噛みつき評論 ブログ版

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ナチスドイツ、ソ連、中国、独裁国の危険

2020-10-25 21:50:12 | マスメディア
 神奈川県座間市のアパートで、金銭・性的暴行目的のために男女9人を殺害した事件は人間の精神の規格、あるいは範囲というものを考えさせられた。恐らく刑法が想定した犯罪の範囲を超えているであろうと思う。もし悪魔の世界があればこの容疑者はノーベル賞級であろう。

 これは個人レベルの犯罪であるが、国家レベルの大犯罪、戦争も少なくない。それは犠牲者数の桁が違う。第一次世界大戦での死者数は3700万人、さらに第二次世界大戦での死者数は全体で5千万〜8千万人、ドイツは7-900万人、ソ連2千600万人、ユダヤ人はホロコーストによって約570万人が犠牲になったとされる。これは当時の人口の78%にあたるという。凄まじい惨劇である。中でも独ソ戦は激烈で双方で3000万人以上の死者を出したという。日本の死者数の約10倍である。捕虜の扱いもひどく、570万人のソ連軍捕虜のうち、300万人が死亡したと言われている(死亡率は53%)。一方、ソ連の捕虜収容所で生き残ったドイツ兵士は5%であったという。まてドイツはウクライナやベラルーシ、フランスで次々と村ごと大量虐殺を行うなど、常軌を逸した凄惨な戦争であった。

 興味深いことは両国が共にヒットラー、スターリンという独裁者の統治する国家であったことである。どちらかがまともな国ならここまでの地獄をみることはなかったであろう。さらにドイツは2度も大戦の主原因国になっている。またソ連は1945年8月9日、原爆を落とされ降伏直前の弱体化した日本を突如攻撃し、降伏後も戦闘を続け、アメリカ政府からの抗議を受けながらも降伏文書調印後の9月4日まで 侵攻を止めなかった。樺太、千島を占領したが北海道は奪い損ねた。しかし満州国や南樺太から民間人を含め65万人がシベリアに抑留され、6万人以上が犠牲になった。ドイツもソ連も人間で言えば最高の極悪人である。

 世の中に善人もいれば悪人もいるように、善い国や悪い国があると考えてもよいだろう。むろん相対的な意味であるが。民主主義国であれば国民の意向がある程度は政治に反映されるからいくら国益のためといってもあまりに無茶なこと、人道やモラルに反することは制約を受ける。ベトナム戦争における米国が好例である。しかし強権的な独裁国家ではそのような制約がない。独裁者は犯罪的な行為も可能なのである。

 このような惨禍は二度と見たくないが、残念ながら独裁国家は近くに存在する。終身の独裁者が強大な権力を握り、国民を監視する情報システムを備え、さらにウィグルやチベット、モンゴルで民族の抹殺を企図し、南シナ海や東シナ海では領土の拡張を画策している国である。急激に増強する軍事力、周辺民族に対する政策に見られる残虐性、約束を破って南沙諸島を軍事基地化するという信用性の低さ、フィリピンと争っていた南シナ海の九段線の海域に対する国際司法の判決を「紙屑」だとする無法ぶり、これらを考えるとナチスドイツやスターリンのソ連と共通する部分が多くあることに気づく。

 なぜこんなことを書いたかというと戦後、ソ連のやった占領や抑留などの不法行為の数々にもかかわらずソ連を賛美する学者・文化人、マスコミが多かったためである。それは共産党への賛美の故であり、それは中国に対しても影響を及ぼしていると思うからである。左派のメディアは中国の軍事的脅威に寛大である反面、日本の軍事力増強には反対している。日本学術会議が軍事目的の研究を禁止しているのはその背景があるからであろう。中国が軍事力を行使したり、軍事的脅迫を決してしないという前提がなければ成立しない議論である。突然ポーランドに侵攻するまではヒトラーもさほど警戒されていなかったそうである。独ソ間の密約によって、ほぼ同時にソ連はポーランドの東半分を占領し、ドイツと分け合った。独ソは強盗の仲間であった。しばらくしてその独ソが仲間割れをして凄惨な独ソ戦をすることになる。本当に見苦しい話である。世界史を動かした独裁国家の歴史を振り返ってみるのも悪くないと思う。
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日本学術会議の実体 次々と明るみに

