2015年5月31日(日)その2141◆豆ごはん
「かんべんしてくれよ、おふくろ」
幼いころには天敵にも思えた豆(グリーンピース)ご飯。
三十を過ぎたころ、色川武大(=阿佐田哲也)さんがグリーンピスご飯を喰う、
そのいかにも旨そうな描写を読んで180度転じ、
今では〝最後の晩餐ベスト3〟にランクインしている。
まあ、こりゃ音楽・舞踊・絵画(もっと云えば人間)なんかでもよく起こる
汎肯定現象で、だからこそこんなおれでもせっせと書く。
中野五差路うら、家路途中のなじみの八百屋の店先に
旨そうな旬のグリンピーが並んでたので、
早速これを豆ご飯に炊いて喰った(酒たっぷり、塩少々、昆布)。
う、うめえっ!
晩酌もそこそこに、はまぐりの吸い物とカブの浅漬けで結局三杯喰った。
遅くに帰ってこれを喰ったジェーも連れ合いも激賞。
四十代には、池波正太郎・藤沢周平の両巨匠の作中に登場する料理も
片っぱしから試したもんだが、まったく文学ってのは、
根本から食も文化も変えてくれるもんだよなあ。
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2015年5月30日(土)その2140◆原点還り
どーしたかことか、いつの間にやらフリダシに戻ってる(笑)。
ご存知ヴィヴァルディの『四季』。
イ・ムジチ合奏団、ヴァイオリン独奏は初代コンマスのフェリックス・アーヨ。
世界中で大ヒットした懐かしの名盤で、録音されたのは昭和三十年代の半ば(1959年)。
大らかな明るさを希求するベクトルそのものが逞しい。
最初に聴いたのがこのアーヨで、以来四十数年、
さまざまなアレンジを含む100タイトルほどのレコード・CDを買い漁った。
昨年末の引っ越し大処分で手元に十種ほど残し、
近ごろはアーヨ盤が原点戻りのマイブーム。
屈託のない晴れやかさは、いかにも地中海イタリア風。
弱音も云い訳もない、ゆったりとしたテンポで、どこまでも朗々と歌う。
速度や明暗のコントラストが物足りない、みたいなヤボは云いっこなしで、
この極楽的明るさを縁の下から支える様々なファクターの肝をひたすら味わう。
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2015年5月29日(金)その2139◆国立バレエは先行予約割引で
この秋来日するスペイン国立バレエ団。
一般層へのフラメンコ普及に大きく貢献してくれる本場の超一流名門舞踊団なので、
こちらもその援護射撃には力が入る。
芸術監督アントニオ・ナハーロによる飛躍的なクオリティ向上が大きかった
前回公演の大盛況を反映して、今回の東京公演は全8回とイケイケの攻勢である。
東京公演は、10/31土(昼夜)、
11/1日、11/3火祝が東京文化会館大ホールの【Aプロ】。
11/20金、11/21土(昼夜)、11/22日が渋谷オーチャードの【Bプロ】。
公演プロデューサーとの熱い協議の末、
フラメンコ界に向けた割引チケットの先行発売が決まった。
一般発売は7/5だが、パセオ読者は6/20から良い席が1,000円割引
(東京公演S席のみ)にて優先購入できる。
詳細はパセオ7月号(6/20発売~国立バレエ特集)とパセオDMにて発表の段取り。
その返礼として、いろんな媒体に国立バレエの推薦文を提供してるのだが、
「小山さんのイチオシを!」というリクエストに応える
ぶっちゃけメッセージはコレ(↓)。
【Aプロ】は、スペイン国立バレエ鑑賞歴が三十年近い私が、
その最高傑作だと感じる『セビリア組曲』(アントニオ・ナハーロ作)や、
お馴染みの舞踊団十八番のラヴェル『ボレロ』を含む鉄板プログラム。
【Bプロ】の『アレント』は鬼才アントニオ・ナハーロ振付による新作。
『サグアン』は国立バレエを代表する若手ダンサー振付による新作。
現在リハーサル中なので作品内容は未確認だが、
その音楽を聴く限りは相当に期待が持てる。
『アレント』にはクラシコ・エスパニョールの技法の魅力を存分に爆発させるであろう
シンフォニックなポテンシャルが充満しているし、
一方の『サグアン』にはフラメンコ組曲の格調高き現代ヴァージョンの理想形に期待が募る。
むろん私は両方に出掛けるが、もしもどちらかに限定されるなら、
ナハーロの鬼才に対する敬意と期待から【Bプロ】を選ぶだろう。
ただし、国立バレエがお初の方もしくはお久しぶりの方には、
やはり鉄板の『ナハーロ~セビリア組曲』『ラヴェル~ボレロ』に
