伯林寺の境内にある山頭火と緑平の二行彫りの句碑
山頭火の句碑が書かれた皆添橋のレリーフ
井上陽水の歌碑 ( 夏まつり )
句碑 「 逢ひたい捨炭山が見えだした 」 種田山頭火
井上陽水の歌碑 ( 夏まつり )
種田山頭火は、大正15年の45歳から亡くなるまでの15年間を
行乞 ( 托鉢 ) の旅に終始した俳人である。
自由律俳句の萩原井泉水主宰の俳誌 「 層雲 」 に属し、選者の一人で、
この15年間で詠んだ句は九千句余りにのぼる。
字数、形式にとらわれず、自由な表現で自然、心をうたった句を愛する人は今も多い。
逢ひたい捨炭山 ( ボタやま ) が見えだした
この句は、昭和5年11月29日、かねてからの俳友で後援者でもある木村緑平を
田川郡糸田町に訪ねた時の句である。
緑平は大正の初め、大牟田の三井三池鉱業所病院の病院長の時に山頭火と知り合い、
昭和2年に糸田町に移った後も、宿の提供はもちろん、
句集発刊や松山市の一草庵建設費用などの支援をした。
また、山頭火は旅先の日記全冊を緑平に託しており、
緑平はそれらを保存し、山頭火を世に出すための役割を果たした。
山頭火は糸田町の緑平宅を14回訪ねており、
町では二人の交友を記念して皆添橋に俳句のレリーフと二人の説明版を設置し、
さらに皆添橋から緑平の旧宅までの道を 「 山頭火漂白の道 」 として整備している。
ボタ山は、炭坑から掘り出された原炭から石炭を選び出した後のボタ ( 石炭かす ) を
ピラミッド型に積み上げて捨てたもので、小山のようになっている。
石炭全盛期は筑豊炭田に多数見られた。
山頭火が詠んだボタ山は、直方経由で糸田に向かう途中、
汽車の窓から見えて来た田川郡金田、方城町付近のボタ山らしいが、
今は住宅地などに変わっている。
「 逢ひたい捨炭山が見えだした 」 の句は、
山頭火の心の友だった緑平の 「 雀生れてゐる花の下を掃く 」 の句と
二行彫りの一基の句碑として、糸田町の伯林寺境内に建てられている。
ちなみに、山頭火の句碑は全国で増え続けているが、
生前は宗像郡玄海町神湊の隣船寺の 「 松はみな枝垂れて南無観世音 」 が
一基あるのみだった。
これは蛇足になるが、この山頭火の句碑の近くに
井上陽水の実家跡に陽水の歌碑 ( 夏まつり ) が建っている。
『 夏まつり 』
作詞 : 井上陽水
作曲 : 井上陽水
歌 : 井上陽水
十年はひと昔 暑い夏
おまつりはふた昔 セミの声
思わずよみがえる 夏の日が
ああ今日はおまつり 空もあざやか
自転車のうしろには 妹が
ゆかた着てすましてる かわいいよ
もらったおこづかい なくすなよ
ああ今日はおまつり 早く行こうよ
綿菓子をほおばれば すぐとける
友達もみんな居る 笑い声
道には並ぶ店 オモチャ売り
ああ今日はおまつり 何を買おうか
十年はひと昔 暑い夏
ふるさとはふた昔 夏まつり