御直披と書いて「おんちょくひ」と読むそうだ。
意味としては手紙の「親展」と同じだが、あなただけに‘読んで欲しい’という、親展より強い意味のようだ。
この頃、この御直披という本と、「『大東亜戦争の真実』東條英機宣誓供述書(東條由布子編)」を同時並行で交互に読んでいる。
どちらも、かなり重い内容の著書であるが、想いの外スピーディに読書が進む。
なぜだろう。
おそらくであるが、御直披は右脳で読み、大東亜戦争の真実は左脳で読んでいるような気がする。
したがって交互に読む事で、左右それぞれの脳に休息を与え、結果として二冊の同時並行的な読書が楽しめるのだろう。
御直披の内容は、レイプ被害者がその苦悩を婦人警官との手紙の交換で克服していくもの。複数の男に犯される状況が克明に描写されている。だから感性をつかさどる右脳で読むのだと思う。
一方、大東亜戦争の真実は開戦間際の緊迫状況を、時系列に説明して行く。これを読むには論理的に処理する左脳が働く。
この脳の働きは男女の違いにも似ている。男は(理論的)左脳を主に使い、女は(感情的)右脳を主に使って行動するといった研究結果が多いようだ。
「話を聞かない男 地図を読めない女」という著者がベストセラーになったとおりである。
ここで「男女共同参画」が斬られる番だ。
男女共同▲ではジェンダーという定義がある。
ジェンダーとは「文化的・社会的に作られた性差」となっている。(二戸市男女▲行動計画,資料6,用語解説,3ジェンダー参照)
裏返せば、性差とは文化的・社会的に作られた為、「女は女らしくなく、男は男らしくなくて良い!」になる。
そんなアホな。
脳の話で、決定的な誤りが存在するにも関わらず文化的・社会的に作られた・・・が踏ん張る。
このことをもとに、二戸市男女▲では「家庭における共同参画の意識づくりが必要※」という項目の中では、「・・・生別による違いを強調する弊害・・・」といった表現で性差否定の必要性を訴えている。
「~違いを強調~」といった表現を使うなどワーキングの話し合いで柔らかい表現に落着いた訳でもあるのだが。
(※「家庭における共同参画の意識づくりが必要」は二戸市男女▲行動計画,第2章,基本目標Ⅰ≪課題≫①参照)
だが、そもそもの性差否定には変わりはない。
そしてこの根拠として、男女▲基本法第二条二項の「積極的改善措置」が存在する(二戸市男女▲行動計画,資料2,基本法参照)。
ここで言いたいことは、そもそも論とは別次元のような話題展開を繰り広げるなということだ。
そして「男女の思考を織り交ぜ素晴らしい男女共同参画社会を築こう」と訴え、「施策が素晴らしく良い結果が出た」と言い、そもそもの理念である性差否定を消し込もうとする以上、これを認める訳にはいかない。
そうした入口の大間違いを批判している訳だ。
だが、「文化的・社会的に作られた・・・」が今日も踏ん張る。
インターネットラジオ番組
「シティ・知てぃ!(City_city)」←クリックして聴いてください。
≪最新の番組は10月14日公開「カルちゃん・マイちゃん初レポート『涌口倶楽部』」です。≫
製作者のページ「Sawacchi!」 へ
※前回の記事で、二戸市の計画が「あたかも全てがスウェーデンの真似をしている」と受取られかねない表現となっておりましたが、会議中三回ほど「スウェーデンでは」という発言を聴いた結果を記したことの表現です。
またスウェーデンのほかにノルウェーも先進地の事例に加わるとのことです。
いずれもご指摘に基づき、ここに追記致します。
意味としては手紙の「親展」と同じだが、あなただけに‘読んで欲しい’という、親展より強い意味のようだ。
この頃、この御直披という本と、「『大東亜戦争の真実』東條英機宣誓供述書(東條由布子編)」を同時並行で交互に読んでいる。
どちらも、かなり重い内容の著書であるが、想いの外スピーディに読書が進む。
なぜだろう。
おそらくであるが、御直披は右脳で読み、大東亜戦争の真実は左脳で読んでいるような気がする。
したがって交互に読む事で、左右それぞれの脳に休息を与え、結果として二冊の同時並行的な読書が楽しめるのだろう。
御直披の内容は、レイプ被害者がその苦悩を婦人警官との手紙の交換で克服していくもの。複数の男に犯される状況が克明に描写されている。だから感性をつかさどる右脳で読むのだと思う。
一方、大東亜戦争の真実は開戦間際の緊迫状況を、時系列に説明して行く。これを読むには論理的に処理する左脳が働く。
この脳の働きは男女の違いにも似ている。男は(理論的)左脳を主に使い、女は(感情的)右脳を主に使って行動するといった研究結果が多いようだ。
