池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

空間の歴史(21)

2019-01-24 18:09:57 | 日記
金曜日の夜中に救急車で病院に運ばれ、週末をベッドで過ごすことになった。
週明けには自宅に戻り、会社に復帰する予定でいたが、痛みがなかなか引かないことや、心臓がかなり弱っているということで、結局次の週も病院にいることになった。

妻は、救急車に付き合ってくれて、翌日にパジャマやタオルなどの必要品を運んでくれたが、それ以後はさっぱり姿を現さなかった。たぶん、金曜日の夜のことを怒っているのだろう。いろいろと不便はあったが、携帯電話で彼女に訴えることはしなかった。毎日遅くまで残業していることを知っているので、余計な負担をかけたくなかったのだ。

痛みは引いてきたが、精密検査等もあって入院はさらに伸び、金曜日までいることになった。つまり、まるまる一週間、病院で暮らすことになったのだ。

何の刺激もなく、ただ身体を右にしたり左にしたりするだけの単調な時間。
その間に、様々なことを考えた。
一番、私の脳に沁みたのは、やはり自分の来し方だった。

絶望的な状況からホームレスになり、池袋の町を徘徊し、最後には古臭いビルの地下にある狭い空間に身を隠した。

しかし、そこを出た時から、状況は一気に好転する。

西口広場で出会った品のよい中年の調査員が、私にまとわりついていた金銭問題をすべて解決してくれた。そして、再就職の世話までしてくれた。
おかげで、私は上昇気流に乗った業界の中に身を置くことができ、再婚もできた。
降ってわいたような僥倖だ。
本当に、自分の人生は幸運だったとつくづく思う。

一つだけ、私にやり残したことがあるとすれば、それは息子である。
息子に会い、彼の窮状を救って、なんとか立ち直らせること。それが、私の人生の最後の仕上げに思えた。そう、それをやり遂げなければ私の人生は完成しない。
そう思った。









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