~風に吹かれて~ by ポー(paw)

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駒木諏訪神社(千葉県流山市)

2018-02-05 17:21:29 | ・神社・お寺

2018.1.28

千葉県柏市の「国立がん研究センター東病院」で肺がんの陽子線治療をしている知人のお見舞いの帰りに、流山の
駒木諏訪神社へ参拝に行きました。

参道入り口

一の鳥居 立派な狛犬ですね。

通称「駒木のお諏訪さま」と地元では呼ばれているそうです。入り口には大きな奉献馬の像も。

二の鳥居 一週間前に降った雪が未だ残っています。

予想以上に長く立派な参道でした。

凍っています。。。。

隋神門

隋神門のさらに内側の「神門」

神門の前の「諏訪之宮」・・・オシャレ門柱灯?ですね。神社とは思えませんね。

「おすわさま」という名で親しまれている諏訪神社

・社伝によると大同二年(807年)天武天皇の皇子であります高市皇子(たけちのみこ)の後裔が大和(奈良県)より
 関東に下向、この駒木を永住の地と定めて守護神として信州諏訪大社から額面を遷し祀(まつ)たのが創建とされて
 います。
・祭神は、「健御名方富命(たけみなかたとみのみこと)」で別に古事記や旧事記には「健御名方神」とも記されて
 おります。
 
・この神社の境内は約一万坪にして、うっそうと大樹が繁う千二百年の歴史を今に伝えております。

(境内の掲示より)

拝殿

拝殿には、たくさんの方がご祈祷に来られていました。立派な拝殿です。

御神水としてお水取りが可能です。古くより境内の杉の大木にある洞から湧く清水が信仰されており、江戸時代や戦前の
史料などにも、当社の清水の話が記されている事が多いそうです。この御神水は現在も大変良質な水だそうですよ。

拝殿前にある一対の狛犬は美術家・北村西望作。迫力のある個性的な狛犬ですね。

「源義家献馬」像 こちらも北村西望作(長崎の平和記念像の作者)。

平安時代末期の武将・源義家(八幡太郎)(1039年-1106年)が後三年の役で奥州に向かう際に立ち寄り、付近で軍馬の
調達をした。戦勝後の帰路、諏訪神社に立ち寄って献馬をしたという伝承がある。諏訪神社付近一帯は馬の産地であり、
のちに江戸幕府が軍馬牧場の小金牧として指定したが、その先史を伝えるとされる(諏訪神社の境内には「神馬の像」
および「馬を連れた源義家像」の2体の青銅像が置かれている。by wikipedia

この春初めてのサンシュユも^^

手水舎

日曜日の15時頃だったのですが、ホントにたくさんの方々は詣でていましたよ。

奥に本殿がちらりと望めました。

絵馬もすごい数です。流山を舞台にしたアニメの聖地でもあるようですよ。

収穫祭のときの奉納ですかね。

社殿の右手にはたくさんの境内社が整備されていました。

境内社の姫宮神社、雷神社、天神社、国魂神社は、諏訪神社の近くにあったようです。
他に稲荷神社、恵比寿神社、招魂之社、大鳥神社。

境内には、たくさんの像や石碑がありました。

地域に密着し、とても溶け込んでいる空気・空間でした。溶け込むというよりも、この神社を中心に周りが形成されている
くらいに感じましたよ。地形的には分水嶺にあたる台地上との事。縄文後期から人々は暮らしていたようです。今となっては
グーグルマップ航空写真を見ても良く分かりませんが。。。。ふらりと訪ねましたが、良い神社でしたよ^^

現利根川水系(利根川東遷事業前は鬼怒川水系)と現江戸川水系(同事業前は太日川・渡良瀬川水系)の分水嶺にあたる
台地上にある。境内には「諏訪神社遺跡」が存在しており、縄文時代後期から人が居住していたことがわかっている。
by wikipedia


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