映画の感想をざっくばらんに、パラパラ読めるよう綴っています。最近は映画だけでなく音楽などなど、心に印象に残ったことも。
パラパラ映画手帖
No163「同じ月を見ている」深作健太監督
2005-12-08 / 映画
「月刊シナリオ」12月号に掲載されている脚本(森淳一)を読んで、映画とかなり違うことに驚いた。
ポイントとなる部分はそのままに、
ドンが刑務所にいたという設定をはじめ、深作監督は、かなり変更している。
映画的なリズムが生まれ、ずっとよくなったと思う。
パンフレットに書かれていた深作監督の言葉がとてもいい。
「月が太陽の光を反射して夜空で光っているように、
映画もまた映写機の光を映してスクリーンにその生命を宿している。」
「月の光もスクリーンの光も、それを積極的に見ようとしない限り、人の心には届かない。
でも、意識的に見つめた時、はじめてそれは人の心を癒す光になってくれます。」
幼なじみの鉄也(窪塚洋介)、元(あだ名はドン)(エディソン・チャン)、エミ(黒木メイサ)。
鉄也は、恋人エミの心臓病を治すため医者の道を歩んでいた。
二人の前に、刑務所から脱走したドンが現れる。
親もなく、知的に弱いが、絵が上手く癒しの力をもつ元に、鉄也はずっと嫉妬していた。
冒頭、窪塚と黒木の演技に、どうも力が入っているように感じられたが、
後半に向かうにつれ、力みも取れて、よくなっていった。
ドンに出会い、自分を取り戻していく、ぼったくりバーのマスター山本太郎が
野性味と人間味の入り混じったいい男ぶりを発揮。
「はじめからやりなおすんだ」と、明るい瞳と屈託のない笑顔。
ドンから届いた絵を、友人に見せ、預かってほしいと言ったときの、はにかんだ表情は、
自分の最期をどこか覚悟しているようにも見えて、心に残った。
ラストに窪塚が見せた表情に、ぐっと引き寄せられた。
子どもが、窪塚の心を念力で読んで描いた絵を見せる。
てんとう虫の絵。
それは・・・
絵を見ていた窪塚の表情が止まり、凍りつく。
と同時に、久保田利伸の歌うバラードがかかる。
止まったようにみえた窪塚の表情は、スローモーションでゆっくりと動き、
前を向いて、腕を上げ、頭をおさえるのでなく、
傍らに座っている恋人の肩に手をおき、抱き寄せる。
この表情がみごとだった。
絵は、ドンを思い出させ、自分の罪を知らしめるもので、
この瞬間、やっと窪塚は、あらためて、自分の罪を受け入れることができたとわかる。
罪を自覚する者だけができる表情。
きっとこれから先ずっと、その罪を心に抱いて生きていくにちがいない。
そして、カメラは上にパンして、二人を見守っているかのような、
昼の空に浮かぶうっすらと白い月を映しだす。
見事なエンディング。
ドンを演じる香港の俳優エディソン・チャンは、存在感抜群で
片言の日本語しかセリフはないが、目の力にひきこまれてしまう。
火事場のシーンで、窪塚が「俺じゃなきゃだめなんだ」と叫び、
水をかぶって、火の中に突っ込んでいく姿は、力強く、頼もしく、
復帰第1作にふさわしく、彼らしさを感じた。
劇中につかわれた日本画「炎」「松の木」(早川剛作)がすばらしい。
ドンが描いた「炎」の絵をみながら、画家東谷(岸田今日子)と住職(三谷昇)の会話がいいので、最後に紹介する。
住職「今にも燃え出しそうな色づかいですね」
東谷「これがドンちゃんの本当の姿。どんなに激しい気性なのかがよく出てる」
住職「こんなボーっとしてる子がねえ」
東谷「きっとたくさん、悲しい出来事に、めぐりあってきたんでしょうね」
東谷「嘘や裏切りや嫉妬。悲しみの種を育てる心の中の悪魔と、どんなに激しく闘ってきたのか、手に取るように、わかる絵よ」
