだろう。
「一人っ子政策」とは、「一組の夫婦に子供は一人」を原則とするものであり、少数民族や夫婦双方が一人っ子である場合を除いて、二人目を産むと高額の罰金が科せられるなど、事実上、二人目の出産は許されないという、人口増加を抑制する政策だ。
子供は一人しか産んじゃだめ、2人以上産んだらお金をはらわなきゃいけない、といわれれば、貧しく、そして家督相続の意識の強い地方などでは、最初に男の子が生まれればいいが、女の子が生まれてしまったら困ってしまう。そこで、おなかの中にいる間に「女の子」とわかったら中絶し、それができない場合は「捨てる」のだ。
現在、一人っ子政策が始まった頃の子供達が大人になり、結婚する年代になってきている。結婚する男女両方が一人っ子。つまり、その2人でそれぞれの両親、そして生まれて来る子供を面倒見なければならない。経済的負担もそうだが、なによりも一人っ子ということで、祖父母両親の愛情を一身に受け大事に大事に育てられ、そのまま大人になってしまった彼らに、ちゃんと子育てができるのかという心配もでているらしい。
もっと大変な問題は「黒孩子(ヘイハイズ)」「闇っこ」といわれる戸籍のない子供達だ。多くの人手が必要な農家では、子供達も重要な労働力だ。したがって農村部では政策に逆らって沢山子供を産む。しかし、罰金は払えないので二人目以降の子供達は「生まれなかった」事にされる場合が多い。こういう子供たちは、戸籍がない為、学校にも行けず、病気になってもまともな医療サービスは受けられず、大人になっても就職することは難しく、しかたなく、生き長らえるために悪に手をそめたり、自国を捨て外国に不法入国したりすることになる場合が多い。
毛沢東主席が「戦争の勝負を定める決定的な要素は人間だ」と唱え「産めよ増やせよ」と人口膨張を促進し、別の人の政権になり状況が変わると今度は増えすぎたから「産むな、産んだら罰金だ」という。
国を動かす人たちが考えに考えた政策だ。情報を集め、調べ、シュミレーションをし、議論に議論を重ね、将来の中国のことを考えての政策だろう。
結果的に、都市部では「一人っ子政策」の成果があらわれ、人口増加率は減少したようだが、ほんとうにこれで良かったのか?
日本では現在「少子化対策」がいろいろ行われている。中国と全く逆の状況だ。
政治経済に「子を産み育てる」という生命の最も基本的な本能的な部分が制約をうける。
「子供は授かり物」なんていう感覚は全く通用しない。
本当にこれでいいのかな~と思う。
私は何の制約もうけず、3人の子供を産んだ。そして、みんなに祝福してもらった。
「授かった」って言う言葉もすんなり受け止める事ができる。
それが出来るって事は、本当に幸せな事なんだってあらためて思った。
アヤ、リエ、ケン、それぞれ「大きくなったら何になろう」「どんな職業につこう」と夢見ている、アヤなどはその夢に結びつくように進路を考えてる年齢だ。
同じ子供でも、国から「いらない」と言われた子供「黒孩子(ヘイハイズ)」達はこんな風に夢をもてるのだろうか?夢どころか、とにかく毎日毎日を生きなければならない。それでも、生まれてすぐに「最初から存在しなかったもの」として、闇に葬られるよりはましなのか。
こんな中国の子供たちを見て、
きっと「お地蔵様」は泣いている。
いいな~。
持○は100円持って行ってお参りしてお菓子貰って帰るだけだよ~
お地蔵様なんて行事があるんですね!!根●にはそんな行事すらありませんよ!!
みなさんがうらやましいです…