扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

会津から山形探訪五日目 #26 山形城あれこれ

2009年06月01日 | 日本100名城・続100名城

立石寺から山形市内に戻った。

山形市役所に少し取材に行った後、山形城へ。

今日は資料館が閉まっているので写真を撮るだけの散歩。

山形城は最上氏の居城として使われ、関ケ原後に最上義光が57万石の大名となると身代にふさわしい城郭として大規模に拡張した。

平城で上方風に水堀で囲まれた方形の縄張をしている。

城下町は山手の方に築かれ町方の方が城より高いところにある珍しい構成になっている。

二の丸大手門が1991年に復元、さらに復元が進んでいく予定。

最上氏が義光の死後御家騒動で没落すると所領は分割され山形藩の規模が縮小、鳥居家が20万石で入った。

鳥居家が断絶すると保科正之が寛永13年(1636)に高遠3万石から大幅加増で入封、正之は将軍家光の実弟であることから大いに期待されての登用である。

正之は山形で藩政改革に取組み、実績を上げて評価を高め会津23万石に異動、以後は譜代の腰掛けとなってキャリアパスのひとつになっていった。

せっかくの巨城は財政を悪化させる悩みのタネ、維持に難儀したという。

 

訪ねてみれば復元された大手門は風格があり桝形も上方の城と全く遜色ない。

二の丸の外に水堀が残されていていかにも本丸のようにみえるが、往時は内側にもうひとつ水堀があって本丸を形成していた。

今では野球場ができてしまったことから面影もない。

しかしこの城の魅力は何といっても最上義光像。

文句なしに美しくみているこちらも気分が高揚する名作。

躍動感を生み出すポイントは乗馬が2本足で立っているところ。

いかにも重心が高くなり強度上やりたくないデザインであるが見事に安定した姿勢である。

夕暮れの中、野良ネコたちと一緒に見惚れた。

 

 

 


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