昨日電話での会話で出てきた話題です。
その人は、こんなことをおしえてくださいました。
「『小林秀雄の本に、花を1分間見なさい。
すると、その1分がどんなに長いかわかる』ってあったよ。
急いで表に出て、草を見てみたよ。
そしたら、本当に1分が長いんだ。
1分草を見ているってことが、なかなかできないんだよ」
それを聞いて、へ~なるほどって思いました。
多分、小林秀雄さんは、「ものの見方」だとか「見るということ」がどんなことであるかを言いたかったのだと思うのです。(違うかなあ)
今日、私も庭に出て、花を見つめてみました。
確かに1分は長い。
きれいだな~なんて思いながら見ていても、45秒後には目をそらしていました。
それから、スプリンクラーから出る水を受ける芝生が目にとまりました。
水の玉がはじけて、そこに光があたってきらきらして、本当にきれいでした。
芝生の周りの透明感、葉一枚一枚にこぼれる雫、水の玉をうけて輝く躍動感のようなものを感じながら、私はずっと芝生を見つめていました。
何分たったころでしょうか?
人をひざまづかせるような、絶対的な美の前では、時間は止まるのではないかと思ったのです。
だって、私はいつまでもいつまでもずっとずっと、そこで芝生のみずみずしさを見ていたかったのですから。
その人は、こんなことをおしえてくださいました。
「『小林秀雄の本に、花を1分間見なさい。
すると、その1分がどんなに長いかわかる』ってあったよ。
急いで表に出て、草を見てみたよ。
そしたら、本当に1分が長いんだ。
1分草を見ているってことが、なかなかできないんだよ」
それを聞いて、へ~なるほどって思いました。
多分、小林秀雄さんは、「ものの見方」だとか「見るということ」がどんなことであるかを言いたかったのだと思うのです。(違うかなあ)
今日、私も庭に出て、花を見つめてみました。
確かに1分は長い。
きれいだな~なんて思いながら見ていても、45秒後には目をそらしていました。
それから、スプリンクラーから出る水を受ける芝生が目にとまりました。
水の玉がはじけて、そこに光があたってきらきらして、本当にきれいでした。
芝生の周りの透明感、葉一枚一枚にこぼれる雫、水の玉をうけて輝く躍動感のようなものを感じながら、私はずっと芝生を見つめていました。
何分たったころでしょうか?
人をひざまづかせるような、絶対的な美の前では、時間は止まるのではないかと思ったのです。
だって、私はいつまでもいつまでもずっとずっと、そこで芝生のみずみずしさを見ていたかったのですから。