2020-10-18 21:08:08 | マスメディア
 日本学術会議から噴き出した騒ぎが止まらない。6名の任官拒否を問題視した野党や左派の騒ぎは学術会議の実体を世に知らせる役割を果たし、話は学術会議の存在理由にまで及び、廃止論も出始めた。まさに藪蛇である。また任命拒否は違法だとか、学問の自由を奪うとか、軍事と民生の区別が困難、など様々な議論があるが、これらは枝葉末節の問題である。

 問題の本質は、日本学術会議の最大の目的である軍事目的の研究を禁止して日本の防衛力を低下させてもよいのか、ということにある。さらに日本学術会議は軍事目的が疑われる研究に圧力をかけて実際に学問の自由を妨げている。防衛力は敵の侵略・攻撃を防ぐ、あるいは抑止するためにあるわけで、それが弱くなれば平和が脅かされるのは自明である。将来、戦争になったとき、中国のミサイルはよく命中するが日本のミサイルは当たらない、ということもあり得るのである。防衛力が弱くなってもいいと主張するなら、他国による侵略・攻撃が絶対にないという条件が必要である。

 こんなわかりきったことをなぜ学術会議の連中は理解できないのだろうか、というのが多くの方の疑問であろう。学術会議は学者の集まりなのだからバカばかりとは思えない。ならば外国の影響を受けているのか。これは否定できないが、影響は限定的だろう。とすると…。

 日本学術会議についていろいろな発言が出ている。

 任命拒否された6名はいずれも「安全保障関連法に反対する学者の会」の賛同者である。また日本学術会議元会長広渡清吾氏はその会の発起人である(10/17産経)。

「共産党の宮本たけし氏の応援演説で『安倍政権を倒す!一緒に戦ってくれたのが共産党!』と、広渡清吾氏(学術会議の元会長)」

「防衛大学の卒業生が大学院に行きたくとも、東大を始め各大学は『”防衛省の人間”など入れない』と断る。一方”人民解放軍の軍歴のある人間”は入れて国立では国費で教え、最先端の技術や知識を持たせ中国へ帰している」

 下の二つは櫻井よしこ氏の言葉である。一つ目は共産党と日本学術会議の深い関係を示唆するものである。学術会議の会長が「安倍政権を倒す!」と叫ぶのだから凄い。二つ目は中国の利益に貢献している事実を示すものである。現実に国の利益に反した行動であり、国賊という名を差し上げたい。

 また須田慎一郎氏によると、新型コロナのワクチン研究において、日本はかなり遅れているという印象があるが、それはウイルス研究は生物兵器につながるという理由で否定されているためであるらしい。国立大学協会会長は『ウイルス研究も否定はおかしい』と批判してるそうだ。北海道大学での船の航行抵抗低減に関する研究は学術会議の圧力で中止になったそうだが、これは民生用にも大きな意味を持つ。諮問・提言の機関である日本学術会議が実質的に科学研究に干渉しているわけで、これは政治の領域に手を入れているのである。国民の意志を反映する仕組みを持たない学術会議が勝手にこんなことをしてよいのか。

 旧ソ連が戦前、暴力革命を通じて世界中を共産主義の国にしようたくらみ、世界各国に作った組織がコミンテルンである。旧ソ連はとっくの昔に滅んだが、その影響は現在にまで及んでいるようである。「他国を侵略するのは帝国主義であり、共産主義は決してそんなことをしない」。これはよくつかわれたプロパガンダであるが、日本学術会議の中心メンバーはまだ信じているとしか考えられない。幼稚で頑固、世間知らずの学者様達が多いことである。

 共産主義国が生まれてから約100年、多くの共産主義国は滅びたが、思想だけは実にしつこく生きている。まあ釈迦やキリストが2千年後も影響を及ぼしているのに比べると短いが、共産主義は政治的分断を伴い、平和への脅威となるだけに始末が悪い。
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曲学阿世の徒はまだ生きている

2020-10-11 21:26:03 | マスメディア
 曲学阿世とは、学を曲げ世におもねる意味というである。この言葉が有名になったのは1951年、当時の吉田茂首相が南原繁東大総長に対し「曲学阿世の徒」と非難したことによる。南原は学者・文化人らによる全面講和論の象徴的人物とされ、共産党と社会党が全面講和を支持した。全面講和とはソ連など共産国を含むすべての関係諸国との講和であるが、米ソの対立のためもあってその実現は困難であった。それは講和の実現を阻み、日本の独立を阻止するのと同様の意味を持った。しかし日本は単独講和、この言葉はおかしいが、西欧諸国など48か国と講和を結びことになり、現在に至る。