岸田今日子が、「春の雪」に続いて、ほんの脇役ながらたっぷりの存在感を発揮。
満足度 ★★★★★★(星10個で満点)
ポイントとなる部分はそのままに、
ドンが刑務所にいたという設定をはじめ、深作監督は、かなり変更している。
映画的なリズムが生まれ、ずっとよくなったと思う。
パンフレットに書かれていた深作監督の言葉がとてもいい。
「月が太陽の光を反射して夜空で光っているように、
映画もまた映写機の光を映してスクリーンにその生命を宿している。」
「月の光もスクリーンの光も、それを積極的に見ようとしない限り、人の心には届かない。
でも、意識的に見つめた時、はじめてそれは人の心を癒す光になってくれます。」
幼なじみの鉄也(窪塚洋介)、元(あだ名はドン)(エディソン・チャン)、エミ(黒木メイサ)。
鉄也は、恋人エミの心臓病を治すため医者の道を歩んでいた。
二人の前に、刑務所から脱走したドンが現れる。
親もなく、知的に弱いが、絵が上手く癒しの力をもつ元に、鉄也はずっと嫉妬していた。
冒頭、窪塚と黒木の演技に、どうも力が入っているように感じられたが、
後半に向かうにつれ、力みも取れて、よくなっていった。
ドンに出会い、自分を取り戻していく、ぼったくりバーのマスター山本太郎が
野性味と人間味の入り混じったいい男ぶりを発揮。
「はじめからやりなおすんだ」と、明るい瞳と屈託のない笑顔。
ドンから届いた絵を、友人に見せ、預かってほしいと言ったときの、はにかんだ表情は、
自分の最期をどこか覚悟しているようにも見えて、心に残った。
ラストに窪塚が見せた表情に、ぐっと引き寄せられた。
子どもが、窪塚の心を念力で読んで描いた絵を見せる。
てんとう虫の絵。
それは・・・
絵を見ていた窪塚の表情が止まり、凍りつく。
と同時に、久保田利伸の歌うバラードがかかる。
止まったようにみえた窪塚の表情は、スローモーションでゆっくりと動き、
前を向いて、腕を上げ、頭をおさえるのでなく、
傍らに座っている恋人の肩に手をおき、抱き寄せる。
この表情がみごとだった。
絵は、ドンを思い出させ、自分の罪を知らしめるもので、
この瞬間、やっと窪塚は、あらためて、自分の罪を受け入れることができたとわかる。
罪を自覚する者だけができる表情。
きっとこれから先ずっと、その罪を心に抱いて生きていくにちがいない。
そして、カメラは上にパンして、二人を見守っているかのような、
昼の空に浮かぶうっすらと白い月を映しだす。
見事なエンディング。
ドンを演じる香港の俳優エディソン・チャンは、存在感抜群で
片言の日本語しかセリフはないが、目の力にひきこまれてしまう。
火事場のシーンで、窪塚が「俺じゃなきゃだめなんだ」と叫び、
水をかぶって、火の中に突っ込んでいく姿は、力強く、頼もしく、
復帰第1作にふさわしく、彼らしさを感じた。
劇中につかわれた日本画「炎」「松の木」(早川剛作)がすばらしい。
ドンが描いた「炎」の絵をみながら、画家東谷(岸田今日子)と住職(三谷昇)の会話がいいので、最後に紹介する。
住職「今にも燃え出しそうな色づかいですね」
東谷「これがドンちゃんの本当の姿。どんなに激しい気性なのかがよく出てる」
住職「こんなボーっとしてる子がねえ」
東谷「きっとたくさん、悲しい出来事に、めぐりあってきたんでしょうね」
東谷「嘘や裏切りや嫉妬。悲しみの種を育てる心の中の悪魔と、どんなに激しく闘ってきたのか、手に取るように、わかる絵よ」
岸田今日子が、「春の雪」に続いて、ほんの脇役ながらたっぷりの存在感を発揮。
満足度 ★★★★★★(星10個で満点)
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