フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

「美しきもの見し人は」  YOSHIE HOTTA - UN ECRIVAIN MEDITATIF

2005-08-30 21:06:04 | 日本の作家

本日、お昼の散策を再開。バスを待つ間にちょっと寄った古本屋で最初に目に入ったのが、堀田善衛氏の「美しきもの見し人は」 (朝日選書、1995年) であった。美術評論のような感じで、ジョルジュ・ラ・トゥール、ガウディ、フランシスコ・デ・スルパラン、La Douce France (美し、フランス)、ワットオ、など今までに触れたことのある芸術家やお話が出ていた。ラ・トゥールのところを読んでみると、これまでとは違い、自分でも美しきものを少しだけ見ることを始めていたせいか、話の内容がどんどん入ってくる。迷わず買ってしまった。400円也。

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「トリスタン Tristan」

美はしきもの見し人は、
はや死の手にぞわたされつ、
世のいそしみにかなはねば、
されど死を見てふるふべし
美はしきもの見し人は。

愛の痛みは果てもなし
この世におもひをかなへんと
望むはひとり痴者ぞかし、
美の矢にあたりしその人に
愛の痛みは果てもなし。

げに泉のごとも涸れはてん、
ひと息毎に毒を吸ひ
ひと花毎に死を嗅がむ、
美はしきもの見し人は
げに泉のごとも涸れはてん。


 アウグスト・フォン・プラーテン
 August von Platen (1796-1836)
  (生田春月訳)
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東が西を理解できるのか?という問題はわれわれの前に大きく横たわっているのだろう。ヴァレリーの言うヨーロッパを構成する 「ギリシャ」、「キリスト教」、「科学精神」 の三大要素が、日本には、東洋には揃っていないと感じる時、この問題が壁のように立ちはだかる。揃っていないので、勉強しなければならない。美に出会った時の感動が努力の報酬という構造になっている。

しかし堀田は、できるだけ努力しない、勉強しないで、その場に身を置いた時にそれまでに蓄積されているもの(東であろうが西であろうが)から湧き出てくるものを、彼が言うところの「現場の思想」を再構成しようとした試みが本書になったという。

この姿勢が大いに気に入った。言葉として意識はしていなかったが、最近始めた、敢えて言えば「美との出会い」で、私が取ってきた姿勢と重なるものがあったから。まず出会いありき、その時に生まれる自分の中の揺らぎをじっと観察するという。

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ラ・トゥールに関する章から

「絵を見る、あるいは見た、ということは、実はそういう自分一個では処理も始末もしかねる部分を、相手によって、自分の内部にもたされることをいうのである。芸術経験とは第一義的にも最終的にもそういうものなのであって、何でもすぐに処理し始末し、説明までをし出す三文評論家のようなことになってはならないのである。」

「この一枚の絵 (新生児 Nouveau né) を見るためにパリから汽車に乗ってレンヌまで行き、さして大きくもない、タテ76センチにヨコ92センチのこの絵の前に立って、私はやはり来てよかったと思ったのであった。
 はじめにも言ったように、私は漠然とした関心をしかもっていなかったのであるけれども、現物の前に立って、やはり心を動かされた。キリストを心にもちながらも、新生児というものを医学的なまでにもレアルに描いているその嬰児像、目を伏せて見守る若い母親、それと右手をあげて蝋燭の光りをさえぎっている女との、この三つの存在をじっと見詰めていて私は、ああ人間が生まれるとはこういうことだったのか! とつくづくと思いあたったという思いにうたれた。」

「ところで、ここで一つ申し添えておかなければならぬことは、先述のル・マンの『聖フランシスの法悦』に、またルーヴルの『夜伽をするマドレエヌ』にも見みられるように、聖フランシスもマドレエヌも人間の骸骨をなでまわしている。これは、ラ・トゥールやレンブラントなどの同時代人であるイグナチオ・デ・ロヨラの教えによって、個室に閉じこもって瞑想に沈み、深き真理に到達するために、光りによって気を散らさぬよう骸骨をなでている、という、当時の宗教的流行に従ったからのことであるらしい。」

「彼の蝋燭や炬火の光りを中心として描かれた作は、パン屋の息子として育った少年時代の、パン焼竈の火の色が原記憶となって生成してきたものではなかったかと、というのも私の想像の一つである。」

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
ラ・トゥール展にて

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本棚に目をやると、彼の本がまだ手付かずで長い眠りについている。いずれ時間をつくって読んでみたい。

「ミシェル城館の人」 (集英社)
「ラ・ロシュフーコー公爵傳説」 (集英社)

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