チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「チャイコフスキーのバレエ『眠れる森の美女』の概略」

2008年08月24日 17時59分25秒 | やっぱりリラだ! 百年経っても大丈夫

チャイコフスキー 眠れる森の美女 概略 概要


昔はよくやったり見たりしてたけれど、最近はとんと……
ということが、齢50にもなると多くなった。今週末の
麻布十番納涼祭りなどもここ3年はまったく出向いてないが……
「やる」ほうでは、まず、テニス。昔からそうだったが、
ゲイムなどして相手がむきになって本気で挑んでこられたりすると
非常にうざい。俺らはレクリエイションとしてやってるんじゃないか、
その程度のレヴェルのお遊びじゃないか、と。そして、
仕事に精を出さなくなってゴルフもやめた。世渡り以外の何物でもない、
私にとっては健康に非常に悪い“運動”である。もとより、ことさら
ジョギングなどはしない。ちなみに、提唱者でその普及に尽くした人物は
ジョギング中に心筋梗塞の発作を起こして50台で死んでる。それはともかく、
「見る」ほうでは、まず、歌舞伎。そして、能。
今の能からは「幽玄」を得ることは皆無である。とくに、
梅若六郎のような「恰幅のいい」のに細い女性を演じられ舞わられても、
私にはありがたみはない。クラ音のコンサートにもうんざりである。
たった2時間程度すら音を立てずに聴けない連中と
同じ空気を共有してたくない。また、
映画のように大音響な見世物には静寂は求めないが、
別の理由で足は遠のいてる。まず、私は
ネタバレの上で観るのが好きである。映画も演劇の一つと思ってる私は、
その「芝居」を役者が「どのように」演じてるか、が観たいのである。
結末を知ってないと、役者の演技に集中できなくなる。
新作の映画はネタをバラしてくれない。だから、
封切り後数箇月経ってDVDになってから観ることになる。ただし、
私は「借りる」のが嫌いである。「貸本屋(そんなもの今はないか)」
「図書館」などに行くことはまずない。恵比寿ガーデンプレイスに本拠を置く
CCCのレンタル屋にも、旗の色使いからスウェーデン大使館と見間違えて
一度入ったことがあるだけである。もうひとつ、
人それぞれ笑いのツボは違うといっても、「笑うべき」ところで
笑わない連中と同じ空間を共有するのも嫌いである。
オペラを観にいかないのは、“現代に置き換え”た演出が
ナンセンスだと思うからである。また、声量の関係から
歌手のほとんどが肥えてて顔も見苦しく、
おちゃらけ系の見せ物と見紛うからである。
観に行くのを止めたものといえば、野球もそのひとつである。
あの「鳴り物」の「余計なうるささ」には耐えれない。
ああいう輩は野球が好きなのではなく、野球というものの場を借りて
自己アピールをしてるだけの虚栄心の塊である。実際、
プレイなど見ちゃいない。真の野球好きな私は一観客であっても、
ボールから一瞬たりとも目を離しはしない。私があらゆるスポーツの中で
特に野球に惹かれるのは、(もちろん技術が大切だが)
頭脳に大きく左右されるスポーツだからである。じつにおもしろい。ところで、
一昔前、投球は“上から叩く”のが良い、
と真剣に言ってるむきがいた。そんな非科学的な論理を振りかざしても
無意味なことにちがいはない。だいいち、現実問題として、
“ダウン・スイング”なるものを本当にやってみたまえ。即座に
肩・肘・手首を傷めること請け合いである。まして、
やみくもに突撃するだけでは勝負に勝てるはずもない。
勝負は時の運、とか言ったりするから、
地道にまじめにやってきた選手に
最後に銅メダルのご褒美が待ってることにもおくの深さを感じるし、
一軍の選手がマイナー・リーグのプレイアーに負けることもあるとは思う。まぁ、
普通は負けないけど。それにしても、
金メダル以外いらないと傲慢な言葉を吐いて、暗に
ミスターが無能なような不遜な態度で乗り込んでったくせに、終わってみれば
「申し訳ない」の一言で済ませようとは驚嘆ものである。せめて、
「五厘」刈りに頭を丸めて、
「我がチームの選手らはAチーム、だから許してほしぃ~の」
とでも言ってみせたならば、少なくとも私は許したのだが……。いっぽう、
ケネニサ・ベケレ選手の5000mラスト一周54秒も驚嘆ものだ。ともあれ、
野球の韓国ティームは五輪野球に勝つべくよく研究してた。そして、
実際に優勝してみせた。立派である。ただただ傲慢で粗暴な輩を監督に据えて
高をくくってた日本は「実力どおり」の4位が相応しい。ちなみに、
米国野球ティームの監督デイヴィー・ジョンスンは、
栄光の読売巨人軍が初めて入れた「外人」である。当時米国では、
“ジョンソンの中のジョンソン”と言われてたほどだった。あの
アーロンがいたアトランタ・ブレイヴズで4番も打ってた。
未だに破られてない二塁手としての1スィーズン最多本塁打記録
(ロジャーズ・ホーンズビーとタイの42本)の保持者である。また、
巨人を去って復帰したMLBのフィラデルフィア・フィリーズでは、
1スィーズン2本の代打満塁本塁打を放ってる。が、
日本のスポーツ・マスコミは“ジョン損”と揶揄した。
ミスターの後釜だからといって、
セカンド・ベイスマンを三塁手として使うほうがどうかとも思うが、
正二塁手に席をドイてもらうわけにもいかなかったようである。それにしても、
普段は「国などの壁を取り払って真の友好を」などと言ってるむきが、
五輪などとなると、急に国粋主義者となって、
「日本選手に頑張ってほしい」などと平気で言うのである。それなら、
平素から日本第一で貫くか、五輪でも国籍関係なく真に
優れた演技者・競技者を称えろ、というものである。まぁ、
星野仙一と京唄子女史の顔も見分けれない程度の笊脳な私の
つまらぬ考えである。さて、
バレエはこの10年で3回しか観にいってない。
オペラやくら音コンサートから足が遠のいたのと同じである。最近、
ロイアル・バレエの「眠れる森の美女」のDVD収録ものを観た。
“オーロラ姫”を演じるのはルーマニア人の
アリーナ・コジョカル女史である。ずいぶん上達したという印象である。
同女史がローザンヌのコンテストで金賞を得て
英国ロイアル・バレエ学校に留学し、
キエフ・バレエのプリンサパルとして迎えられ
(すぐにロイアル・バレエに移籍したが)たとき、ちょうど
来日公演があった。三茶の昭和女子大人見記念講堂で
同女史の踊りを観た。10年前のことである。が、ぎこちなかった。が、
可愛いから(私はそのひきつった笑顔が
ルーマニアの農家のおばあさんのイメージを想起して苦手だが)
当時から一部では熱烈なファンがいたようである。
ローザンヌで入賞したときから、故大屋政子女史が
支援してたらしい。が、その半年後に大屋女史は胃癌で亡くなった。
コジョカル女史がロイアル・バレエに移ったのはその直後である。それが、
いまやロイアル・バレエの至宝となってる。
「まさこちゃん」には先見の明があったようだ。

