チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「百人一首の数学と魔方陣cipher/その1・五歌仙と嵐」

2010年01月01日 22時05分39秒 | ヘェ?ソウ?でチャオ和歌す
正月といえば、
ワタナベ・プロ系のタレントとお笑いが出てくるのは
昔も今も変わらないが、かつては
"クレイジー:キャッツ"の面々が出揃って、谷啓が
ガショーーーーーん!
と新年祝いのギャグを放ったものである。今日は、
東急ストアで買っといた一束680円の
小松菜を入れて作った雑煮を食べ、
頂き物の山吹蒲鉾を肴にビールを飲みながら、
昼まではNHK・BSハイヴィジョンで3日まで帯ってる
「新春 文楽スペシャル『義経千本桜』」
を観てた。観終わって地デジに切り替えると、
♪オードリー、おーどーりなーあーーら、
 チョイと、トーキョー、おーんーーど。
 よーぃ、よぃっ♪
という満月前日の「ムーン・リヴァー」の節に乗って、
大晦日に新宿三越のティファニーで
1600万円の指輪が"アジア系外国人"に
寅年を直前にトラれてしまった、
というてnewsが流れた。
"Robbery at Tiffany's(ティファニーで偸盗を)"
店員さんが気の毒である。今頃も、
暗い正月を迎えてることだろう。ときに、
正月といえば、私がガキの頃は、
家族、あるいは親戚までもが集まって、
屠蘇・雑煮をいただき、
双六・かるたの類で遊ぶ、という
ドメスティコなものだった。双六では、
サイファー投げられた、みたいな感じがダイスきだった。
かるたは主に、「いろはがるた」「百人一首」
のいずれかである。昨年は、
お笑いコンビ「オードリー」の春日の、
「トゥース!」
が流行語大賞の候補になったが、オードリーは
正月番組にも出まくってる。

いっぽう、
チャイコフスキーのオペラ「ピーカヴァヤ・ダーマ
(ピク・ダム)(スペイドの女王)」の最後の
カルチーナ(場)におけるカールタなら、
トローイカ(3)、セミョールカ(7)、トゥース(A)、
であるが、ゲルマンが最後に指示したのは
Aceではなかった。エレツキー公爵に指摘されて
やっと気づいたゲルマンは、
おしダーマってしまう。ともあれ、
昔は正月に家族でかるたとしてやった百人一首には、
「天智&持統天皇父娘」に始まり、
「後鳥羽院&順徳院父子」に終わる、
600年にもおよぶ時間の中の約100首が
撰ばれてるのである。ちなみに、
歌番100の順徳院は、承久3年(1221年)に
後鳥羽上皇が起こしたいわゆる承久の乱で、
兄土御門上皇が反対する中、父上皇に加担した。
順徳院は佐渡に配流されて20年余り、
死の床につくと、無為な延命は無用とばかりに、
fast(食断ち)をした上に頭に焼け石を乗せて崩御した、
といわれてる。さて、
私は暮れに大掃除などしたりしないのであるが、
今回は少し書庫の整理をした。すると、なつかしい
「百人一首の魔方陣(太田明著/徳間書店刊)」
が出てきた。それによると、
昭和26年に発見された「百人秀歌」(以下「秀歌」)が、
「百人一首」(以下「一首」)の謎を解く鍵だという。
撰者はいずれも藤原定家だろうとされてる。

[比較]
「一首」=ほぼ年代順、100首(以下、歌番は3桁で表わす)
「秀歌」=二首ひと組、一首あぶれて101首(以下、歌番は4桁で表わす)

[差異]
「一首」のうちの98名の歌人が「秀歌」にも撰ばれてる。
そのうち1名の歌人の歌だけが「秀歌」では別の歌。
「一首」に入ってない3名それぞれ1首が
「秀歌」に加えられてる。具体的には、

[「一首」と「秀歌」で歌が異なってる唯一の歌人]
「一首」#074源俊頼朝臣:
 「憂かりける、人を初瀬の、山おろしよ。
  激しかれとは、祈らぬものを」
 (拙大意)私の気持ちがとどかなくてつらく思った
     あの人とのことをどうか成就させてくださいと、
     初瀬の長谷寺の観音さまに33度もお願いしたけれど、
     霊験あらたかどころかregen(雨)交じりの激しい
     冷たい風に乗せて気持ちを返してくれるようには
     祈らなかったのに。ひどい、ひどい、ぅん、もうっ!
「秀歌」#0076源俊頼朝臣:
 「山桜。咲きそめしより、久方の、雲居に見ゆる、滝の白糸」
 (拙大意)山桜が咲き色づいてから、まるで
     グラデイションが空に見える滝の白糸の
     キャスケイドのようにブエナイイビスタであることだなぁ。

「一首」のブービーとブービー・メイカーを飾ってた、
#099後鳥羽院、#100順徳院の歌が削がれ、
#0053一条院皇后宮(藤原定子=一条天皇皇后)、
#0073権中納言(源)国信、
#0090権中納言(藤原)長方、
の歌が加えられてるのである。ちなみに、
「秀歌」のラスト3は、
#0099正三位(藤原)家隆(「一首」#098)
#0100権中納言(藤原)定家(「一首」#097)
#0101入道前太政大臣(藤原西園寺公経)(「一首」#096)

さて、
百という数が平方数の和で表せる、ということが肝腎なのである。
100=64+36=8^2+6^2
が、今回は「一首」「秀歌」のサイファーの中の初歩から紹介する。

