フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

ギャンブル [210]

2008年05月19日 | 超緩色系






            ギャンブル




 

 こう見えても私は元勝負師である。

 高校・大学を出れたのはその経済的成果に負うところが大きいが、学力が実質的に中卒止まりであるのも同じくそれに拠るところが大きい。
 だから随分昔の事とはいえ、“勝負”というものについてはそれなりの心得があるつもりだ。


 もしあなたが私の教えに忠実に人生を勝負するつもりなら、1000回する勝負のうち、確実に3回は勝つことができるだろう。
 現にこの私がそうだったのだから、これはかなり堅実な数字と云える。

 「実力に比べりゃ勝ち過ぎだろう」
 「いや、単なるマグレだ」
 というのが私に対する周囲の評判だが、そんな誹謗中傷に挫ける私ではないし、また、当たってるだけに言い訳は難しい気がする。
 ただし、私の教えの逆を行けば1000回のうち997回は勝てるのだから、やはり私は占い師かなんかを志す方が無難なのかもしれんとも思う。

 

 

              




 そんなこんなで、この三十年あまりはいわゆるギャンブルとは無縁の生活を送っている。
 ギャンブル自体を嫌いなわけのない私だが、それでもやらない理由は大きく二つある。
 ひとつには、負けるとわかってる勝負に興味が持てないということ。
 そう、同じ勝負師でも私は弱いタイプの勝負師なのだ。

 もうひとつは、創刊当初ハイリスク・ノーリターンもしくはノータリンと正確に酷評された私の職業の宿命たる、そのギャンブル性の高さである。
 実際には途切れることのない地道な作業の連続なのだが、こうした業種ゆえ毎日がギャンブルみたいなもので、とてもじゃないが競馬・パチンコ・麻雀・カードなどの優雅な賭け事に金や気持ちを注ぎ込む余裕もないのが実情なのである。

 ただ、どちらもギャンブルであることに変わりはなく(では、恋愛や結婚はどう位置する?)、異なるのは達成感の質くらいのものだろう。
 いや、「負けたら負けたで仕方ねえ」とつぶやく心情の色合いもビミョーに異なるかもしれんな。


 さて一方で、若き日の私が、幸運なことに一定の労働に対して安定した報酬を得るような仕事をもしもゲット出来てた場合、そうした安定の反動から不幸なことにギャンブルで身を持ち崩していた可能性は約100%であろうと推測できる。

 さあ、してみると、「出版」「自営業」「フラメンコ」という、各々いかにも危なげなキーワードを組み合わせた仕事に結果的に導かれたことは、20代の私が将来の私を案じたがゆえの、数十年先を読み切ったしたたかな長期戦略の成果だった可能性がある。

 ううむ、だとすれば恐るべし若き日の私よ、君にそのよーなすばらしい先見性があったとは!
 いまの私としては、君にそんな可能性や先見性はまったくなかった方に迷わず全財産を賭けて、スッテンテンになる直前の君から有り金すべて巻きあげてやりたいところだ。

 





 

 



 



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