 当時の学者・文化人の多くが共産主義に親近感をもち、その活動がソ連の利益になるものであったことは日本共産党がコミンテルンの日本支部であったことと、その工作の成功を意味するのだろう。ソ連がコミンテルンを通じてしようとしていたことは全世界の共産主義化であったとされている。イスラム教が聖戦を通じて全世界のイスラム化を目的にしているのと似ている。共産主義と宗教との類似性がいわれるが、世界征服の点でも同じ似ている。また、スペインも大航海時代、宣教師を世界各国に派遣して世界のキリスト教化を考えていたという。せっかくだがどれも迷惑なお節介である。

 さて日本学術会議であるが、政府に会員の任命権があるか、ないかなどの細かい形式な論争になっている。残念なことは日本学術会議の問題の本質に対する言及があまりないことである。学者の世界では依然として左派が力を持っているようで、学者の組織である日本学術会議では活動的な左派勢力が影響力を持ち、日本学術会議の方向性を支配しているのではないかと疑われる。軍事目的の研究を禁止する一方で、中国に学術的な協力を惜しまないという姿勢は協力対象国が70年前のソ連が中国に代わっただけのことである。つまり巧妙に乗せられているのである。

 多くの学者・文化人は70年前も現在も、正義や良心に基づいてのことだろうと思う。ただその正義や良心が問題なのである。なぜかその正義や良心はかつてはソ連、今は中国の利益のためにあるようである。日本の軍事力強化に協力せず、中国の軍事力の強化に協力する姿勢は国の安全に反する。ついでながら死刑制度の存続には国民の8割が支持しているが、日弁連は反対している。日弁連全体として反対しているように理解されがちだが、そうではなく少数の活動的左派が反対運動をしていると言われている。多くの弁護士はそんなことより稼ぐことに関心がある。活動的な少数による支配という日本学術会議と共通の構造がみられる。

 共産主義はロシアで革命を起こし、その後、全世界に広がっていった。膨張性・拡張性はその属性だと考えてよい。東アジアでは北朝鮮、中国、ベトナムに至ってようやく止まった。これだけの広がりを見せたのには、共産主義がもつ強い魅力があるからだろう。学生などの若者はこの魅力に惹きつけられてしまう。私は共産主義をよく知らないので偉そうなことは言えないが、この魅力は労働者、資本家、生産手段、私有、など複雑な概念を単純化し、それを簡単な論理で説明したわかりやすさと、革命によって平等や自由などの理想を実現できると信じさせたことにあるのだと思う。若者や学者、つまり社会の現実を知らない人間に大受けしたのである。

 しかしよくわからないのは70年前ならともかく、親玉のソ連が崩壊し、他の共産国も次々と消滅した現代において、なぜ現実を正しく認識できないのか、なぜ軍事目的の研究をやめろなどと叫び夢を見続けるのか、である。若い日に受けた教育が長く影響を与えるのはわかるが、それにしても国際環境が激変しているのに理解せず、依然として頑固一徹なのは理解できない。学者なんだから多少の理解能力はあると思うが、やはり歳には勝てないということか。

 言論の自由、学問の自由、信教の自由、どれも民主主義を支える基本である。しかし同時にそれは共産主義やイスラム原理主義が他国を侵略しようとする場合の土壌となる。オウム真理教は信教の自由のおかげで発展し、大被害をもたらした。もしイスラム過激派が日本に浸透して、過激な信者を増やしても、行動を起こさない限り、何もできない。それが信教の自由なのである。オーストラリアでは中国による浸透工作が明るみに出て、国同士の対立に至った。先進国の自由権は諸刃の剣なのである。自由が制限されている中国などではその心配はない。非対称の争いであり、自由主義諸国は不利な立場なのである。
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日本学術会議が学問の自由を侵害

2020-10-04 22:10:38 | マスメディア
 日本学術会議が推薦した新会員候補の一部を菅政権が任命しなかったことで大騒ぎが起きている。任命拒否は今回が初めてのように報道されているが、4年前にもあったそうである。まあ、この種の問題は左翼が騒ぐであろうことは容易に予想できるから、菅政権の意欲が見えるようだ。

