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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

4月6日・ラファエロの構成

2018-04-06 | 美術
4月6日は、将棋棋士、谷川浩司が生まれた日(1962年)だが、芸術家ラファエロの誕生日でもある。ダ・ヴィンチ、ミケランジェロに続く、イタリア・ルネッサンス第三の男である。

ラファエロ・サンティは、1483年、当時、小国分立時代のイタリアのウルビーノ公国で生まれた。父親は宮廷画家だった。小さいころからデッサンが巧みで、父親を手伝ったラファエロは、8歳までにはほかの画家の工房へ弟子入りした。ラファエロは技量が突出し、師匠の助手を務めた徒弟時代、肉体表現においてすでに師匠の筆力を超えていた。
18歳でマスターとして独り立ちしたラファエロは、独立当初から多くの絵画制作依頼を受け、宗教画を多く描いた。20代前半には、フィレンツェなど諸国を遍歴しながら絵画制作を続けたラファエロは、25歳のとき、ローマ教皇の招きを受けてローマ入りし、大規模な工房開いて制作をはじめた。ラファエロの工房には50人くらいの画家の弟子たちがいたと言われ、ラファエロは弟子たち、あるいは外の画家工房に下請け仕事を依頼しながら、つぎつぎに歴史的名作を仕上げていった。
生前から名声が鳴り響いていたラファエロは「ベルヴェデーレの聖母(牧場の聖母)」「アテナイの学堂」「システィーナの聖母」「ガラティアの勝利」「キリストの変容」などの名品を描いた後、、1520年、熱病にかかり、37歳の誕生日に没した。

レストランのサイゼリヤに行くと、ラファエロの絵が見られる。あの店の壁に描かれたほお杖をつく天使は「システィーナの聖母」のいちばん下の部分である。

ラファエロは、師匠やダ・ヴィンチ、ミケランジェロの作品を模写し、先達から徹底的に吸収して消化し、自分の資質を開花させた人である。実際、ミケランジェロの傑作「システィーナ礼拝堂天井画」を、制作中にラファエロはこっそり盗み見ていた。

ラファエロは精密なデッサンの達人で、人体のさまざまなポーズを描いた緻密に描いたデッサンを膨大なストックがあって、大作にとりかかる際はまずそのデッサンの束を床にぶちまけ、どのポーズを採用しようかと検討するところからはじめたという。

画家のサルヴァドール・ダリが『私の50の秘伝』(音土知花訳、マール社)のなかで、独断的に画家に点数を付けていて、それは技術、色彩力、天才性、構成力、独創性など九項目に分類して、ダ・ヴィンチ、アングル、ピカソ、モンドリアンなど古今の大画家11人が俎上に並べられ採点されているのだけれど、ダリはフェルメールとラファエロにはほぼ満点をつけ、その崇敬の念を表明している。

ラファエロの代表作「アテナイの学堂」は、絵画の教科書である。中央に「イデアだよ」と天を指さすプラトンと「いえ現実ですよ」と応じるアリストテレスを中心に、ディオゲネスやピタゴラス、女神アテーネーまで数十人を精密に描きわけ、さらに全体としてみごとな調和を成している。西洋絵画史は、この完成度の高い構図を乗り越えようと後の画家たちがもがいた努力の歴史だとも言える。果たして努力は成功したかどうか。ラファエロの構成力は、時代を突き抜け、超えている。
(2018年4月6日)


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