日々の記録

ほどよく書いてきます。

リスク管理?

2007年12月14日 01時05分37秒 | その他雑記
本日二時間目の授業は、不安全行動防止の心理学的アプローチというものだった。

結構面白かったぞ。
 たとえば、プラントなどのようなシステムが動き出したときに機械的なエラーというのはノウハウの蓄積や機械部品の信頼性向上により、年々減っていく。しかしながら、人間の特性というのは急激には向上しない。となると、全エラーに対してのヒューマンエラーの割合が増大してくる。
 原子力発電などの場合、ひとたび致命的なエラーが起きると被害が想像を絶するほどに甚大になりうるが、その頻度は非常に低い(歴史上数えるほど)。人間が制御しているエネルギーが莫大であればあるほどに、事故がひとたび起きたときの惨劇具合は甚だしいだろう。たとえば、原子力発電所の事故、飛行機事故、宇宙ロケットの事故、交通事故などなど。
 些細なヒューマンエラーが問題となる。

 ヒューマンエラーというのは、何か意図したことが実行できなかった場合を意味する言葉らしい。結構その先に枝分かれがあったな・・・

 で、事故につながる行動を不安全行動というらしい。Unsafe Actsだそうで。意図しない行為と、意図した行為に分けられる。意図した行為には、そもそも行動が間違っていた(天ぷら油の火災を消すべく水を掛ける、など)ミステイクと、バイオレーションという規則違反(速度制限あるけど、急ぎの用事があって!など)があるおすで。意図した違反行為であるバイオレーションはヒューマンエラーではないが、意図しない行為により起こったエラー、意図したが間違っていたものがヒューマンエラーとなる。

・ヒューマンエラーがなぜ起こるか?
 注意と不注意はなぜ起こる?
 まず、人間は長い時間集中力を維持できない。おおよそ30分程度で集中力というのは切れてしまうらしい。もちろん小休止などの気分転換などで回復するが、精神的な疲労というものがあるようだ。体が疲れるわけではなく、飽きるし、イヤになる。問題が起こらないかずーっと計器を眺めているのは結構な苦痛ではないだろうか?常に変化があればおそらくは集中力の維持が可能なのだろうな。気分転換を同時にこなしながら勧めることができるだろうから。読書なんかは数時間ぶっ通しで本を半分くらい読んでしまうことも可能だろう。数学の問題をせっせと解くのも問題を解けているのなら進展があるので集中力が保てるが、全く解法が思いつかなければ集中力は切れる。

 次に、人間は複数のことに「十分」集中できない。そう、本気で考え事しているときに隣で誰かが会話していてもその内容を覚えていないではないか?聞き流すことは出来ても二つのことに同時に集中することは出来ないのだ。たとえば勉強なんかをしているときに音楽を聴くのは良いのだが、歌い始めるとダメだ。そう、歌に集中力を吸われているので。あれ?もう何曲過ぎたっけ?っていうのであれば、集中力は勉強に行っている。昔音楽聞きながら勉強しましたが、気がついたら曲終わっているのは良くありました。物理的な情報処理はされるが、理解という形ではとらえることが不可能らしい。ミスったら事故につながる時に、もう一つ手のかかる何かが起こったら、人間はどうしようもなくなるのだろうな。本を読みながら歩くと電柱にぶつかるようなもんか?本を読むことに集中すると、徒歩という作業は出来ても、電柱回避という判断やらを伴う行動には不備が出てくる。もちろん携帯電話で話ながらの運転も該当する。電話に注意を奪われたら運転がもちろんおろそかになる。これは人間である以上どうしようもないので、俺は大丈夫だなどというのはリスクを些少に評価しているに過ぎない。

