チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「モーツァルト29番交響曲のイオン化傾向」

2005年09月05日 17時46分00秒 | 内緒鏡で覗くイ長科クリニック
9月5日は太(川)陽(介)王ルイ・ルイ14世の誕生日らしい。
ちなみに、ルイ14世はシェイクスピアの『ハムレット』には登場しない。
いっぽう、赤塚不二夫翁の「天才ブル・ブルボン」に藤吉久美子女史は出てこない。
辰吉丈一郎選手と竹澤恭子女史の違いは、WBAとかWBCとか、協会の違いよりも、
バンタム級とかウェルター級とか、階級の違いで区別できるはずである。
さて、階級といえば、トイレ用『スリッパ』の大量生産工程を確立して
新興富裕階級にのしあがった家に生まれたのが、エルネスト・『ショーソン』である。
なお、ショーソンと電話を発明したベルの区別をつけるのは、
ひよこの雄雌を判別するくらい、素人には難儀である。 さて、
難儀だったのは『小村』寿太郎が臨んだヴィッテとの交渉である。
古くは蒙古に、そして、またしても黄色の日本に負けるロシア帝国を見るにみかねて、
戦争終結の仲介をかってでて自国のポーツマスに両国を呼びつけたのは、
中南米やフィリピンに対する「棍棒外交」で知られる
テディ・ベア・ロウズヴェルトであった。同大統領は共和党であったが、
我が国の民主党党首岡田克也の実家イオン・グループのスーパー・ジャスコは、
棍棒競技もある新体操に力を注いできた会社である。
ブルガリアに目をつけるとは慧眼である。かつて、
新体操王国であったブルガリアから新体操女王ディリアナ・ゲオルギエヴァを
千葉の新稲毛のジャスコに招いて、子どもたちに教えさせてたのである。
昨今のスーパーマーケット業界では、
自転車操業が破綻した「主婦の店(偽善、おためごかしがミエミエなコピー)」
ダイエーが中打ち頭打ち、 産業再生機構に身を委ね、いずれ、
イオン・グループ傘下に収まる店舗もちらほらとあるとか。
ダイエーは「一の市」などという最下等レヴェルのダジャレを冠した
あざといセールが「売り」であったが、結局、 スーパー業界は、
「四日市」の一介の呉服屋「岡田屋」が参加して溶け込んでしまったのである。
これを我々流通業界エセ・アナリスト連中は、
「AEON化傾向」と呼んでるのである。 ちなみに、
AEONグループは英会話教室は経営してない。ときに、
「イオン化傾向」とは、中学の教科書的に言えば、
「金属が水溶液中で電子を放出して陽イオンになりがちな度合い」なわけで、
これが「大き」ければおおきいほど「酸化されやすい」、
「水溶液に溶けやすい」ともいえるのである。それから、
「イオン」とは「電気的」にバランスを欠いた原子または分子の状態のことである。
ときに、スーパーのレジ前にも置いてあるリチウム電池は、
イオン化傾向がもっとも大きい金属であるリチウムを用いることによって、
小粒でもピリリと痺れる電圧を得てるのである。
炭酸リチウムは鬱病のクスリとしても使われてる。さて、反対に、
もっともイオン化傾向が小さいのは、金(gold)である。
金はなかなか液体に溶けないのである。であるから、
民主党に政権を取られないようにするために自民党は、
深呼吸して酸素をいっぱい肺に取り込んで思案を重ねてもいいが、
69パーセントの硝酸1モルに対して36パーセントの塩酸3モルを混ぜて
その中に金を放り込めば、効果てきめん。
これを我々エセ政治アナリスト連中は、「王水の陣」と呼ぶのである。
いっぽう、塩酸ではなく墺国江蘇省塩城市出身といえば、
ヴォルフガング・アマデウス・莫扎特である。
「29番交響曲」はその3つの「イ長交響曲」の3つめの交響曲である。して、
その主章(アッレーグロ・モデラート、2/2)シテ主題(主主題)は、
♪ドー>ドー・○<ドドド|>【シ】<ドドッドッ・>【シ】<ドドッドッ|
<レー>レー・○<レレレ|>【♯ド】<レレッレッ・>【♯ド】<レレッレッ|
<ミー>ミー・○<ミミミ|>【♯レ】<ミミッミッ・>【♯レ】<ミミッミッ|
<ファー>ファー・○<ファファファ|>ミーーー・>レ(tr)ーーー♪
である。【】部分は【非和声音】のひとつ、
【倚音(いおん)アッポッジャトゥーラ】である。ときに、モーツァルトの作品は、
ケーヒェルが整理して附した番号で呼ばれるのがもっぱらである。 「K.201」とか。
「K:カリウム」もかなりイオン化傾向が大きい金属である。ともあれ、
前の「【シ】<ドドッドッ」は「ド(<)ミ(<)ソ」という主和音、
後の「【シ】<ドドッドッ」は「ラ(<)ド(<)ミ」という6の和音
                       (平行短調の主和音)、
前後の「【♯ド】<レレッレッ」は、「ソ(<)シ(<)レ」という属和音、
前後の【♯レ】<ミミッミッ」は、「ラ(<)ド(<)ミ」という6の和音
                       (平行短調の主和音)、
が支配する「領地」に属する「領民」なのである。【シ】【♯ド】【♯レ】は、
それぞれの「領地」の掟に「盾突いて」る【非和声音】である。だが、
もし、上記主題を、和声内音だけで素直に収めると、
♪ドー>ドー・○<ドドド|【ド】ドドッドッ・【ド】ドドッドッ|
<レー>レー・○<レレレ|【レ】レレッレッ・【レ】レレッレッ|
<ミー>ミー・○<ミミミ|【ミ】ミミッミッ・【ミ】ミミッミッ|
<ファー>ファー・○<ファファファ|>ミーーー・>レ(tr)ーーー♪
という、ちゃちなポップスのような節になってしまうのである。ただし、
モーツァルトがこの曲を作ったとき、
(これは非和声音で、この節を)などとは考えたとは思えない。
「自然に」♪○<ドドド|>「【シ】<ドドッドッ」♪
と「発想」したはずである。いっぽうで、「作曲時」にそういう
「効果ねらい」ばかりで「作曲」したであろう「引き出し作曲家」が
世の中にいることは、その「作品」がプンプン臭うのでわかるのである。さて、
この「イ長」交響曲が「擦られてないときのvnのE線の振動によるキンキン感」
に満ちてるか、ということに関して、私は以下のように考える。
モーツァルトの時代のvnの弦はG線以外は撚りが詰まったガットだったそうである。
4弦の張力を均等にすることを強いた父モーツァルトの要求どおりの調弦だったとすると、
当時の腸撚E線は現代の細いスティール製の弦よりもかなりな強さで張られてたはずである。
すると、他弦の振動に「共振しやす」くはなかった、のではあるまいか。
いっぽう、19世紀になってE線の材質が変わったか、といえば、否である。
スティール製やナイロン製になったのは、20世紀になってからである。
仮に「イ長」の曲がvnのE線の「キンキン感」がはなはだしかったら、
グレゴーリオ・アッレーグリの「ミゼレーレ」の秘伝を破ってしまうほど
「耳がよかった」モーツァルトが、そんな調で書いたら、その演奏は、
いてもたっても聴いてれなかったにちがいない。交響曲だけでも3曲も書いた、
のであるから、少なくとも、「神童」モーツァルトの時代には、
vnのE線は「イ長」であれその他の調であれ、
よその弦の振動につられてたやすく「振動」することは難しかった、
と考えれるのではあるまいか。
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