神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
(ヨハネによる福音書 3:16)
かくも有名な聖書の言葉なのですが、
この事を深刻な気持ちで、深く思い巡らす人は少ないかもと思います。
イエスさまが、ご自分で十字架を選び取って、
私たちのために、命をお捨てになった事がインパクトが大きいので、
その陰で(実際は隠れてはいらっしゃらないのですが)、
ご自身の「ひとり子をお与えになった父なる神さま」の気持ちは、
どうしても後回し?になる可能性があるからでしょう。
ただ、賛美「父の涙」などの、
父なる神さまに焦点を当てるような曲を作詞作曲された方は、
ご自分のお子さんを失った人とか、大きな喪失を味わった人が多いと思います。
私が、初孫を抱き寝かしつけながら思ったことは、
「この子を(自分の子どもを)、いくら他者を救うためでも何でも、
誰かに与えることは、絶対に出来ない!絶対に!」と。
父なる神さまの強烈な心の痛みは、誰にも理解することは出来ないと思います。
理解出来ないからこそ、本物の神さまの愛の証拠だと言えないでしょうか?
私たちは誰も本物の愛を見たことはありません。
少しばかりの自己犠牲なら、たまに見るかも知れないですが、
ここまで本気の、本物の愛は理解し難いんです。
ですから、神さまがご自分の子ども(イエスさま)を、
私たちの救いのために与えられたと言う事実が、
どれほどのモノであるかを、信じがたいんですね。
しかし、だから神さまなんです!
もし、その事実を信じるならば、私たち人間は永遠の滅びから救われます。
ここに、人を造られた神さまの本気の愛があります!
神さまは、私たちが理解している以上に(当然ですが)本気なんです!
孫の寝顔を見ながら、父なる神さまの愛を思いました。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
(ヨハネによる福音書 3:16)
かくも有名な聖書の言葉なのですが、
この事を深刻な気持ちで、深く思い巡らす人は少ないかもと思います。
イエスさまが、ご自分で十字架を選び取って、
私たちのために、命をお捨てになった事がインパクトが大きいので、
その陰で(実際は隠れてはいらっしゃらないのですが)、
ご自身の「ひとり子をお与えになった父なる神さま」の気持ちは、
どうしても後回し?になる可能性があるからでしょう。
ただ、賛美「父の涙」などの、
父なる神さまに焦点を当てるような曲を作詞作曲された方は、
ご自分のお子さんを失った人とか、大きな喪失を味わった人が多いと思います。
私が、初孫を抱き寝かしつけながら思ったことは、
「この子を(自分の子どもを)、いくら他者を救うためでも何でも、
誰かに与えることは、絶対に出来ない!絶対に!」と。
父なる神さまの強烈な心の痛みは、誰にも理解することは出来ないと思います。
理解出来ないからこそ、本物の神さまの愛の証拠だと言えないでしょうか?
私たちは誰も本物の愛を見たことはありません。
少しばかりの自己犠牲なら、たまに見るかも知れないですが、
ここまで本気の、本物の愛は理解し難いんです。
ですから、神さまがご自分の子ども(イエスさま)を、
私たちの救いのために与えられたと言う事実が、
どれほどのモノであるかを、信じがたいんですね。
しかし、だから神さまなんです!
もし、その事実を信じるならば、私たち人間は永遠の滅びから救われます。
ここに、人を造られた神さまの本気の愛があります!
神さまは、私たちが理解している以上に(当然ですが)本気なんです!
孫の寝顔を見ながら、父なる神さまの愛を思いました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます