東大寺さん

2010-07-20 07:23:48 | インポート
実は東大寺のお寺さんとtwitterで知り合いました。若い森本先生が非公式にtwitterで、東大寺の関係のことをつぶやいています。

なぜ、関東生まれの関東人が東大寺さんとご縁があったのかというと、今、フランスのリヨン少年合唱団(リヨン大聖堂聖歌隊)が日本に来ていて、この間は四谷の教会でコンサートがあり、今は関西から中国地方、長崎、山口、広島へとまわっているところで、先日は奈良の東大寺でも奉納コンサートが開かれたのです。

それで阪神地区のイエズス会の知り合いの司祭がせっかく東大寺でコンサートがあるからたくさんの人に来てほしいとtwitterに出したので、私も、東大寺の森本先生をフォローし、ほんのちょっぴり宣伝のお手伝いをしたのがきっかけでした。

で、実を言うと、それまで東大寺といえば観光とか歴史的な存在としてしか考えたことがなかったのが、森本先生の日常の呟きを見るようになって、東大寺が現代の今もちゃんと生きて活動している宗教団体であり、学校や、病院(子どものリハビリ)も持つ大きな組織だということがわかってきました。華厳宗というあまり聞かない名前の、しかし、とても歴史のある仏教の組織として、今、現在もしっかりと社会に対する活動を繰り広げていることも初めて知りました。

昨日、国立科学博物館で見てきた、昔々の一生を寝たきりで過ごして終わった少女の遺骨の話を書きましたけど、そのこの生きていた時代は今のように社会福祉も何もない時代で其れでもこの子がある程度の年齢まで生きのびられたのは家族や周りの世話が行き届いていたからだということを書いて、ふと、twitterを見ると、おとといの夜、森本先生が連絡があったのでこれからいってきますと書いていたことの詳しい話しが出ていました。

生まれてからずっとICUの中ですごし、東大寺福祉療育病院に転院したときが生まれて初めての外出で、人生二度目の外出が病院から歩いて5分の大仏殿に行ったときだったそうです。人工呼吸器をつけた車椅子で。

病院もご家族もその男の子のためにできる限りのことをしてきて、少しでも元気になるように手をつくしてきたのが、ついにおとといの夜、6歳半で「亡くなった」と言う連絡が森本先生のところにきての外出だったのだそうです。奇しくもというか、あの昔々の女の子もきっとご家族や、先生たちのような方々の助けで生き延びていたのだろうなあと考えさせられたのでした。

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