 反対側の主な論理は独立した機関である日本学術会議の人事に政府が手を突っ込めばその独立性を脅かすことになり、科学研究の自由をも奪うことになる、というものだ。政府の人事介入と科学研究の自由とは関係がないとは言えないが、その関係性は「風が吹けば桶屋が儲かる」程度だろう。

 しかし、左翼の集まりと言われる日本学術会議の主要な活動には、軍事目的のための科学研究は行わないという方針がある。1950年、1967年に続いて、2017年にもその継承を定めている。いろんな考えがあってよいと思うが、軍事目的の研究を禁止することによって日本の防衛力が低下する可能性が高い。戦争リスクの増加である。国際環境の変化によって安全保障の必要性が増している現在、日本学術会議のやっていることは日本の安全を損なう方向である。他国は熱心に軍事研究をやっているのだから彼我の格差が拡大するのは当然である。9条があれば平和が維持できるという考えと同じく、それは現実には平和に対する脅威である。歴史上、軍事的空白域が戦争を招いた例はいくらでもある。

 日本学術会議の設立は1949年である。これは米国の占領下であり、敗戦直後であり、戦争には懲り懲りという気分が充満していた時期である。平和憲法が作られた時期とも近い。日本が再び戦争を起こす危険が懸念された時期であり、双方ともその芽を摘むのが目的であったろう。当時の判断としては正しいと言える。

 科学者が集まって政府に政策提言をするというが、そもそも科学者がそんなに判断力があるのか。生命科学者が生命科学の未来を予測し、それに沿った政策を提言するのはいい。しかし生命科学者が安全保障や国際情勢について正確な認識ができるだろうか。日本学術会議が設立された時代、鉄腕アトムの時代は科学に期待が集まり、科学者がエリートとして過大に評価されたのだろう。今でもそういう自負があるのかもしれないが科学者の集団が適切な政治的提言をできるとは思えない。日本学術会議の軍事目的の禁止という姿勢こそ国際情勢に対する無知を証明している。

 日本学術会議は研究を軍事的か非軍事的かに見分けるのが困難だとして2017年3月24日に声明を出している。「軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究について、その適切性を目的、方法、応用の妥当性の観点から技術的・倫理的に審査する制度を設けるべきである」と。つまり審査機関を作って研究を規制しようというのである。恐らく審査機関は自分たちの息のかかった連中で構成されることだろう。これこそ憲法23条の学問の自由を脅かす違憲の行為である。政策提言ではなく、直接支配を目指しているようだ。「長老支配の苔むした組織」「税金の無駄遣い」として、舛添要一氏が日本学術会議の廃止を主張することも納得できる。

 特定の思想を持った者たちが組織に浸透し、やがて組織の方向性を変える。コミンテルン(日本共産党はコミンテルンの支部として発足)が得意とした手らしいが、巧妙な方法である。防ぐのは難しい。マスコミでは朝日新聞が代表例だろう。安保法制や特定秘密保護法などに猛反対する姿勢は中国に侵略に協力しているように見える。まるで中国の代弁者のようである。中国や韓国までが軍事力を急激に増やしているが、両国を非難するのを聞いたことがない。

 先ほど、日本学術会議は中国の軍事研究「千人計画」に積極的に協力してたことが明らかになったそうである。いよいよ日本学術会議の仮面が剥がされるのか、まことに興味深い。
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そろそろ核武装論を始めよう

2020-09-27 22:55:34 | マスメディア
 戦争は避けたい、と誰もが思う。とりわけ核戦争は絶対に避けたいと思う。2度と核爆弾を落とされたくない。だが日本が核武装しても、その核爆弾は日本では爆発しない。日本で爆発するのは敵国の作った核爆弾である。

 全世界で核がなくなれば理想だが、信用のない国がある限り、実現はとても困難である。ただ、核の保有国同士が互いに核攻撃するという最悪の事態は数十年間なく、今後も可能性はごく小さい。核攻撃が行われるとすれば、核保有国が非保有国に対してだけであろう。核保有国に対しての攻撃は実際には報復が恐ろしくてできない。また通常兵器によるものであっても核保有国に対する攻撃は慎重にならざるを得ない。以上は当たり前のことであるが。

 そう考えると平和を希求するために日本が核武装することは理に叶う。北朝鮮の核は同様、自国の安全のためという意味合いが強い。しかし、中国のような膨張主義の国は自国の安全のためもあろうが、積極的に他国に対する脅しや実際の使用をも意図しているように見える。両国とも独裁国家であり、予想外の行動に出る可能性も高いので不気味である。何をするかわからない恐怖である。

