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ガッツ法務大臣上川陽子

2018-07-27 09:35:19 | 時事問題 政治
7月6日の主犯格7人の死刑執行に続き、昨日26日に残りのオーム真理教テロの6人の死刑を執行した。1ヶ月に13人と騒がれるが、同一犯罪であるから、騒ぐことではない。なぜこの時期に?という疑問が出されるが、なぜ長く執行されなかったかという疑問がメディアから出ない。死刑の執行には大いなる決断が要るということだが、死刑の判決を与える方がもっと大きな判断である。実行されてからでは元に戻せないということが法務大臣には大きなプレッシャーになるとことはだれしも理解できる。でも死刑制度を有する法治国家を標榜する以上、職責があるわけである。

かつて小泉内閣の法務大臣となった杉浦正憲は、なった途端死刑はしないと発言して物議をかもし、あわてて前言撤回に走らされた。死刑執行のサインをしないのは仏教徒であるという個人の信条に基づくということであったが、それならば職責を考えて初めから法務大臣など受諾しなければよかったわけだ。発言撤回しても結局在任期間1年近くの間に死刑執行はなかった。税金泥棒とレッテルを貼られてよい輩だ。江田五月も法務大臣になって死刑執行をしなかった。左翼の臆病者の最たる仕業である。江田五月は参議院議長までやった人であるが、考え方がぶれるのは左翼とはいえ、政治家失格である。冤罪臭い事件の執行には慎重さがかなり入り込むことになるのであろうが、そこで冤罪というなら裁判段階で冤罪が議論されるべきである。法務大臣の死刑執行のサインの段階で、冤罪で悩んだという人には、お目にかからないだろう。

法務大臣上川陽子の死刑執行を粛々と行ったという言には、まさに粛々とした気持ちがにじみ出ている。ジャーナリスト江川紹子がテレビのインタビューに応えて、この時期に死刑を行ったことを国家が説明すべきというようなことを言っていたが、何を言いたいのかよく分からない。事件の全貌が明らかになっていない、なぜ優秀な若者が邪悪宗教に走ったのか解明すべきだ、教祖麻原彰晃から言質を取るべきである、など評論家は勝手なことを言う。江川紹子もその勝手なうちの一人にすぎない。若者がなぜ夢中になることになるか、それこそジャーナリストが追求してみる恰好の題材ではないか。一方では、ジャーナリストは、オームはテロであった、ISとどう違うのか、という課題についても追求していってよいだろう。

オーム真理教の一連の事件の裁判は2011年に終了して、年末に被告の刑が確定した。事件発生から23年というが、遅れて逮捕された者もいて裁判が長引く結果になっていた。刑が確定してから6年余の執行というのは、早くはない。なぜこの時期に執行かという一つの答えは、ガッツのある法務大臣の就任を待っていた、といえる。日本が日本のあるべき姿を見せるとい思いがある。日本の国家としての課題は、宗教を隠れ蓑にした国家転覆のテロにはもっと早く対処すべきであったことだ。メディアが協力的であってよいはずだ。

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