「一首」「秀歌」いずれにも、
紀貫之が「古今集仮名序」で「近き世にその名きこえたる人」として挙げた
僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主
のいわゆる「六歌仙」から【5】歌仙、
#008喜撰法師、#009小野小町、#012僧正遍昭、#017在原業平朝臣、#022文屋康秀、

藤原公任が「三十六人撰」に載せたいわゆる「三十六歌仙」から【25】歌仙、
#003柿本人麻呂、#004山部赤人、#005猿丸太夫、#006中納言家持、#009小野小町、
#012僧正遍昭、#017在原業平朝臣、#018藤原敏行朝臣、#019伊勢、#021素性法師、
#027中納言兼輔、#028源宗于朝臣、#029凡河内躬恒、#030壬生忠岑、#031坂上是則、
#033紀友則、#034藤原興風、#035紀貫之、#040平兼盛、#041壬生忠見、
#042清原元輔、#043権中納言敦忠、#044中納言朝忠、#048源重之、#049大中臣能宣、

が撰ばれてる。この中で歌番がもっとも大きい大中臣能宣は、49。
7の平方数である。そして、【25】は【5】の平方数であるが、まず、
この【5歌仙】について、である。「一首」における、
#008喜撰法師、#009小野小町、#012僧正遍昭、#017在原業平朝臣、#022文屋康秀、
の「秀歌」でのナンバーはそれぞれ、
0014喜撰法師、0013小野小町、0015僧正遍昭、0010在原業平朝臣、0027文屋康秀、
これら2辺の前4名のナンバーをそれぞれ足すと、
8+14=22、9+13=22、12+15=27、17+10=27、
となって、文屋康秀の「一首」におけるナンバー22と「秀歌」におけるナンバー27が、
それぞれふたつずつ現れるのである。そして、
22+27=49=7^2
22と27の和は49で、7の平方数になるのである。

文屋康秀:
「吹くからに、秋の草木の、しをるれば、むべ山風を、嵐といふらむ」
(拙大意)吹くとすぐに、秋の草木が、しおれてしまうので、
    なるほど山風と書いて、嵐と言うのだろう

ちなみに、
「一首」と「秀歌」で歌が異なってる唯一の歌人、である
源俊頼の歌には、いずれも「山」という語が入ってる。そして、
「一首」におけるこの文屋康秀の歌と源俊頼の歌には、
【山おろし】【山風】
と、共通項ともいうべき語がある。いっぽう、
源俊頼は父大納言経信(#071)、息子俊恵法師(#085)、と
三代にわたって採られてる和歌一家である。ともあれ、
「一首」に採られた#074源俊頼の歌は、
定家の祖父藤原俊忠が催した歌合で
「祈れども逢はざる恋」を詠んだ歌だった。また、
「一首」と「秀歌」のそれぞれにふられたナンバーが同一の歌は、
001、002、003、004、019、020、032、044、077、084、085、
の【11】首だけである。源俊頼の「一首」での歌には
初瀬という語が出てきて長谷寺の
【十一】面観音を想起させる。そのいっぽうで、
「一首」の歌番【011】は、参議(小野)篁の、
「わたの原、八十島かけて、漕ぎ出でぬと、人には告げよ。海人の釣舟」
(拙大意)大海原を千里万里と、
    数えきれないほどの島めざして、出船してしまったと、
    淡路島に残してきた上沼恵美子には知らせておくれ。
    港に停泊してる漁師の漁船よ
である。篁という人物の知能の高さを思わせる
修辞のお手本のような歌である。それはともかく、
この歌を詠った篁は、遣唐副使に任命されたものの、
渡航に2度失敗したことから3度めの乗船を拒否って
嵯峨天皇の怒りをかって碇を上げられてしまい、
島流しに処された。そのときに詠ったものである。そして、
その島とは「隠岐」。後鳥羽上皇が承久の乱に失敗して
鎌倉幕府に流された島なのである。さて、
頼朝の姪を妻にしてた時の右大将は不穏な動きを幕府に知らせ、
後鳥羽上皇によって捕えられ幽閉された。が、乱後、
鎌倉幕府の後ろ盾で内大臣、太政大臣へと昇進した。この人物こそ、
「一首」では#096、そして、「秀歌」では「ペアのいない」#0101、
入道前太政大臣、西園寺(藤原)公経である。
「花さそふ、【嵐】の庭の、雪ならで、ふりゆくものは、我が身なりけり」
(拙大意)桜の花を誘うように嵐が吹きすさぶ庭の雪のような花、じつは
    降り散ってる雪のような花ではなく、
    古りゆく我が身であることよ
「櫻」井翔も含めたメンバーが紅白歌合戦に初出場しただけでなく、
ここにこそ【嵐】は吹いてたのである。が、所詮、
ジョルジュ・プレートルとハマコーの顔の違いを判別できない
拙脳な私の推量にすぎない。

ついでながら、
定家の後添えは藤原実宗の娘=西園寺公経の妹である。また、
定家の娘の一人は公経の孫公相の側室になってる。ちなみに、
公相の父で公経の子である実氏は、
将軍実朝が甥の源善哉に斬られて首を討ち落とされた
鶴岡八幡宮での右大臣拝賀の儀式の来賓である
京の公家5人の一人として参列し、その
事件を目撃してるのである。
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