 スキーマ理論
 スリップというヒューマンエラーがある。何かというと、意図したにもかかわらず途中から行動が入れ替わってしまうことだ。今日は久しぶりに紅茶を飲みたいなーと思ってキッチンに向かいお湯を沸かして気がついたらコーヒーフィルターをセットし、豆を挽いている、みたいな感じ。紅茶を飲もうと思った所までは良いのだが、ついついいつもの習慣でコーヒーを淹れてしまう行動に走っている。目的がいつの間にかすり替わってしまう。つい、いつもの癖で目的とは違った行為に走ってしまったというのが、スリップ。さて、なぜ起きる?
 人間というのは、無意識に作業が出来るようになっているらしい。そう、マクロを自分で組んで、そのマクロを活用しているのだ。勢いが無いと書けないものってあるでしょう?漢字とかは勢いで最後まで書いてしまわないと、本当にこの漢字であってるんだっけ?と不安になる。スペルがうろ覚えの英単語でも書き始めるとスルスルっと書けるなど、指が覚えている、などと形容される行為でありましょうか。頭の中で一連の作業がパッケージにみたくなっているのでその行動をほぼ無意識にすることが出来るのである。先に挙げた紅茶とコーヒーのエラーだけど、紅茶を入れる前に、お湯を沸かすという行為がある。このときに何が起こるかというと、そのお湯を沸かすという行為がコーヒーにも共通しているのでそこから行動がコーヒーにスリップしてしまうのだ。水をポットにいれて、火に掛けたら次は豆を挽いて・・という作業がつながってしまうのだ。芋づる式?
 私の通学路というのはほぼ確定している。ああ、今日ガソリンスタンドよらないとなー、今朝は時間にゆとりがあるから朝の内に給油していこうとおもっても、いざバイクに跨り、エンジンを掛け大学に向けて出発するといつの間にか通常の通学路を走っていて、給油のことを忘れてしまっている。これは通学という日常的な行為に、給油という非日常な行為が乗っ取られてしまったのである。ガス欠になればもちろんそれがヒューマンエラーから来る事故となるのだ。
 このような、うっかりやついついといった行動ももちろんやってはいけないところでやっちゃうと酷いことになる。

・さて、今度はうっかりではなく、バイオレーション。これは違反行為である。
 なぜ?
 違反行為をしたときに得られるメリットが大きいのだ。たとえば、高いとことにある物を取るとき、キャスター付きの椅子にのって手を伸ばすと足場が不安定になるのは明らかであるが、簡単にキャスター付きの椅子が手に入る、脚立が手に入らない、という現状を考えたときに、

 簡単に物に手が届く > 脚立を取ってくる

というように、簡単に手が届く方に損得勘定が傾き、その行為に走る。信号無視は違反だが遅れてしまうとまずい状況だ、石油ストーブの給油の時に火を消してからのほうが安全だが火を消すと臭いし面倒くさいから火を消さずに給油、こたつがヌクヌクで暖かいがこたつで寝てしまうと風邪ひくだろうなと思いつつも布団に移動せずそのままぐっすり、すぐそこまで買い物だからサンダルで運転~。。たくさんありますね。

 一応ペナルティという形でこういう行為の頻度は小さくなる。たとえば、信号無視が発覚したら禁固1日という条件があれば、信号無視の頻度が小さくなるだろう。ほんのちょっと急いだだけで一日丸つぶれ、というのが損得勘定に働くのだ。検挙率が低くても、リスクというのは、確率と重みの積なので、万が一にもばれて牢屋にはいるのはごめんだという心理的な働きがある。たとえ反省文であっても、書くのが面倒くさいからこそ、バイオレーション防止にたいしての抑止力があるのだ。ペナルティ、違反者にとってのリスクだが、これが小さいとやはりバイオレーションが起こる。同じ速度違反でも検挙されないような所では、みんなばんばん飛ばす。警察がいつも張っている所、オービスのあるところでは皆減速したりする。損失は同じでも発生頻度が高くなるとリスクが高いという評価を下す良い例かな。



