日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

寒さ、ますますきびしくなります・・・

2019年11月10日 | Weblog

 こんにちは。お元気ですか・・・。

 寒さも日一日と増してくる毎日です。天気も乾燥しながらゆっくり晴れ間をみせます。今年も最終コーナーにはったことが来たと感じる日々です。散歩をする道にも紅葉し、枯葉を落とし軽くなった身になって、休眠にはいる準備をしています。通勤でも厚着の洋服で満員という混雑さも息苦しさもつくっているようです。とはいうものの、最近こんな季節でも昼間はとても暑く感じることもあります。薄着の若者をみると、寒さはまだまだなのおあなーと思います。

 これは、あの法務大臣(河合克行法相)のことでしょう。今年7月参院選で広島3区から立候補した妻の案里参院議員が公職選挙法違反疑惑報道(週刊文春)後のことでした。その疑惑の責任をとって、夫が法務大臣を辞任をしたことの川柳なのでしょう。辞任理由は「法務行政への国民の信頼が損なわれてしまってはならない」と。とはいえ、まず、辞めるべきは妻のほうだろう。今のところ、この妻の動向はきかれていない。いったいちゃんと説明責任をとるのだろうか。それにしても、国会議員が公職選挙法を知らないわけはあるまい。しかもそれを無視して選挙運動をやっていたのだからあきれてしまう。そして、その違反である選挙運動を誰もが言わない選挙とはいったいどんな政治になっていくのだろうか、と思うとひどいものだと思う。そのことを有権者は知らないわけであるから、有権者への裏切りでもある。

 

 日本の大学進学率はほぼ5割以上は大学に進学する時代。さらに、少子高齢化でますます大学の経営は厳しさをましていることは報道されている。それに伴う受験産業の利益も少しずつ斜陽化してるように見える。受験生が大学に入るためには、いくつもの難関を突破してはいる仕組みは昔からあったのだろうが、年々複雑になっていくように思える。昔は、受験といえ答案用紙に筆記していればよかった。ところがいつの間にか英語のリスニングが取り入れられ「聞く英語」の受験が導入されていた。さらには、受験するための免罪符のような「共通テスト」でふるいにかけれらた。年々、受験が複雑になっていったようだ。今回の「英語民間検定試験」は、受験会場での英語リスニング試験をやめ、それぞれの受験者が指定された英語専門学校での検定試験をするテストする、というやり方なのだろう。今回はとりあえず英語だけということだった。ところが、これが運転免許の講習所みたいに近所にあるわけではない。なければ交通費を使い、さらには講習代も払いと、相当に経済的に余裕がなければ難しいことになる。それい輪をかけるように今回の文科相の「身の丈」発言。けっきょく、貧しいものは受験が困難になることが軽く見られたようだ。これで憲法が保障する「教育の機会均等」が軽んじられてはいないか・・・ということが問題になったのだろう。

 よくよく考えてみれば、いかに「教育産業」を儲けさせるかが、受験生のことよりも先にきている共通テストの在りかたが問題になったのだろうと思う。「復興産業」とか、弱者をいかに負担を少なくして暮らせるようにするのかが政治の大原則が少しずつくずれてきていはいないか・・・などと思うニュースが多くなっているように思う。

 ラグビーワールドカップの「にわかファン」と同じように「にわか政治ファン」が多くなればいいと思うのだが、この辺はそれぞれの利害の思惑もあり難しいのだろうか。それでも、「原則として弱者への政治」ということを考えればいいのではないのあだろうか。なぜなら誰でもいずれは高齢化になり人の世話になることが多くなるいう法則は等しく持っているように思えるのだから・・・。

 

「帰り道で」

ラグビーワールドカップの帰り道

世界のざわめき 世界の吐息

スタジアムは地球のなかの小さな地域

歓声をききながら 耳に余韻がまわっている

勝者のコグラチレーション語り

敗者はアリガトウと語り

地球は廻る 

妻との帰り道にたくさんの応援の外国人

こんなにも多くの人類が共存していることがスタジアムで感じた日だった

迷子にならないように日本人の私たちはこれからも進めるのだろうか

世界のざわめきが 世界の吐息が

今日を動かして進む

 

