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ユトリロ MAURICE UTRILLO - PEINTRE HONNETE ET SINCERE

2005-09-19 14:45:59 | 展覧会

昨日の朝、NHK-ETVの新日曜美術館を見る。

モーリス・ユトリロ Maurice Utrillo (1883-1955)

ユトリロといえば、生まれ故郷のモンマルトルを描き続けた画家、余り変わりばえのしない絵を描く画家という程度の印象しか持っていなかった。もう忘れかけていたが、先日見たモディリアーニの映画では、苦境のモディリアーニに友情の手を差し伸べる印象的なシーンがあった。また本棚を見てみると、少しは興味があったのだろうか、「ユトリロと古きよきパリ」という小さな本が見つかった。

彼の人生は、結局のところ彼の母親との関係に集約されるようだ。母親はマリー・クレマンチーヌ・ヴァラドン Marie-Clémentine Valadon。後にシュザンヌ・ヴァラドン Suzanne Valadon と改名して画家を目指す。実の父親はわかっていないようだ。シュザンヌも私生児として生まれている。この母親は恋多き女で、昼はアトリエ、夜は男と街に出るという生活。ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) のモデルをしたことから関係ができる。また、エリク・サティー (1866-1925) の愛人でもあったという。ということで、ユトリロは孤独に苛まれてか、酒に溺れるようになる。母親に刃物を向けたことをきっかけに精神病院へ。集中できるものが必要とのことで、母親は絵筆とパレットをユトリロに与える。これが彼を救うことになった。描いている間は症状は治まり、また母親に褒められることで母親との繋がりを見つける。

ゲストの浅田次郎によると、芸術家は自己と対峙せざるを得ない孤独な作業を営みとしているので、多かれ少なかれ母親と向き合うことになるという。

モディリアーニとは22歳の時に知り合いになっているようだ。ユトリロにとって衝撃的な事件が起こったのは20代半ば。彼の唯一の友人であるアンドレ・ユッテルが母の夫となるのである。それ以来、引き篭もりがひどくなり、当時沢山出ていた絵葉書を参考にして彼独自の詩情溢れるパリの世界を開く。「白の時代 Période Blanche (1910-1914)」の始まり。壁の質感を出すために、漆喰、卵白、苔などなどを塗りつけるという工夫をしていたようだ。

その後も入退院を繰り返したようだが、退院後は絵を描ける喜びのためか、絵は明るく変化してくる。太陽や自然に夢中になったようだ。このころから世間的に認められるようになる。「色彩の時代 Période Colorée (1922-1955)」。

51歳で、12歳年上の女性と結婚し、パリ郊外のル・ヴェジネ Le Vézinet で生活。モディリアーニの映画にも描かれていたように、ピカソ、マティスなどが華やかな活躍をしていたパリの流れにはお構いなしに、自分の昔の作品を、失われ逝くモンマルトルの風景を懐かしむかのように模写していたという。結婚した3年後の1938年に母親が72歳でなくなり、以後は祈りの生活を送ったようだ。

最晩年の1955年に、パリ市が彼への感謝の気持ちの表現として、「パリが彼を愛していることを伝えるために」、彼に4点の作品を委嘱した。この話を聞いて、ある感動を覚えていた。その作品2点がパリ市庁舎(?)に飾られている。いずれも素朴で、とても澄み切っていて、私の中に一番すんなり入ってきた。気に入った作品になった。残念ながら手元の本にはないので記憶に頼るしかないが、ふんわりと浮かんだ雲と空の下に人がのんびりと歩いている街並みを描いたものと冬のエッフェル塔である。この二つの絵を見て、この画家が最後にたどり着いた心の中がわかったような気がした。その絵を完成した2ヶ月後に71歳で亡くなる。最後は平穏な気持ちでいたのではないだろうか。

浅田次郎は、彼は自分の世界を、誰とも付き合わず描き続けた人で、幸福な画家ではなかったのか、そうすることができた人が幸福でなかったはずはない、と締めくくっていた。私もそう思いたい。

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6 コメント

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ユトリロ (dognorah)
2005-09-22 07:23:39
昔からユトリロは好きでしたが伝記を読んだことがなく、詳しい生涯については初めて知りました。また彼の絵の独特の暖かいモンマルトルの壁を模写したことがありますがどうしてもあの質感は出せませんでした。ちゃんと工夫して描いていたのですね。

いい話を読ませていただきました。
コメントありがとうございます (paul-ailleurs)
2005-09-22 20:55:40
私も彼の人生を眺めたのは初めてでした。この地球上には様々に生きて逝った人が溢れているようで、興味が尽きません。また少しずつ、画家が必死になり自分の求めるところを追求しているのだということがわかるようになり、こちらにも好奇心を掻き立てられています。

Unknown (Julia)
2005-09-25 01:36:50
Paul様



コメント&TBをありがとうございました。



私もこの番組を見てメモを取りましたが、Paulさんがとても素敵に書いてくださったので、私のページからリンクを貼らせていただきます。



ユトリロ展へ行きましたら、ヴァラドンの伝記のような本を販売していて興味が惹かれましたが、3,000円もしたのでちょっと躊躇しました(^_^;



ユトリロにとってはマリア様のような存在でしたのに、今日のテレビでは最後まで利用されていたような冷たい母親に写っていましたね
Unknown (paul-ailleurs)
2005-09-25 10:41:56
コメントならびに拙ブログを紹介していただき恐縮しています。またユトリロ展の開催も知ることができ、どんな絵を描いていたのか見てみたくなりました。いつか彼の最晩年の絵に触れてみたいものだとも思っています。

幸せな孤独 (code_null)
2005-10-05 23:34:33
>浅田次郎は、彼は自分の世界を、誰とも付き合わず描き続けた人で、

>幸福な画家ではなかったのか、そうすることができた人が幸福でなかった

>はずはない、と締めくくっていた。私もそう思いたい。



本当に。対・人という意味では波乱万丈な人生だったようですが、絵を描いている

ときはひっそりと幸せな孤独の時間を過ごされのだと思いたいです。
コメントありがとうございます (paul-ailleurs)
2006-01-20 09:24:23
季節はずれ?になり、失礼しました。本日、このページにTBされた方がいたので読み直してみて、code nullさんのコメントに気付きました。



この記事の最後のところは、気に入っているところです。彼の人生をそう見ると救われるという気がしますが、もっと積極的に言うと、そういう世界を自分の中に持てるということは(こそ)、幸せ(の一つ)ではないかと思えてきます。

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