まずは理屈抜きで感動してほしいので【Aプロ】を迷わずお薦めしたい。
(月刊パセオフラメンコ代表/小山雄二)
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2015年5月28日(木)その2138◆節目の連れ合い
バツイチ同士で一緒になって17年になるが、
ライヴプロデュースで関わるのはこれが初めて。
これが最初で最後となるのか、そうではないのかは当夜のスリリングなお楽しみ。
尚、座席指定(全63席)はいま現在3席空きで、以降は立ち見席。
パセオフラメンコライヴVol.005
鈴木敬子ソロライヴ
2015年6月11日(木)20時開演(開場19時半/21時10分終了予定)
会場:高円寺エスペランサ
料金:3900円(税込/ワンドリンク付)
主催:月刊パセオフラメンコ&エスペランサ
出演:
鈴木敬子(バイレ)
エル・プラテアオ(カンテ)
エミリオ・マジャ(ギター)
予約:☎3383-0246(セルバ)/☎3316-9493(エスペランサ)
「宝探しみたいに最初から宝が埋めてあるものと自分探しは本質的に違う。
いっぱいチャレンジして自分の中に宝を埋めておかないと自分探しは出来ない」
「考えてるだけではわからなかったことが現実にわかるのが本番。
そこが終わりじゃなくて、そこが始まりなの」
「集中した分だけ無意識が鍛えられ、それが自分の地金になる。
その地金がフラメンコにストレートに出てくる」
これらは以前パセオに載った鈴木敬子インタビューからの抜粋だが、
中でもラストの心理学的ツッコミはかなり実用性の高い技術論にも想える。
信頼厚いミュージシャンのライヴな高揚感と一体化しながら、
真っ赤な火の玉のようにうねりながら躍り弾けるバイレフラメンコの衝撃。
凄まじいエネルギーがこの世の華を炸裂させる目映い瞬間そのものに、
フラメンコ舞踊手鈴木敬子の本質本領が視えてくる。
他方、主旋律を思う存分に歌い尽くすダンスラインの美しさはもうひとつの彼女の特徴だ。
ずいぶん前のライヴでセヴィージャの名歌手の唄うスローテンポなセビジャーナスに現れた彼女の、
アンダルシアの郷愁を優美に舞う古典的たたずまいは今も忘れ難い。
相反するこうした二極を自在に往き来する旅を謳歌するように、
バイラオーラ鈴木敬子はフラメンコと共に歩む。
フラメンコは自分の意志を踊る唄。
そう表明する彼女は六月のソロライヴをこう云う。
「これまでさまざまな場所でたくさんのアルティスタと共演しながら、
自分の中にどんな自分が潜んでいるのか? それを探しながら踊ってきました。
そして、常にどのような状態でも観てくださる方々の心を動かすような
フラメンコをやりたい!という気持ちはずっと変わりません。
年令的にも節目を迎えた今回のこのライヴは、
自分を見つめ直す良いチャンスだと思っています。
気心の知れたギター(エミリオ)・カンテ(プラテアオ)の二人と、
シンプルに自分らしく、そして、お客様みなさまと私たちの中に、
終わったあとに心地良い充実感が残るライヴをしたいです」
(月刊パセオフラメンコ2015年6月号より転載)
文/小山雄二(株式会社パセオ代表取締役) 撮影/大森有起
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2015年5月27日(水)その2137◆
「心」を、英語では二つに分類するという。
すなわち、
「マインド=意思」と「ハート=感情」である。
ふーん、なるほど、
で、それがどーしたという話。
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2015年5月27日(水)その2136◆蒼い予感
君が見えなくなる
僕は 息できない
いきなりのサビで始まるこの名唱。
張り裂けんばかりの痛く鋭い哀しみがオーバーラップして、
全身から涙を吹き出しそうになる。
だが、その辛すぎる記憶と向き合ったことのカタルシスが深い癒しを呼び込む。
オンリーワンの名シンガー、ブッチーこと大渕博光の
作詞・作曲・歌唱による『蒼い予感』。
2005年キングレコード制作『大渕博光/エステ・アモール』に収録。
君にもらったもの
僕の体の中
優れた詩人の独創性や感受性というのは、
絶望にさえ意味を与え未来へのヒントを示してくれる。
実際、人の世の宝だと想う。
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2015年5月26日(火)その2135◆挑戦の根拠
