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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

7/26・バーナード・ショーのユーモア

2013-07-26 | 文学
7月26日は、無意識の領域を探検した心理学者、カール・ユングが生まれた日(1875年)だが、劇作家、バーナード・ショーの誕生日でもある。
自分がはじめてショーの名前を知ったのは、高校生のころで、当時ベストセラーだった多湖輝の『頭の体操』に、バーナード・ショーがこんな風に紹介されていたからだった。
「ダンサーのイサドラ・ダンカンがショーに恋をしていった。『あなたの頭脳と私の肉体をうけついだ子が生まれたら、すばらしいと思いませんか。』ショー答えていわく、『あなたの頭脳と私の肉体をもった子が生まれるかもしれません。』」(多湖輝『頭の体操 第5集 天才のパーティーに参加しよう』光文社)
おもしろい人だなぁ、と自分は感心した。

ジョージ・バーナード・ショーは、1856年、アイルランドのダブリンで生まれた。父親は穀物商で、母親は歌手だった。ジョージは3人きょうだいの末子で、上に姉が二人いた。
彼が16歳のころ、母親は夫を捨て、声楽教師と手に手をとって英国のロンドン渡った。ジョージの二人の姉も母親についていたが、彼は父親のもとに残った。彼は不動産屋で事務をして働いたが、20歳のとき、母親を頼ってロンドンに出た。
ロンドンでショーは、大英博物館の読書室に通って本を読み、音楽コラムのゴーストライターをして生活費を稼ぎ、小説を書いた。小説は売れなかったが、20代の終わりごろには、芸術評論の原稿料で生活できるようになった。
同じく20代の終わりごろ、穏健な社会主義団体であるフェビアン協会に参加し、36歳のとき、『やもめの家』で劇作家としてデビューした。
42歳の年に、同じフェビアン協会員の裕福な女性と結婚。この社会主義者の新婚カップルは豪華客船で贅を尽くした新婚旅行に出かけた。
ショーは『シーザーとクレオパトラ』『ウォレン夫人の職業』『人と超人』『ピグマリオン』『メトセラへ帰れ』『聖女ジョーン』などの戯曲を発表し、69歳のとき、ノーベル文学賞を受賞した。
1950年、木の枝を剪定していて落ち、その後遺症と腎疾患の悪化により没した。94歳だった。

ショーの戯曲では自分は『人と超人』を読んだ。色好みのドン・ファンの話を、男が女を漁るのでなく、女から男が追いかけられる話に仕立てたもので、重厚な展開が自分にはすこし冗長に感じられたが、随所に作者の才気がきらめいていた。
彼の作品は映画化されたものも多い。『シーザーとクレオパトラ』はヴィヴィアン・リー主演で、『ピグマリオン』は、オードリー・ヘップバーン主演で映画化され「マイ・フェア・レディ」となった。『聖女ジョーン』は、 ジーン・セバーグ主演で「聖女ジャンヌ・ダーク」として映画化された。

本を読んでいると、ときどきバーナード・ショーのユーモアに出会う。自分は皮肉のきいたショーのユーモアが大好きで、それはたとえばこういう感じである。

「ある人がバーナード・ショウに、『金曜日に結婚をすると不幸になるというが本当ですか』と聞いた。『勿論です。どうして金曜日だけが例外になるのでしょうか』とショウは答えた。」(河盛好蔵『エスプリとユーモア』岩波新書)

「人生は、自分を見つけるためにあるのではない。人生は自分自身を創り出すためにある」(Life isn't about finding yourself. Life is about creating yourself.: George Bernard Shaw)
しゃれているだけでなく、いいことを言う人だなあ、と思う。
(2013年7月26日)


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