チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「ベートヴェン『交響曲第7番』の『ポーコ・ソステヌート』」

2009年11月11日 23時53分40秒 | 内緒鏡で覗くイ長科クリニック
["Poco sostenuto" in Beethoven's Symphony No.7]

今、インフルにはエンザがつきものだったり、
また付かなかったりもするが、かつて、
刑罰には「縁坐」という制度があった。
犯罪者の親族にまで刑罰を科すものである。現在は、
採用されてない。が、たとえば、
工事現場のリンジー雇いに身を隠してた
市橋容疑者の場合、「親の顔が見たい」
という言葉の重みを痛感する。
ああいう親なら殺人を平気で犯す倅もありなん、である。
あの日本人離れしたロバヅラのY染色体だけでなく、
邪悪なふてぶてしさを共有する親子関係と、
やはり日本人離れした容姿・態度母親の、
「似たもの夫婦」のいけしゃあしゃあとした会見での
その言い草ときた日には、
縁坐制が理にかなってないものでもないと
思わされる。こいつらは、
被害者をはじめ、他人のことなど、
屁とも思ってないのである。こんなのが
医師・歯科医師などやってるのである。
そら恐ろしくなる。それにしても、
千葉大園芸学部は殺人鬼も排出すれば、
殺人の被害者となったキャバクラ嬢も通う、という
類稀な醜聞が重なって全国に名を知られ、
気の毒である。
「丘の上。雲母の色の、江戸川の、
 見ゆるあたりの、一むらの罌粟」
「うすものの、女の友を、待ちえたる、
 松戸の丘の、ひなげしの花」
与謝野女史のこの素人なみな歌二首も
似つかわしく響いてくる。この場合、ケシは
乾燥大麻のことではない。が、まぁ、
福田萌女史と小林麻耶女史の顔を区別できず、
フェドセーエフとオシムの顔さえ見わけれない愚脳なる私の
感想にすぎない。ときに、
間奏というよりは、
シューマン(3番1楽章)やブラームス(1番3楽章)に「引用」された
ベートヴェンの「交響曲第7番」の第1楽章の序奏は、
メトロノーム表示で[4分音符=69]というのだけが
テンポを計りうるすべてである。標語はただ、
Poco sostenuto(ポーコ・ソステヌート)、とだけ記されてる。
杓子定規には「ちょっぴりと・音を保って」
……ちんぷんかんぷん、である……だから、
ベートーヴェンの頭は計り知れない、
ということになってしまうのである。
しょっぱなの4分音符へのスタッカートや、
10小節めからの弦そして木管とホルンへの
16分音符へのスタッカートのオンパレードなど、
に見られるように、
この指示が「音を充分に保つ」
などというものでないことは明らかである。
ベートーヴェンはこの指示によって、
4/4もしくは2/2拍子の
[強-弱][強-弱-中強-弱]
というようなリズムを抑えてほしかった、
のである。なぜか?
不滅の恋人を想って創造した
主部vivace(ヴィヴァーチェ)の律動感との
コントラストをくっきりさせるためである。
主部になだれ込む直前の、
54小節からの実質ホ長調の(*)
****♪ドーーー・ーーーー・・<ミーーー・<ソーー>ファ│>ミー○○・♪
のアーティキュレイションは、
****♪ドーーー・ーーーー・・<ミーーー、<ソーー>ファ│>ミー○○・♪
とするのが「普通」である。しかるに、
ベートーヴェンはこのようにスラーを記してる。
****♪ドーーー・ーーーー、<ミーーー・<ソーー>ファ│>ミー○○・♪
こうすることによって、
完璧に拍子のリズムをなし崩しにしてるのである。そして、
[6/8拍子]の附点音符の躍動と対比させる。
****♪ソーーーーー・【ーーー>ファ>ミー】│<ファーーーーー・【ーーー>ラ<シー】│
  <ドーーードー・【ドーー<レ<ミー】│ミー>レーーー・【ーーー<ミ<ファー】♪
しかし、この主題においもベートーヴェンはこの
【ターータター律動】を、強拍(第1拍群)ではなく
弱拍(第2拍群)に集中させてるのである。ときに、
ヴェーバーはこの楽章終いの半音階下降バスを聴いて
「ベートーヴェンは精神病院行き」と言ったそうであるが、
数年後には「華麗なるロンド(舞踏への勧誘)」で、
この【ターータター律動】を存分に踏襲してるのである。

(*)この54小節からの実質ホ長調の
****♪『ドーーー・ーーーー、・・<ミーーー・<ソーー>ファ│>ミー○○・』♪
であるが、こういう箇所で和声的特定を
ベートーヴェンは故意に避ける。第九の冒頭も、
第2音(h)を使わないので、実質イ短調なのに、
「ニ短調」と言い張る御仁もある。が、
属調→主調、あるいは、下属調→主調、
というのは「劇音楽」での常套である。
ベートーヴェンは「交響曲第7番」を、
「不滅の恋人」を想って創りあげた。ゆえに、
そこには深い悲しみも内包されはするが、
根本は「恋の喜び」である。いっぽう、
「交響曲第5番」も、「苦悩から歓喜へ」と解されてる。
その「歓喜」の「勝利のファンファーレ」である
****♪『ドーーー・ーーーー・・<ミーーー・ーーーー│<ソーーー・ーーーー・・ーーーー・>ファー○○│
   >ミー○○・』>レー○○・・>ドー○○・<レー○○│>ドーーー・ーーーー・・♪
を引用してることに気づかないむきは、ここを「イ長調」の
****♪『ソーーー・ーーーー・・<シーーー・<レーー>ド│>シー○○・』♪
と言い張った。自分だけでそう思いこんでるだけなら、
結構なことであるが。

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