 英米仏はいづれも核保有国であるが、政治が安定していてヒトラーのように暴走することはまずないと思われる。これらの国の信用があるのでその核は脅威ではない。同様に、日本が核武装しても脅威と感じる国は少ないだろう。それだけの信用がある筈だ。日本は核の原料である、プルトニウムを大量に保管しているが、懸念されていないのは信用があるからだ。南沙諸島を占領し、軍事基地を作らないと約束しながら平気で約束を破り基地を作る国、国家事業として他国民を大量に誘拐する国、1965年の条約を無視して賠償や謝罪を求める国などは信用しようがない。これらの国が核を持てば脅威である。

 一方、国内には日本が敵基地攻撃能力を持つことにすら根強い反対があるようだ。この理屈が私にはよくわからない。中国や北朝鮮は日本の基地だけでなく都市をも壊滅させるだけの核攻撃能力を持っている。核を含めると日本は圧倒的に不利な立場にある。しかも優位に立つのは信用できない国なので、脅威が現実になる可能性はある。その状況で敵基地攻撃能力に反対するのは敵国の利益を代弁しているとしか思えない。

 中国が各国から警戒される中、日本の中国に対する軍事的抑止力が受け入れられる素地ができつつある。核武装となればクリアーすべき問題がいろいろあると思うが、せめてその議論だけでも始めるべき時期に来たと思う。最大の目的は平和を守ることであるが、少なくとも9条で平和が守れるという議論よりはマシであると思う。

 昔、核による平和を「核抑止」「恐怖の均衡」と呼んだ。欧米では核シェルターが広く普及するほどの恐怖の時代もあった。しかし現代は恐怖に慣れてしまったのか、ホットラインなど戦争防止の手段が用意されたためか、恐怖はあまりない。核の全般破棄が実現できない以上、現実的な方法である。
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内閣支持率はメディアの能力試験

2020-09-20 20:37:22 | マスメディア
 発足したばかりの菅内閣であるが、内閣支持率は64〜74%とかなり高い支持を得ている。菅内閣の実績はまだないので、これは回答者がメディアから得られた情報によって判断した結果である。つまり発足当時の支持率はメディアによる内閣評価の反映に過ぎない。メディアの評価にはその内閣の将来評価も含まれるから、メディアの予測能力が問われる機会でもある。

 一般的な傾向として内閣支持率は発足時に高くなり、終了時には低くなる。発足時にはご祝儀気分が加わることが一因であろうし、終了時には当初の期待が裏切られ、低い支持率になるのだろう。近年、発足時の支持率が高かったのは小泉内閣の81%、鳩山内閣の72%であるが、小泉内閣は5年半近く続いたが終了時には51%の支持率があった。鳩山内閣は僅か約8ヵ月で終了、その時の支持率は21%であった。続く民主党の菅内閣は発足時61%が1年余で18%に、野田内閣は60%が1年半で20%に、短期間にいずれも急降下した。当初の支持率は、つまりメディアの流した情報はとても信頼できないことの証明となった。

 自民党の内閣にも福田内閣のように58%から20%へ急落した例もあるが、急降下の実績は民主党政権が圧倒している。民主党の3つの内閣は発足時には高い支持率を得ている。これはメディアが民主党の各内閣に期待を込めた高い評価を与えていたことを示す。メディアは自分の好きな政権か、嫌いな政権かによって感情を込めた評価をしているようである。メディアの客観的な評価能力は極めて低く、間違いなく落第点である。当時、左派メディアが熱狂的に支持した鳩山由紀夫元首相であるが、その後の韓国や中国での振る舞いを見ればメディアの評価能力のレベルがわかろうというもの。未だに謝罪はない。

 有権者はメディアが提供する評価に基づいて政治的な世論を形成し、投票する。当たり前のことだが、有権者が正確な情報を得ることは民主主義の前提である。メディアの評価能力が低かったり、政治的な好み、思想的な偏向のために提供する情報が信頼できないとすれば民主主義が成り立たない。なにかというと民主主義を振りかざす左派メディアが自ら民主主義の基本的条件を台無しにしているのは皮肉なことである。願わくば、メディアの不正確さ、不誠実さにもっと世の注意が向くことを期待したい。民主主義の基本的条件なのだから。
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10号台風、恐怖の発表と過剰報道