内藤流・空中戦法はプロ将棋界の華麗なるアートだった。
CBSソニー専属歌手として歌った『おゆき』は100万枚を突破。
天才・内藤國雄九段(1939年~)が、この春三月にプロ棋士を引退された。
内藤九段の自筆扇子(「伸び伸び しみじみ」と揮毫)は唯一私のお宝だが、
これは巨匠の娘さんがアフィシオナーダであることの縁で頂戴したものだ。
プロ棋士をめざす中三の私は内藤流・空中戦法(横歩取り3三角戦法)を
徹底的に研究し、また実戦で多用することで、
一年足らずでアマ2級から四段へと駆け上がった。
将棋というのは二次元ボードゲームだが、この戦法を指しこなすためには三次元感覚、
場合によっては四次元感覚が必要だった。
実質中学中退の私が、この内藤将棋(他にも独創戦法多数)によって
世渡りの基礎を学んだことを今なら解るが、ついでに凄いことに気づいてしまった。
出版について何も知らずにパセオを創刊した実務的裏付けは、
単にその一点だったことに。(汗)
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2015年5月25日(月)その2134◆合同生前葬
旅に出るといろんなことがいっぺんに分かる。
ヨシアキ、ヒデオ、カズユキ、エミオ、ミノル。
皆むかしとちっとも変わっちゃいないが、
みな一様に明るさと逞しさとを面白いくらいにパワーアップしていて、
おゐおゐ、未だ危なっかしーのはこの俺さまだけかよと、
そんなことに腹から苦笑できる底抜けに楽しい旅だった。
大切な旧友との再会を果たしたこの金沢への旅が、
まだまだ先の永い冥土の旅の一里塚なのか、
それともそれぞれにとっての終点間近の合同生前葬なのかは分からない。
だが深く刻まれたこの旅の記憶が、
この先の道程に笑いと勇気と癒しをもたらすことだけは信じられる。
そうでねえと出発前に貯めに貯めた仕事は
永久に片付かないのである・・・フォー!( ̄▽ ̄)
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2015年5月22日(金)その2133◆旧交
明日から一泊二日で金沢を旅する。
高三時代の旧友どもと、同じく金沢に暮らす旧友に再会するのが主要目的。
仲間内の誰が逝ってもおかしくはない歳だから、そういう準備の含みもある。
09:44東京駅発の北陸新幹線、もちろん初乗りだ。
野郎五匹の気楽な道中だから、まったくもって緊張感がない。
おまけに幹事がしっかり者の鉄板なので、まるで私は引率される幼稚園児状態。
旅の準備が3分で済んだのには驚いた。で、もちろんおやつは300円まで。
ただし、ゆで卵とバナナとアルコールなどはこれに含まない。
パソコンから丸二日も離れるのも十年ぶりくらいか。
大きなヤマも控えているので、そのガス抜きに
一切合切を忘れて高三当時に戻るとしよう。
そうでなくとも忘却能力は高まる一方だから、
青春時代へのワープは案外スムーズかもしれない。
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2015年5月21日(木)その2132◆フルスイング
「写真を決定する際、正直すごく緊張しましたが、
振り切らない限りヒットも出ないと肚をくくりました」
(パセオフラメンコ6月号/小倉編集長・編集後記より)
「小山さん、6月号表紙これで行きます」
「おおっ、やるねえ~(汗)」
「これでいかがですか?」とは云わない小倉泉弥(おぐら・せんや)はパセオ全権編集長。
異論ある場合は率直に提言するが、最終決定を下すのは彼だ。
それが全権編集長の自由であり不自由でもある。
そう、何にせよ、振り切らない限り球は前に飛んでいかない。
創刊31年の伝統的感傷を軽々と打ち破る奴の若いセンスに、
本心ドン引きしつつも、伸びやかで逞しい未来が視えてくる。
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2015年5月20日(水)その2131◆歩み寄り
およそ二十年ぶりで聴くポリーニの『月光』。
本当にベートーヴェンの楽譜通りに弾いてしまう驚き。
好きとか嫌いとか云ってる場合じゃない快演。
アントニオ・マイレーナを最初に聴いた時の印象に近い。
ま、ともかくも、平気でベートーヴェンを聴ける年齢になった、と。