バレエ「眠れる森の美女」は、
シャルル・ペローのお噺をもとにしてるらしい。でか、
バレエのタイトルは、そのまんま、
「la belle au bois dormant」
というフランス語である。単語ごとにみてみると、
la(ラ・女性名詞の定冠詞)、
belle(ベル・女性名詞「美女」)、
au(オ・=所在を表す前置詞a+le男性名詞の定冠詞)、
bois(ブワ・男性名詞「森」)、
dormant(ドフモン・動詞「dormir:眠る」の現在分詞)
である。したがって、和直訳は、
「眠ってる森にいる美女」
ということになる。美女が眠ってるさまを表してるのではなく、
眠ってるのは森である。
その中では美女も眠ってることではあるのだが。いっぽう、
ロシア語のタイトルも附随してる。そちらは、
「спящая красавица」
となってる。これも個別にみてみると、
спящая(シピャーシシャャ・形動詞「спатьスパーチ:眠る」の能動形現在
       спящийシピャーシシィィの女性形「眠ってる」)、
красавица(クラサーヴィツァ・美女)、
である。よって、こちらロシア語では、
眠ってるのは美女そのものである。そして、
「森」のもの字も出てこない。が、
こんなことはさして重要なことではない。
「ロシア語のタイトルに森という文字はない」
などと言う必要もない。いっぽう、
この「バレエ」のあらすじは、
【プロローグ】
フロレスタン24世の御代、子宝に恵まれなかった王家に
オロール(いわゆるオーロラ)姫が誕生。その祝賀に、
6精が招かれ、それぞれの「徳」を姫に授ける。が、
呼ばれてなかった精カラボスが現れ、
その扱いに怒り、姫に呪いをかける。
「姫は成人の日に指に尖ったものを刺して死ぬ」と。
うろたえる一同。が、
まだ姫に徳を与えてなかったリラの精だけが毅然としてこう言う。
「呪いを払拭することはできませんが、しかし、
姫はお亡くなりにはなりません。ただ、長い眠りにつくだけです。
このカラボス婆の呪いの効き目は100年、
イナバの物置の耐久定員は100人。
若くて勇気ある王子が姫を見つけてくれます。そして、
そのくちづけによって姫はお目覚めになるのです」と。
【1幕】
20年が経つ。オロール姫の成人の日。が、
城内で先の尖ったものを使う「編み物」をしてる者がいた。王は怒る。が、
成人の日であることで気を鎮め、領民の祝賀を受ける。ちなみに、
ここで踊られる村人らによる花輪のワルツは第「6」曲であり、
その主題の中に「怒りの日」の音型が「編み込まれてる」ことは
私だけが気づいてることである。ともあれ、第「7」曲で
オロール姫が初登場する(ハ長調→イ長調「3」♯)。
成人した姫にはさっそく相方候補が招待されてきてる。
イ長調「3」♯の対極調である変ホ長調「3」♭の
「パ・ダクスィョン」で「4人の王子」の求婚を受ける。
この曲では同じく3♭のベートーヴェン「英雄交響曲」の
「葬送」の主題を引用して姫にふりかかる「死」を暗示してることも
私が初めて指摘したことである。そこでは、
4人の王子が「刺」があるバラを手渡す、
とカラボスの呪いへの禁忌を犯してるのである。そして、
そのあと、姫は老婆が持ってた紡錘を手にして踊る。
果せるかな、指に刺して倒れる。すると、
老婆はカラボスである正体を現し、勝ち誇る。が、
リラの精が現れ、「姫は眠りについただけ」と皆を諭す。そして、
城全体が、森が、眠りにつくのである。
【2幕1場】
100年の時が流れた。フロレスタンの王国はすでに
「幻の王国」となってた。新たにその地域を支配してる王家の王子
デズィレが、この森のそばまで狩にやってくる。結婚相手候補の
臣下の貴族の娘らを伴って。つまり、見合いの席なのである。が、
それらの女性にいずれもぴんとこないデズィレ王子には、
退屈きわまりない時間だった。王子はその場を抜け出す。すると、
リラの精が現れ、オロール姫の幻影を王子に見せる。
王子と姫の幻影は踊り、ひとときを過ごす。王子は一目惚れ。
リラの精からオロールの噺を聞いた王子は、そこに
城に連れてってと懇願する。
【2幕2場】
蔦の絡まる重三郎の邸宅ならぬ旧フロレスタン24世の城を目指し、
王子は行く。そして、眠るオロール姫を見つけ、
その額にくちづけする。すると、オロール姫は目覚め、
周りのものも順次息を吹き返してくのである。
【3幕】
オロール姫と王はデスィレ王子の求婚に応じたのだった。
舞台は婚礼の宴。さまざまなお伽の主人公、
種々の妖精らが、ペローの要請で招かれた。
デズィレ王子とオロール姫の結婚に花を添える。
主役の王子と姫のパ・ドゥ・ドゥーが披露されると、宴を
ルイ14世が得意だったとされる「サラバンド」で締めくくる。そして、
敗北した王国の象徴であるポウランドの踊りの一つ
「マズールカ」をフィナルに置いた。
(1幕第1曲行進曲の)「イ長調(3♯)」→「ニ長調(2♯)」
という五度の推移の関係に組み立ててるのである。が、さらに、
ルイ14世の祖父である、ブルボン朝の初代アンリ4世を称える
「ヴィヴ、アンリ・カトル(アンリ4世、万歳・万歳・万々歳)」
というフランスの古謡を大詰めに据えた。ト短調(2♭)である。
序奏の「(無調号)ホ短調→変ホ短調→ト短調」という構造の
暫定的終点の調性と同一である。それはともかく、この箇所の
チャイコフスキーのアレンジは圧巻である。
「なにごとの、おわしますかは、知らねども、、
 かたじけなさに、涙こぼるる」
アンリ4世がさして立派な王でなくても、このアポテオーズを聴けば、
自然とそんな心境になってしまうのである。