2020-09-13 22:02:00 | マスメディア
 10号台風のことである。過去に経験したことのない台風、史上最強の台風が来たとメディアは騒ぎまくった。とりわけNHKは9月5日夜からは通常番組を中止して台風情報だけを流し続けた。ところが気象庁の発表は凄いのだが、そのわりにはたいした災害の画像がなく、やや強い風、やや高い波などの退屈な映像が長時間流された。テレビ局の連中はもっと凄い被害映像を願っていたことだろう。

 台風の進路や強さの予測はある程度の不確実性が避けられないため、空振りは許容されなければならないことは理解できる。しかし、今回の10号台風の予報はちょっとひどすぎる。過去に経験したことのない、史上最強などの形容詞だけでなく、予想される瞬間最大風速が80m/sと発表するなど、実際に観測された数値との開きが大きすぎる。80m/sと簡単に言うが、風圧力は風速の二乗に比例するから、80m/sでは40m/sの4倍の力がかかる。非常な大差である。

 南方海上での中心気圧の最低値を920ヘクトパスカル(hpa)と予測していたが、これを史上最強というのはおかしい。弱ることが多い上陸時でも室戸台風は911hpa、第二室戸は925hpaであり、南方海上での中心気圧なら1979年の20号台風の870hpa、2013年30号台風は895hpaとまだまだ上がある。

 恐怖を煽る気象庁の誇大発表と不安を煽る過剰報道の相乗効果は絶大である。台風の被害予想は両者の連携により何倍にも増幅され、多数の避難者を出すだけでなく、新幹線を含むJR線は九州だけでなく西日本まで計画運休となり実際の損害も生じた。そして、ついに気象庁の謝罪はなく、言い訳だけがあった。海水温が高かったので発達すると予想していたが、少し前に9号台風が付近を通ったので海水温が低下したため、「期待」に反して発達しなかったという意味の言い訳であった。9号が少し前に付近を通ったこと、台風が通れば海水はかき混ぜられ下層の低温部が表面に出て水温が下がること、台風による雲で日射が遮られて温度上昇が阻害されこと、これはすべて既知の事実である。言い訳にはならない。

 予報も、そして言い訳までもが実にお粗末である。天気予報の精度は年々上がってきているのは確かだと思う。それは衛星による情報、観測点の充実などハード面によるところが大きいと思うが、それらを使って判断する人間の能力に問題があるのではないだろうか。謝罪もせず、言い訳にならない「言い訳」を聞けば、そう思いたくなる。各テレビ局には専属の今日予報士がいるようだが、彼らも気象庁を批判しないのもおかしい。

 気象庁がこんな体質で、大袈裟な発表を繰り返していれば「オオカミ少年」なるのは当然で、いくら言っても避難しない住民が現れるのは自然の成り行きである。当たり前だが、信頼性は最も重要である。まともな言い訳もなく、謝罪もない現状では彼らには国民から信頼されようという意思がないように感じられる。また過大な予報を平気で出すことになると思う。気象庁は無責任で気楽な商売、ではないのである。
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坊主憎けりゃ袈裟まで憎い

2020-09-06 22:17:40 | マスメディア
 朝日新聞社が9月2-3日に実施した世論調査で、第2次安倍政権の7年8カ月の実績評価に関し、「大いに」17%、「ある程度」54%を合わせて、71%が「評価する」と答えた。全く「評価しない」は9%に過ぎない。また前に紹介したが、共同通信が29-30日実施の世論調査でも、安倍内閣支持率は56.9%で、8月22-23両日の調査より20.9ポイント増加した。

 一方、辞任表明直後の朝日・毎日の社説は安倍批判がほとんどで、評価はむろんのこと、労いの言葉もなかった。朝日は安倍首相によって日本の民主主義が深く傷つけられたとまで主張する。これらの新聞の評価と、上記の調査に表れた国民多数の評価とは大きすぎるほどの違いがある。また欧米の首脳・メディアは安倍首相に高い評価を与えているが、中韓は逆である。中韓と朝日・毎日が共通する点が興味深い。しかし同じ日本に住み、同じ日本語を話し、同じような教育を受けた人間がなぜこれほど極端な低評価を下すのだろうか。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉がある。とても上手い表現で、普通、無生物の袈裟が憎しみの対象になることはないと思うが、坊主が憎ければ袈裟まで憎くなるという不合理な感情を表している。この不合理な感情、憎しみが拡大するという仕組みは攻撃力を高め、戦争のときには役立ったかもしれない。しかし不合理な感情であることには違いないわけで、認識や判断を狂わせるものである。過剰に憎んだり、逆に過剰に好きになったりすることは誰にでもある。ただ教育を受け、社会経験を積むにしたがって客観的な思考もできるようになり、不合理な感情の影響は小さくなるのがふつうである。むろん例外はあるわけで、歳をとっても子供のような反応を示す人も少なくない。

