母は、私が育った地方都市の別の場所で生活していた。
同僚であるキリスト教婦人会の皆が一致して言うには、私が家出をしてから、彼女は急に明るくなったらしい。母の言葉によれば、それまで「この子さえいなければ」という思いを払拭できず、ひたすら信心の世界に没入することでそれを払拭しようとしていたらしい。私が家出することで重りがとれ、母の神経は次第に和らいでいく。
親の遺産が手に入ったこともあり、同じ市内にアパートを建てて大家として悠々自適の老後を送ろうと計画していたところ、その敷地が、市が推進する大学病院建設計画と重なってしまい、かなりの保証金を渡されて土地を譲渡した。
今は、小ぶりな駅近のマンションのオーナー兼管理人となり、何不自由ない生活をしているようだ。
息子さんと会いたいかという調査員の質問に、母は即座に拒絶の意思を示した。あの子と会ったら精神的に追い詰められていた時期のフラッシュバックが来そうで、とても会う気になれない。自分は金銭的に何も困っていないし、あの子が元気でやっているならそれで十分、と母は答えたそうだ。
父については、分かれてからは何の接触もないのでわからないらしい。父に関係する書類をすべて処分し、もう思い出したくないと教会で真剣に祈った結果、本当に相手の名前すら忘れてしまった。「高」が付くことだけは頭に残っているが、高田なのか、高井なのか、高島なのか、今は思い出せないそうだ。
家の事情で苦学して学士号を取得する努力家だったが、お金にルーズなところがあり、それが原因で分かれたのだと母は調査員に笑いながら話した。
その話を聞いた時に、父親も私と同じような苦労をしているのだなと思った。私も、家出をした後、仕事しながら夜学に通って高卒の資格を取り、大学は通信教育で卒業した。
最後に、母は、あくまで噂だけど、と断りながら、別れた後に元夫は一念発起し、急成長したベンチャー企業で重役まで上り詰めたらしいと付け加えた。
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