扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

レプリカの宝庫 -佐倉国立歴史民俗博物館-

2011年08月03日 | 街道・史跡

歴博をみていく。

第1展示室は原始・古代である。
歴博は上野・京都・博多の博物館のように「真モノ」を抱えている訳ではない。
よって歴史そのものの解説や解釈をどうするかが焦点になる。

原始から古代という時期に日本で起きたことは狩猟から稲作への転換。
これが日本という国のあり方を決定づける出来事であったことはいうまでもない。
逆にいうと狩猟段階にあった我々先祖のありさまというものに興味がある。
原始日本人の遺物として私が好きなのは火焔型土器と土偶、ささやかなミニチュアではあるがそれらは一覧で展示されている。

また前方後円墳の模型として箸墓古墳が半分に割った形で再現されている。
半分が現状、半分が樹木のない当初の姿になっている。
今みる古墳はほぼ全てが自然のなりゆきにまかされているため原生林化して往時の姿を失わせている。
古墳はそもそも整然と整地された人工造形物であった。
もしも日本の古墳がそのまま残れば大阪南部や奈良はエジプトのピラミッド地帯のような様相を呈するであろう。

もっとも我々のご先祖が草刈りを営々とやれと言った訳でもないし、その目的はあくまで「墓」なのであるから部下材として丸裸にするわけにもいくまい。
安土桃山の城とはちょっと条件が違う。

第2展示室は中世になる。
中世とは武士の時代である。
武士は公家の世界からは隔絶した「律令の用心棒」としてスタートした。
奈良平安時代はその意味で中央政権のシビリアンコントロールが効いた時代ともいえる。

動物の性として強いものが上に立つ。
人の上下が生まれとか徴税権というものであったうちは用心棒はおとなしくしているが世が乱れるとケンカに強いものは目覚めてしまう。
こうして源家と平家が登場する。
また中央から遠い地方から武家勢力が勃興するのは自然な流れであった。

展示でおもしろいのはここでは各階級の「家」を再現している。
公家屋敷もあれば土豪の屋敷もある。
一乗谷の朝倉屋敷や京都の町屋敷がある。

家の模型を見ていて思うのは「日本人の家は慎ましいなあ」ということである。
公家こそ立派な(といってもグローバルに考えればふつうの家)屋敷に住んで庭に水などひいて遊んでいるが、民衆は板葺きに風よけの石をのせ、板敷の部屋に寒々と住んでいる。
土豪も掘っ立て小屋に毛の生えたような屋敷に水壕をめぐらせるばかりで戦国大名とはこうした社会から出発しているのである。
日本の中層階級が瓦の屋根を持ち畳の上の生活をするのは江戸時代を待たねばならない。

展示に「朱印船の模型」がある。
日本が中国やインドのようなアジア大帝国を築かなかったのはひとえに「国際貿易をしなかった」からといえる。
他の経済圏と文物の交換をやらなければ、自国の中でぐるぐると米野菜を回しているだけであって富は増えない。
日本の文化とは平清盛の対宋貿易、足利家の朱印船貿易など時代をブレイクする際には貿易がある。
その最も華やかなものは戦国時代に大名たちが南蛮と交易をやったことで秀吉の安土桃山文化で昇華する。

第3展示室は近世である。
家康が基礎を築いた江戸時代のことである。
「北前船」の模型があるが朱印船よりも相当に小さい。
北前航路が開かれたことで北方の産品が上方に流れることになり商品経済が花開いていく訳であるが支えた物流基盤がこんな小さな船であったというのが感慨深い。

江戸図屏風があった。
ここには五重の天守を持つ江戸城が描かれている。
城下も日本の首都としての格をようやく表している。
他に江戸期に作成された日本地図が数点展示されており時間があればいつまででもみていられるようなモノである。

第5展示室は近代、明治から昭和初期、ようやく現代への予感が出てくる。

そして最後の第6展示室が現代。
この時代は戦争の時代でもあった。
軍事マニアとしては三八式歩兵銃の実物、持ち上げてみると相当重い。
使用時で約4kg、大きいノートパソコンを抱えて走っているようなものであろう。
菊の花付きのこんな重いものを日本の兵隊さんは持って太平洋に散らばったのである。

佐倉には歩兵第二連隊が駐屯していた。
佐倉城に陣取っていたその姿が再現模型になっている。
これが最大の収穫、佐倉藩時代の建物は全て撤去されているが縄張はよくわかる。

歴博があるところはかつて椎木曲輪という広大な曲輪であった。
そこから本丸方向に幾重もの空堀がめぐらされ、天守側には水堀と出丸、帯曲輪が陸軍時代にも残っていたことがわかる。
欲をいえば藩政時代の城郭再現模型を置いて欲しかった。

現代の展示は日清から太平洋戦争、戦後の復興と続いていく。

展示を終わる最後の扉の脇には何と「ゴジラ」。
これはこれでトピックではありゴジラが原子力開発へのアンチテーゼではあったわけだがコレで終わるのもどうかと思う。

さて雨も止んだようで佐倉城址をみる。
 
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歴博エントランス
 

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土偶、本物の持つオーラはない

 
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箸墓古墳
 

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中世武士の館
 

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朝倉氏館
 

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京の町家、信長秀吉時代はこうであった
 

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室町時代の朱印船
  

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江戸図屏風、江戸城部分
 
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陸軍第二連隊時代の佐倉城


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ゴジラに見送られて展示が終わる 




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