18回目のコラムのテーマは徳川家の御用船。
このテーマを思いついたのは名古屋港で海王丸を見たこと。
全長約100mの優雅な姿を眺めているうちに船のスケール感を考え出した。
戦艦三笠は130mでこれの3割増し、大和は全長263mであるからこれの2.6倍。
帝国海軍の軍艦でいうと一等駆逐艦が同サイズである。
それを思うと大和がいかにでかいかよくわかる。
コラムで戦艦話をする訳にもいかないので昔の船のサイズを少し勉強した。
江戸時代の日本最大の船は当然、将軍家が持っていた。
「安宅丸」といい全長は62mと想定されている。
戦国水軍の船しかみたことのない当時の人にとって「山のような」圧倒的な存在感だったのだろう。
あまりに巨大なため、200人で漕いでものろのろとしか進まず、実戦では役に立たない代物であり、城の天守と同じ目的、すなわち威厳を示すためにのみ建造された。
発注者は将軍家光、この人は父秀忠へのコンプレックスを「大きいものを持つ」という信念に変化させた。
天守しかり東照宮しかり。
海上に安宅丸を浮かべて憂さを晴らした。
江戸時代の人々は海王丸や横浜の日本丸の大きさで「たまげた」。
大きさとは権力のシンボルである。
船でいえば今世界最大の船たちはもはや軍艦ではない。
米国海軍の空母が300m超、しかし豪華客船すら空母よりも大きく、資源を運ぶ輸送船は400m級がゴロゴロしトップは500mになりなんとしているらしい。
昔の人はささやかだったなあというのは愚かなことで、巨大建造物はピラミッドしかり万里の長城しかり古墳しかり。
古代の人々のスケール感はさらにすごい。