これもまた、意識と無意識の歩み寄りの成果だと、想うことにする。
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2015年5月19日(火)その2130◆いまだから
「いまはまだ人生を語らず」
親しい酒席でそんな言葉がポンと出た。
昔そんな歌があったような気がする。
志は高い。
やるなあ、おぬし。
一方の私はポンポン語る。
意識と無意識の合致点を探るのが、殊に楽しい。
独りで考えるより、会話のほうが効率いいしな。
若い頃は意識だけで自分を引っ張って来たから、
いまはその埋め合わせに邁進中というわけだ。
視えてくる自分の実像は相当に恥ずかしい。
苦笑というより爆笑だ。
そこが気に入ってるみたい。
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2015年5月18日(月)その2131◆最高傑作
依頼を受けて30分で書き上げた。
江戸っ子は早いのが取柄で、底が浅いのが泣き所だ。
なんと発行部数36万部。
ダイナーズクラブカード会員誌『シグネチャー』6/20発売号に、
この秋来日するスペイン国立バレエ団の紹介記事を書いた。
タイトルは「人生の両極を繋ぐバレエ」で、これは私の最高傑作である。
ちなみに私の最高傑作は1000作ほどある。( ̄▽ ̄)
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2015年5月18日(月)その2130◆もれなくセットで
好きな仕事に就いておよそ四十年。
3勝997敗という通算戦績も伊達じゃない。
だんだんと〝自由〟の意味が分かってくる。
その間にだんだんと身体が不自由になってくる。
身体が不自由になるに従って、精神は自由になってくる。
性格が自由になるに従って、髪の毛や顔が不自由になってくる。
つまり、結論はこうだ。
自由には不自由が、もれなくセットで付いてくる。
だが悲観には及ばない。
不自由にも、もれなく自由が付いてくるから。
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2015年5月18日(月)その2129◆自由に選択
「何をもって〝自由〟とするか?」
正解は、幾通りもあると想う。
世渡りには往々にして目隠しも必要だから、
「自分にとっての自由」を正確に解明することは案外と難しい。
また、敢えてそれを突き詰めない生き方もあるだろう。
それを知ることが、自分の生き方・死に方を知ることだと、私個人は感じつつある。
年寄りのタワ事とは、こういったことを指すのである。
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2015年5月17日(日)その2128◆正直者
「金の斧」
「銀の斧」
「ふつーの小野」
さあ、あなたはどれっ!?
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2015年5月16日(土)その2127◆分裂症
おそらくは明け方にみた不思議な夢。
新手法ゆえ、しぶとく残る鮮やかな余韻。
田舎道をゆくトラック。
荷台には機関銃で武装した兵士が数名。
何とかビッチと呼ばれている私も、どうやらその一員であるらしい。
広がる田園の風情からアバウトに推測するに、ここは東ヨーロッパあたり。
富裕層の旧勢力と、貧困層の新勢力の抗争による内乱。
私は後者に属しているようだ。
善悪の争いではなく、格差が生む単なる経済闘争。
やがてトラックは敵方の前線拠点であるらしい豪奢な館へと到着する。
機関銃を構えながら、用心深く館内を捜索すると、
逃げ遅れたのか、あるいは故意にそれを望んだのか、
館の奥方らしき女性が広間で途方に暮れている。
内乱が勃発した頃に生き別れとなった幼なじみの恋人同士だから、
互いにすぐにそれと分かるし、互いの事情もひと目で分かる。
彼女の手を引き、ちゅうちょなく裏口から館を出る。
西と南には味方、東には敵方。どちらに逃げてもどちらか片方が助からない。
よって二人は北へと進む。
「大尉殿が逃亡された模様であります」
「いや特殊任務だ、放置せよ」
司令部にいる私はとっさにそう命令するのだが、これは一体どうしたことだろう?
あの美しい女と逃げたのはこの私ではなかったのか?
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