 ヒヤリハット。危険予知、KYというらしいが、空気読めないわけじゃない。危険予知だ。
一件の大事故の背景には多くの小さな事故、さらにその根底には非常に多くのトラブルがあるものである。小さな事故、トラブルなどを分析することにより将来起こりうる大事故を未然に防ぐ必要がある。小手台を使わずに半田ごてを使っていてやけどしそうになったから、ちゃんとした小手台を買うとか、そんなんでしょうね。やけどする前に対策に移れたら、やけどの可能性を低減できるのだ。
 経験的に大丈夫だと思う、あのときなら行けると思った、といった思いこみは事故につながる。急いでいたりあわてていても危険である。面倒くさいという心理的な作用によるトラブルは多いだろう。

 思いこみの例。今まで大丈夫だから今日も大丈夫(いや、数学的帰納法使えないよ?)。新製品だから問題ないよはず(マイクロソフトしっかりしてくれー、俺はVistaヤダよ)。似たような事例では問題がないから、これもいけるやろ。そんなにアブナイことだとは知らなかった(半導体業界でフッ化水素使いまくるが非常に危険な薬品だと知らないと悲惨な事故起こるよ)。などなど。
 急いでしまう原因は以下のような物が多いようだ。作業が立て込んでいて急がないといけなかった。装置の立ち上げが迫っているので急がないと他の人に迷惑がかかる。作業に失敗してその時間ロスを取り戻さないといけない。天気が悪くなったから片付けを急がないと。上司にせかされた。トイレに行きたくなったのでさっさと済ませたい・・・・
 面倒くささというのは・・・簡単な作業なのでいちいちヘルメットやゴーグルをするのが面倒。慣れている作業だから、安全確認が面倒。工具を忘れてしまったがその工具を取りに戻らず別の工具で代用させてしまう。作業する資格が無いけど簡単な作業のために呼ぶのは申し訳ないので勝手にやっちゃった(依頼が面倒)・・・などなど。


 危険予測というのはなるべく多くの起こりうる問題を沢山の人から収集し、それぞれにどんなリスクがあるかを評価し、リスクを抑えるためにはどういった対策が必要かを考えなければならない。人間の損得勘定が狂ったとき手抜きなどが起こるのでリスクの適正な把握も必要である。


 最後だが、事故が起こった後の対策としてどのようなものがあるか。
 JR西日本が悲惨な事故をやったのは記憶に新しいことだろう。
 全くだめな対応の例を挙げる。
・運転士の規則遵守の徹底
・運転士の訓練の強化
 これらはだめな例である。規則の遵守から来るプレッシャーにより事故が起こったのであれば事故原因の解決には全くならず、むしろリスクを増大させかねない。事故直後のJR西日本の対応はこうだったらしく、講義担当の先生(今のJR西日本の安全何とかの委員やっておられるらしい)は悪例として、心理学の学問からは好例だったとか。

 すべき対策は、背景にあるヒューマンファクターの追求にあるようだ。事故の手前駅でのオーバーラン、これによるタイムロスでペナルティ(反省文書かせるとか報道されてましたね、悪例です)、余裕のないダイヤ(急がせる好例である)、効率を優先しゆとりのある安全さを軽視した組織。こういう背景に存在する要因を取り除いていかない限りああいった類の事故というものは起こりうる。運転手が悪いわけではなく、事故が起こるような運営をしていた経営陣に責任があり、対策の義務がもちろんあるのだ。



 ここまで書いて、めちゃ疲れた。レポート提出あったら、上のやつにもうちょっと手を加えて練ってから提出だな。レポート提出なくて、出席だけだった。リスクがなぜ起こり、どういった方法でリスクを下げられるかが何となく分かったという点で良い授業だったな。
 リスクというのはゼロにはならないものである。リスクをゼロにしたいならば、被害を被る人間を消滅させるしかないらしい。そして、安全と危険という言葉は使わない方がいいらしい。リスクが高いか低いかだけである。特に日本人は「危険」という単語に対して絶対的な危険性を覚えるようだ。逆に安全といったら絶対安全だと思うようだ。100%の安全を保証できるものなど何もない。なので、原子力発電所は安全ですかという質問には、安全です、危険ですといった回答はできない。リスクは最小限になっています、ということになるね。また元気があったら追記するかも。
コメント (5)
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