成功の素
パセオの仕事と並行して、教育関連のボランティアのようなことをやってると云うと、たいがいの人は驚く。
けっこうキャリアは古く、実際にはパセオ創刊のずっと以前からそうしたボランティアに関わっていたのである。
直接指導以外にも、出版物を通して教えることもできるし、また、インターネット普及のおかげで、たくさんの人に教えることができるようになった点は効率上とてもありがたいと思う。
忙しいのによく二足のワラジが務まるなと云われそうだが、私にとってごく自然なことなので、それほど疲れることはない。
これまでに教えた生徒の数は千人を下らないだろう。
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そう、お察しのとーりである。
私こそが正真正銘の「反面教師」だ。
どーよ、せんせーショナルな話ではないか。
長年にわたり、また公私にわたって、私はこの地道なボランティア活動を続けてきた。
反面教師というのは、良きライバルや良き教師に匹敵する貴重な存在なのである。
だが、もちろん意識的にやってきたわけではない。誰がこんなことをスキ好んでやるものかと思う。
私の場合、その行動の動機はだいたい美しいのだが、その行動の結果がとんでもなく悲惨であることが単に多いだけである。
面白いように連発される私の失敗を、リアルタイムかつダイレクトに見た人たちは幸せである。
彼らはリスクなしに貴重な失敗体験を共有し、成功へのパスポートを手に入れることができたからだ。
「自分だけは、ああはなるまい!」
そういう真情は一生を通しての財産なのである。
その後、彼らはそう心に刻み込み、しっかりと更生の道をたどったはずである。
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誰かが困っている時に、その解決策をアドバイスすることはとても無理だが、「俺の場合もっと悲惨だったぜ」とリアルな経験談を話すことで「ああ、まだ自分はマシな方なのか」と相手を安心させてあげることくらいは朝メシ前、もしくは晩酌中である。
昔の人はいいことを云った。
「失敗は成功の素」というあの金言である。
昔の人に比べると、昭和30年生まれの私などはデビュー間もないバリバリの若手アイドル同然なので、あいにく今のところ成功には到達していないが、「成功の素」については豊富すぎるくらいの蓄積がある。
すでに成功するための完璧な布石は敷かれている、と云っても過言ではないだろう。
神のみぞ知るだが、おそらく、到達まであと一歩のところまでは来ているのではないだろうか。また、遅くも今世紀中とかには何とかなるのではないだろうか。
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そんなわけで、今後私たちは「失敗」のことを「成功の素」と称することにしたい。
本日からの私は「反面教師」や「失敗王」ではない。
これから先は晴れがましくも「成功の素との異名をとる男」と呼んでいただきたい。