羽黒山に向けて走っていると巨大な赤い鳥居が出現。
これが羽黒山の一の鳥居、その先の山が羽黒山。
境内の案内板をしげしげとみると三神合祭殿までクルマで登れることがわかったので一度引き返してくることにする。
駐車場のすぐ先が随神門、くぐるとそこから先は深い杉林の中。
木漏れ日に緑が映えて神々しい。
最近雨でも降ったのか一帯がしっとりとしており小川がそこかしこに流れている。
羽黒神社は羽黒権現を祀る。
由緒は社殿によればこう。
神代の人が火山活動が続く出羽三山に神を感じていた。
推古元年(593)、蘇我氏の横暴によって暗殺された崇峻天皇の遺児、蜂子皇子が海路はるばる逃れてきて3本足のカラスに導かれて羽黒山にたどり着き修行を積んでいた。
皇子はついに伊氏波神(いではのかみ)を感得、羽黒山に出羽(いでは)神社を祀った。
「出羽国」はこの羽黒権現が起源にあることになろうか。
伊氏波神は五穀豊穣、大漁満足、人民息災、万民快楽などをもたらす神として敬われた。
西国の農耕など最新技術が導入された経緯を皇子に仮託したのかもしれない。
羽黒山の出羽神社は伊氏波神と稲倉魂命(うかのみたのみこと)、月山神社は月読命、湯殿山は大山祇命と大己貴命(オオクヌヌシ)と少彦名命の三神を祀る。
その後、出羽三山は修験道の聖地として大いに栄えた。
羽黒山は現世利益をもたらし月山で死の世界に入り、湯殿山で再生する「三関三度の霊山」となった。
神仏習合や修験道と密接な関係にあるのが空海、今は五重塔が残るのみであるがかつては一帯に伽藍が林立していたのであろう。
国宝五重塔は少し下ったところにあって杉木立の間から徐々にみえてくる。
周囲に目立つ建物がない中に塔のみがぽつんと立っている様は詩情をくすぐられる。
修験道と真言密教が合体した京でいえば醍醐寺のような有様を想像したくなる。
傍に樹齢千年を超えるという「爺杉」。かつては「婆杉」もあったらしいが台風で倒れた。
五重塔から羽黒神社に到る参道は一ノ坂から登りになる。
御堂や滝などが点在していかにもパワースポットといえそうだが、今日は楽をするため引き返しクルマで上まで行く。
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