「話を聞かない男 地図を読めない女」という著者がベストセラーになったとおりである。
ここで「男女共同参画」が斬られる番だ。
男女共同▲ではジェンダーという定義がある。
ジェンダーとは「文化的・社会的に作られた性差」となっている。(二戸市男女▲行動計画,資料6,用語解説,3ジェンダー参照)
裏返せば、性差とは文化的・社会的に作られた為、「女は女らしくなく、男は男らしくなくて良い!」になる。
そんなアホな。
脳の話で、決定的な誤りが存在するにも関わらず文化的・社会的に作られた・・・が踏ん張る。
このことをもとに、二戸市男女▲では「家庭における共同参画の意識づくりが必要※」という項目の中では、「・・・生別による違いを強調する弊害・・・」といった表現で性差否定の必要性を訴えている。
「~違いを強調~」といった表現を使うなどワーキングの話し合いで柔らかい表現に落着いた訳でもあるのだが。
(※「家庭における共同参画の意識づくりが必要」は二戸市男女▲行動計画,第2章,基本目標Ⅰ≪課題≫①参照)
だが、そもそもの性差否定には変わりはない。
そしてこの根拠として、男女▲基本法第二条二項の「積極的改善措置」が存在する(二戸市男女▲行動計画,資料2,基本法参照)。
ここで言いたいことは、そもそも論とは別次元のような話題展開を繰り広げるなということだ。
そして「男女の思考を織り交ぜ素晴らしい男女共同参画社会を築こう」と訴え、「施策が素晴らしく良い結果が出た」と言い、そもそもの理念である性差否定を消し込もうとする以上、これを認める訳にはいかない。
そうした入口の大間違いを批判している訳だ。
だが、「文化的・社会的に作られた・・・」が今日も踏ん張る。
インターネットラジオ番組
「シティ・知てぃ!(City_city)」←クリックして聴いてください。
≪最新の番組は10月14日公開「カルちゃん・マイちゃん初レポート『涌口倶楽部』」です。≫
製作者のページ「Sawacchi!」 へ
※前回の記事で、二戸市の計画が「あたかも全てがスウェーデンの真似をしている」と受取られかねない表現となっておりましたが、会議中三回ほど「スウェーデンでは」という発言を聴いた結果を記したことの表現です。
またスウェーデンのほかにノルウェーも先進地の事例に加わるとのことです。
いずれもご指摘に基づき、ここに追記致します。
ハッキリ言って私には
な ん の こ と だ か さ っ ぱ り
ただ、ジェンダーについての問題は少しなら知っています。
私がジェンダーという言葉を初めて知ったのは金八先生でした。身体は女性だが、精神は男性の生徒(上戸彩)の悩みが柱としてあったシリーズでした。(後にも先にもちゃんと見た金八はこれだけ)
しかしいま世界で叫ばれるジェンダー問題の真芯はここではない、と私は思います。
[生物的]
生命(種)の連続性を保つためのシステムとしての役割(変えることはできない。)
[社会的]
それぞれの文化の中で形成されてきた性概念。(文化によって様々。よって可変である)
どっちもあっていいと思う(生物的性別は良いとか悪いとかの問題ではないが)。
現在の日本を考えてみる。
女性の社会進出が進んでいる(らしい)。だが賃金格差が激しい。
共働きの家庭がふえた。しかし家事労働、育児は未だ女性の負担が大部分。
………………
小学校、中学校で家庭科の教科を好きか嫌いかというアンケートを取った結果、嫌いと答えた女子の理由のなかに次の様なものがあったらしい。
「わたしは手先が不器用なので料理や裁縫が苦手だ。しかし女だからできるだろうと周りは私を見ている気がする。そのギャップがいやだ」
ジェンダーフリーと言うとき、何をまずフリーにするのか。
女性に生まれたが為に理不尽な損害を被る様なシステムとイメージを解放(フリーに)する。
※当然、男性側にも同じことが言える。
っと、おもうなぁ。ここに書くべきことでは無かったかな?
徒然なるままに…
若者さんの言われたことは、全くその通りですべて
正論だと思います。
さらに「な ん の こ と だ か さ っ ぱ り」と、
仰られてますが、その「さっぱりとは「解らない」
なのか、「(沢田の理論が)理解できない(賛成で
きない)」なのか、分りませんでした。
おそらく、後者であろうと思うのですが、ここでは
議論を控えたく存じます。
そして、次回以降の記事に若者さんのご意見を紹介
しながら、持論を展開したり識者の意見を紹介して
行きたいと思います。
つきましては、その都度コメントを賜わり、意見交
換をさせて頂ければと思います。