チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「精選殖体」

2005年03月24日 17時32分00秒 | サウンドオヴ最前列(カブリ付の下顎
女装マニアの男はそこらへんにゾロゾロいるが、
男装マニアの女というヒトには誰しも一生のうちにジョルジュ・3度ほどしか
お目にかからないのではないだろうか。
ヒトの胎児は妊娠約6週くらいまで男も女なのである。
チャイコフスキーの作品番号第46番は「6つの二重螺旋唱曲」であるが、
ヒトは23ツイの染色体を備えてる。22ツイの常染色体と1ツイの性染色体である。
男はx染色体のアイカタにy染色体、が、女はx染色体のゾロメである。
男のy染色体に含まれるsry遺伝子が活性し、テストステロンを浴びせ、
腎臓から精巣を分化させ、子宮を作ることを阻害し、「男」を形成するのである。
それがsly遺伝子だと、一介の貧乏詩人を伯爵に替えてしまうところだが、
初のクローン羊の名が「ドリー」というのも皮肉な話である。
ところで、y染色体はx染色体の大きさの3割程度しかない。したがって、
含まれる遺伝子量もyはxよりはるかに少ない。しかも、y染色体中の遺伝子は、
「ただ単に『性別を男に変換する』というsry遺伝子が重要なだけで、
他にはたいした働きがないのばかり」というレッテルをはられてきたのである。そして、
未だに、専門家でもy染色体を軽視してるむきがいる、という驚異的な事実がある。
y染色体は、受精中に開催される「DNA交歓パーティ」に参加しないヒッキーである。
自分の中だけでDNA交換を行ってるオナニストなのである。
遺伝子は突然変異を起こしやすいものである。DNAの基本ユニットに
ヌクレ落チ度が生じでもしたら大変なことになる。y染色体はそういう事故に備えて、
自己修復の可能性を残すためにセルフサーヴィスでがまんしてるのである。
それはそうと、y染色体の多くが「上から読んでも下から呼んでも『雅子様』配列」
あるいは「鏡像配列」(パリンドロウム)になってるのである。
私は強迫観念症のひとつ「スペア症」で、大事なもの・気に入ったものはみな、
同じものを複数個所有してないと気がきでないのであるが、まさに、
この「鏡像配列」は「スペア・キー」である。ところが、この配列がまた
まことに組みかえを起こしやすいのである。
修復不能な事故の場合には、「覆水盆に帰らず」なのである。
不妊の多くの原因がそこにあるらしいというのが現在のおおかたの見解である。
音楽の才能は、おそらく胎児時の脳への「刺激具合」に深く関わってると考える。
元をただせばsry遺伝子の具合である。他の「芸術」に比して、
大作曲家の寿命は短い。傑作を生み出せる年齢も低い。
80、90で素晴らしい絵を残した画家はたんといるが、音楽は、たいていの場合、
せいぜい50代までである。そして、私が思うに、なんらかの理由で
子を残せない作曲家が、その補償行為として残したのが、「音楽」なのである。
「ベートーベン」「シューベルト」「ブルックナー」、そして、
「チャイコフスキー」を、青龍・白虎・朱雀・玄武たる「四神」ととらえてるのである。
子は残したが次の代で途絶えた「モーツァルト」を「土用の神」とあてはめる。
きちんとした子を残せれば、わざわざ音楽まで残さずともいいのである。
かといって、子持ちの作曲家の作品に価値がないというわけではない。
ヨーハン・シュトラオスもフェリックス・メンデルスゾーンも好きである。ただ、
上記「四神(+土用神)」は「特段」である、と思うのである。
ときに、詳細は省くが、性染色体も元はといえば常染色体である。
ごく簡単にいえば、y染色体がsry遺伝子を備えたために、性染色体になったのである。
したがって、いずれはそのsry遺伝子もその機能を失う運命なのである。そして、
それに替わる常染色体が「y染色体化」するかもしれないのである。
この染色体を大事に護ってきたのが、我が国の天皇家である。
なぜ、皇統は「男系男子」でなければならないか?
神武帝以来のy染色体を「綿々と繋いで」きたためである。
我が国の国民も、そのために多くの犠牲を払ってきたのである。
これはとても重要なことである。思想や政治ではない。科学なのである。
そんな国は、世界じゅうのどこを探しても、日本以外にはないのである。
まぁ、それが「どうでもいいこと」と考えるなら、それはそれでしかたのないことである。
米英に代表される白人はその「考え」を歓迎することだろう。
勉学にいそしまず・働かず・働く気もない人種が日本で増えてることに、
彼らは矯正した歯列を見せてニート笑ってることであろう。
日本・日本人を骨抜きにして財産を吸いあげること、それが彼らの大目標だったのだから。
太古、アフリカを追われ、お寒い北に逃げ、食糧不足に苦しんで
夕食の材料にも事欠いた彼らは、有色に対してリヴェンジを誓ったのである。
彼らは耐え難きをたえ、しのびがたきをしのんで「肌が白い」ことを「武器」にした。
そして、「体格」「容姿」に磨きをかけた。アラブから「知恵」「教養」を学んだ。
大航海時代を経て、産業革命、植民地時代となり、アフリカの黒人を奴隷にした。
「アイ・シャル・リターン」……誓いを成就させたのである。
かつてモンゴルに支配され、近代になっても日本に負けた白人ロシアを見て、
太古の我が身を振り返る。アフリカでいじめにあい虐待されたトラウマが、
彼らを猜疑心の強い策士に育てた。黄禍を心配した彼らは中国と日本が手を結ぶのを恐れ、
ハル・ノートを突きつけ、「死ぬか、恭順するか、戦うか」のいずれか、
と日本を追いつめ、「手を出さ」せ、民間人無差別空爆、原爆で屈服させた。
戦後、それでも足りず、反日感情を煽らせ、ハゲタカ外資が日本を食い物にしてるが、
だからこそ、彼らと「うまくやってく」ことが肝要なのである。
彼らの中の「異端児」が築き上げた「くら音」の魅力には抗しかねる。
それひとつとっても、たいした人種なのである。
昨今、急増してる国際結婚、おおいにけっこうである。いずれ、全世界は
民族差・人種差なんて限りなく透明に誓いブルー人類一色になってしまうのだから。
民族・人種に国境なんてなくなるのである。
「イマジン」大先生も草葉の陰で泣いて喜ぶことだろう。
我が国の出生率が低いことを嘆いてもむだである。
ピリリェーパが選んだのはじつは「人格」ではない、「容姿」である。
リーザが選んだのは「地位」や「人格」ではない、「容姿」である。
が、「肌色の差」が今度は「絶対的な貧富の差」となるだけである。
鎖国してられた平和な時代が懐かしい、としのぶ境地だけが、
余韻として残るばかりである。これを「わび」「幽玄」というのである。
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