 

 散歩の途中。参道ではたくさんの七五三の親子をみかけた一日だった。もうそんなじきかな・・・と思う。みんなお御殿様かお姫様のような子どもたちを多くみかけた日だった。

 ぼくが昭和の子どもの頃は神社で見かけた七五三の子と、今も同じような着物をきていたのを見かけたことを思い出しした。遊んでいるなかに、親と一緒にいたあの時の子どもはとても大人ぶって見えたものだった。静かにすまして、親に手をひかれ神社を通り抜けていく子どもが、いつもと違うようにも見えたのだった。遊んでいるぼくたちに、赤飯やみかんなどの食べ物をふるまってくれた。汚れた手のひらにのった赤飯が固くて冷たくてもおいしかった思い出がある。

 今日みた子どもたちは、ずっと子どもたちに見えた。なにか昭和の時代みたあのときの子どもとは違う子どものように見えた。時代がそうさせたのだろうか。それとも神社がそう見せたのだろうか・・・。

 東京に住んで40年近くなるが、神社で子どもの姿を見かけたのは『男はつらいよ』の映画で柴又帝釈天で遊ぶ、元ちゃん子どもの姿くらいだった。それにしても見ることが少ないと感じたのはぼくだけだろうか。昭和の時代、田舎の神社は子どもたちでいっぱいだったような気がする。かくれんぼや野球、なわとびなど男も女もいっぱいいたように思う。夏はラジオ体操の集合場所でもあり、なんにつけ子どもの広場ったように思う。ゆいいつ子どもが自由に走り回れる空間であったようにも思う。東京ではそれがあまりにない。きっと、本当の都会の子どもたちではなくて移動してきた人たちだからどうと思う。いつの間にか都会は移民の町になっているのだろう。それは、好きで来たのではなく働くことを優先した大人たちの選択の結果なのだろうと思う。

 今では日本人にかぎらず外国人まで東京に移民するじだいである。ならば、神社はますます子どもから距離をおいて行くことだろう。だから、神輿をかつぐ氏子も少なくなってきたわけだということも理解できる。

 

 影がだんだんと長くなってきましたね。影をみる時間も短くなってきました。つい、この間までラグビーワールドカップで騒いでいた暑い月日がなつかしくなってきます。それにしても、今年くらラグビーを思いっきりみた年はないでしょうね。これまで、知人にさそわれ、秩父宮に社会人や学生のラグビーの試合を見に行ったこともありましあたが、あの時とは全然違う興奮でした。これも、プレーの緊張感がつくるのでしょうか。選手の眼つきや動きも80分間競技場いっぱい走り回るすごさを感じた年でした。そして、顔中血だらけになっても痛い顔もみせずもくもく試合に打ち込む選手のひたむきさに感動していたのだろうと思います。国内リーグとの違いといえばそういうところではなかったのではないのでしょうか。来年からトップリーグが始まりそうです。新年早々の試合を見に行ったら、この余韻がどれだけ残っているのか楽しみにも思えますが・・・。

  はやいものでもう「年末調整」が配られました。毎年のこととはいえ、昨年と記入の仕方が違うようです。めんどうな作業です。こんなことをしても返ってくるのは「すずめの涙」ほどです。とはいえ、貧しい身なので記入して提出しないと・・・と思います。それより、毎月の賃金の少なさといったら・・・。年末一時金も出ないということもあり、無常の年末です。

 来週からちょっと忙しくなりそうです。「焦らず」と自分に言い聞かせなかがらはじまりそうです。天気が続き、乾燥していて再びカゼをひかにようにしないといけません。先週はさんざんでししたので、反省していきたいと思います。マスクは必需品です。

 いつになったら秋の紅葉を見に山歩きにいけることやら・・・トホホ。

 それでは今週はこの辺で、失礼します。読んでくれた人、ありがとうございました。


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