フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

青春(1)[051]

2006年03月06日 | 超緩色系

 

     青春 ①



     


 朝陽の明治神宮をブラついていると、突如ケータイが鳴る。

 先週書いた『僕を見つめて』というタイトルと私の容貌のギャップが気持ちワルくて、コーヒーを吹き出して高級絨毯を台無しにしたので今晩何かおごれというその脅迫電話の主は、飲み仲間の豪腕エディターである。

 「おかけになった電話番号は現在使用されておりません」と丁重に侘びを入れ、ぷちっと電話を切る。


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 「僕をみつめて」……か。

 青春だよなあ。………
 戻れるものなら戻りたいとも思う。

 今度こそは同じドジを踏まない自信がある。だがしかし、別のドジを踏む自信もあるところに私の真骨頂があるのだ。今度こそ命はねえだろう。
 やり直すことのできない青春でよかったと、やはり思うのだ。


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 さて、ついうっかり私のギターを聴いてしまった人には信じ難い話だが、大学年生の時分に、一年ほどパブの専属ギタリストをやってたことがある。もう30年近い昔の話だ。

 それは総武線沿線駅近くの、当時としてはハイカラな、地元で人気のパブだった。
 カラオケタイムの間をぬって、カラオケ嫌いのお客さんのために30分4ステージで何か大人向けのソロを弾け、というのがその雇用条件であった。

 パブの支配人は仕事のできる苦労人だったが、気の毒なくらいに音楽センスの欠落している人で、そのおかげで私はオーディションの難関をものの見事に突破することが出来た。
 このことと、他に応募者がいなかったことは併せて内緒にしておいてほしい。

 ま、それでもギャラは当時の大卒の二倍近くだったから、私はそれまでのやや危ないシノギから足を洗うことが出来た。
 性能の良いリズムマシーンやエコーが使えたので、ヘボなりに何とかごまかすことも出来た。

 もともと私のギターというのは、テクニックとリズム感と音楽性とかを除けば何の問題もないギターだったのだ。


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 『恋は水色』のポール・モーリアや映画音楽なんかをせっせとアレンジしたり、『別れの朝』とかムード歌謡をルンバ・フラメンカでやってみたり、『禁じられた遊び』や『アルハンブラ』を弾いて、カラオケ派の防波堤という本来の役割をそれなりにこなしていた。

 宿敵カラオケの順番待ちのお客さんたちに「早く終わってくれえ」と懇願されることも多々あったが、支配人と同じ音楽レベルのお客さんたちが熱心に応援してくれることもあって、ヘボなりに楽しい日々は続いていたのである。
                       (つづく)