いっぽう、曲の配置は以下のとおりである(枝番はカウントしてない)。
「プロローグ」(序奏をいれて5ナンバー)、
「1幕」(5ナンバー)、
「2幕1場」(9ナンバー)、
「2幕2場」(2ナンバー)、
「3幕」(10ナンバー)
後半が膨れてるアンバランスな配置である。
「白鳥の湖」のような「スィメトリな配置」ではない。また、
別項で触れたように、
オロール姫が目覚める「2幕2場」までは撥弦楽器のハープが使われ、
オロールが結婚する「3幕」の宴では百年が経過して
時代が変わったことを示す記号として、新兵器である
打弦楽器のピアノが用いられてる。

また、タイトル同様、登場人物らは「全員」フランス語である。
ドイツ語名の中にただ二人オデットとオディールという
フランス名人物がポツンといる「白鳥湖」や、やはり
アルブレヒト(偽名ロイス)、バティルデなどドイツ名の人物対、
ベルト、ジゼル母娘というフランス名の人物が出てる
アダンの「ジゼル」などとは違ってる。ちなみに、
「ブドウ農園」という設定とも併せて「ジゼル」の舞台は
アルザスのような独仏国境紛争地帯のはずで、その対立問題が
実はこのお噺の下敷きとなってるのである。やはりフランスに近い
シュヴァーベンを基にしてる「白鳥湖」も同様である。

フランス寄りな位置にあるシュトゥットガルトを本拠とする
ベンツ好きな私であるが、今でも続いてる老いの道楽は、
車に乗ることと音楽に共鳴することくらいである。それに、
居合、むかしMIZUNOで特注してた
硬式用木製バットで素振りをする程度である。その他の
グラブやミットなどの野球道具は、
100人乗っても大丈夫なイナバの物置にしまってある。

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