チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「バッハのAirを読む/J.S.バッハ『管弦楽組曲第3番』第2曲 Air(エル)」

2013年07月28日 21時13分31秒 | 説くクラ音ばサラサーデまで(クラ音全般

バッハ アリア


香港女性にトップの座を奪われてた女性長寿世界一の座に
日本女性が返り咲いた、と報道されてた。
3位にスペイン女性、4位にフランス女性、という順だという。
清潔な日本と先進国なのに不潔を売り物にしてるお国柄、
という、身ぎれいにして疾病を避けるのと、
身ぎたなくして疾病に慣れっこになるのと、
好対照な生きかたがそれぞれに功を奏してる。
一律的な考えや選択が正しくないことの好例である。

ステレオタイプな分類が大好きなクラ音の世界では、
大バッハ(1685-1750)が「音楽の父」、
ヘンデル(1685-1759)が「音楽の母」、
などというまったく意味のないキャラづけをしてる。
この二人は同年生まれである。死亡年は異なるが、
ともに眼科医を詐称するジョン・テイラーという
詐欺師の"手術"を受けて失明した。私には視力はまだあるが
稼ぎが薄いので資力がない。そのいっぽうで、
ブロンテ三姉妹や香里奈三姉妹の長幼の順を全部挙げれない
拙脳なる私には、「ジェイン・エア」の相手の男の名を
どうしても覚えれない。私は毎金曜に飲み遊び、
月一の大江戸探検隊の探検がある土曜以外は
午後になって起き、夕方から母のマンションに行く、
という行動パターンである。ときに、
人間の五感の中で、
視覚・聴覚・嗅覚は「空気」を媒介して
エネルギーや物質を感知してる。また、
マイケル・ジョーダンとか錦織圭みたいにスポーツの世界でもたまに
「エア」を売り物にする選手が現れる。

大バッハがケーテン時代に作曲したとされてる
管弦楽組曲の第3番の第2曲は、
"Air(エル)"
と題されてる。同時期に作曲された
「フランス組曲」にも2つ、"Air"がある。
管組も仏組もいずれも「舞曲」の組み合わせであるが、
"Air"は器楽曲であって舞曲ではない、
というのが一般的な音楽学者・評論家の認識である。
そもそも、
バッハの組曲の「舞曲」がフランス宮廷の本物の舞踊の音楽ではない。
フランスの王宮で踊られてる舞曲の体で書かれたものにすぎない。
カリフォルニア巻きを鮨と呼ぶようなものである。で、
"Air"も歌謡由来の遅いテンポの音楽に
固有の律動を持たない舞踊をあてたものである。ときどき、
"Air"は遅くない、と主張するむきもあるが、やはり
"Air"は他の特徴的な律動を伴う舞曲と比して遅いのである。
この当時のテンポというのは、
用いられてる音価によっても左右された。
管組の"Air"は32分音符が用いられてるので、
速く演奏すると「滑稽」になってしまうのである。

バッハの「管弦楽組曲第3番」の「第2曲」"Air"は、
その曲想から、高級なイメージの空間で
BGMとして使われることが多い。また、
やはりその静謐な趣からは、
死者の追悼の機会に採りあげられることも少なくない。
ヴィーン・フィルによるカラヤンの追悼演奏会では、
小澤征爾がこの曲を振った。同人はまた、
東日本大震災の犠牲者の"鎮魂"を謳って
この音楽を演奏した。

[4/4拍子、2♯(ニ長調)]
♪ミーーーーーーー・ーーーーーーーー・・ーーーーーーーー・ーーーーーーーー│
ーーーー<ラー>ファー・>(>ミ>)レー>ドー>シー<ドー・・>シーーーーーーー・>(>ラ)>ソーーーーーーーー│
<ソーーーーーーーー・ーーーーーーーー・・ーー>ミー>♭シー>ラー・<レー>♯ドー<ソー>ファー│
ファーーーーーーー・ーーーーーーーー・・ーー>レー>ラー>ソー・<ドー>シー<ファー>ミー│
ミーーーーーーー・ーーーー<♯ファー<ソー・・>ドーーード<レ<ミー・ーー>レーレー>ドー│
>シー>ラーラ<シ<ドー・ーーーー>シー>ラー・・>ソーーーーーーー・ーーーーーーーー♪

第1拍は、
vnプリーモの「ミ」とvnセコンドの「ド」、それからヴィオーラの「ソ」と
通奏低音の「ド」とで主和音を形成する。が、
第2拍は、
通奏低音だけが「シ」と下がることで、
現在でいう七の和音(長七)(セヴンス)"Dmaj7"となり、
第3拍は、
ヴィオーラが「ラ」に上がり、通奏低音も「ラ」に降りるので、
短三和音となり、
第4拍は、
通奏低音だけが「ソ」に下がるので
七の和音(短七)("Bm7")となり、
次小節第1拍では、
通奏低音が「ファ」に下り、
ヴィオーラがオクターヴ下の「ラ」に下降し、
残ったvnセコンドの「ド」とともに、
下属和音(F)を形成するのだが、
同じく第1小節から引っ張られてる
vnプリーモの「ミ」は"Fmaj7"の一員としてよりも、
"F"から疎外された強烈な高まりのテンションを張る
「非和声音」として機能してるがために、
8分音符しか与えられず、すかさず、
♪<ラ>ファ♪という"F"の中に調和してくのである。
かような静謐な和音の移ろいは、あたかも
大気がゆっくりとうごめくような雰囲気を醸し出す。
通奏低音の
[左下げて→左上げて→右上げて→右下げて]
のごとき一種のシンコペイションふうな、
おしとやかで上品なステップが
ほとんど絶え間なく続けられるのである。

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