 戦後教育、あるいは戦後の政治思潮のためであろうが、多くの若者が左翼に走った時期があった。だが、その多くは社会に出て、現実を見るにつれ左翼思想から遠ざかった。若い頃の左翼思想を頑なに守っているのはかなり少数である。ぶれないと言えば聞こえがよいが、変化を受け入れないただの頑固者である。「25歳のとき左翼にならない人には心がない。35歳になってもまだ左翼のままの人には頭がない」という名言は出典については不明確ながら、広く引用されるのは真実を含むからであろう。

 この名言は歳を食っても左翼のままである理由を頭、つまり知能に求めているが、そればかりではなく、別の理由もあると思う。ここで「坊主憎けりゃ…」が出てくる。彼らは一度憎いと思ったら、その不合理な感情を変えられないという特殊な特性を持っているからではないかと思うのである。こだわりの人である。

 安倍首相の功績を一切認めず、ひどい批判ばかりする人たち、彼らはよほど安倍首相が憎い、あるいは嫌いなのではないか。そう考えないと彼らを理解することはできない。つまり合理的には理解できないのである。いろんな人がいるのだから、そのように憎く思っている人がいることは仕方がない。しかしそのような人たちが集まって特定のメディアを支配し、プロパガンダの手段とすれば、影響は増幅され、政治を歪め、社会にとって重大な問題になる。それに中韓と共通する部分が多いことから、中韓に利用される可能性もある。彼らは一種の過激派であるが、暴力を伴なわないため取り締りの対象外となる。言論の自由はとても大切な原則だが、負の側面もある。
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任期途中の辞任、無念の首相に石を投げるメディア

2020-08-30 20:42:17 | マスメディア
 『首相在任7年8カ月、「安倍1強」と言われた長期政権の突然の幕切れである。この間、深く傷つけられた日本の民主主義を立て直す一歩としなければならない』

 これは8月29日朝日新聞社説の冒頭部分である。安倍首相は民主主義を深く傷つけたとある。ずいぶん変わった、実に独創的な見方である。ここまで独創的であるからこそ、あの鳩山由紀夫元首相にも高い評価を与えたのであろう。むろん労いの言葉など皆無である。続いて安倍首相の功罪についての詳説があるが「功」1に対し「罪」9の割合である。しかも「功」の説明はひどくそっけないが、「罪」の説明はとてもしつこい。そのため今回の社説は通常の2倍の分量である。

 一方、毎日新聞の社説のタイトルは「安倍首相が辞任表明 行き詰まった末の幕引き」である。内容はほとんど「罪」ばかりで、こう締めくくっている。
『長期に権力を維持することには成功したが、政策や政治手法の点では「負の遺産」が積み上がったのが実態だったのではないか』 

 どんな頭の人が書いているのだろうか、日本を敵視する国がプロパガンダのために書くような文章であり、安倍首相はいいことをひとつもやっていないと受け取れる内容である。客観性など、どこにもない。三流紙ならこれでもいいが、部数約240万部、第3位の新聞がこれでは悲しい。その点約550万部、第2位の朝日も同じである(部数はABC協会発表値、実際は2~3割の押紙があるとされる)。

 辞任の記者会見では各メディアの質問のお粗末さが目立った。「なぜプロンプターをつかわないのか」「意中の次期首相は誰か」とか、辞任会見にふさわしくない愚問である。さらに首相の持病を抱えながらの長年の激務に対して、誰一人、労いの言葉をかけなかった。人としての礼や思いやりやに欠けていると思わざるを得ない。連日こんな記者らを相手にしなければならないとしたら、首相の心労も増え、病気にも悪影響を与えたに違いない。安倍首相ほどの重責を担い、激務に耐え、大仕事をしてきた記者は一人もいないだろう。

 こうした左派メディアの反応に対して、吉村大阪府知事のツイートは多くの国民の気持ちを代弁するものであったと思う。私も同感で、心打たれるものがある。

 「安倍総理、強烈なストレスの中、長きにわたって、外交、防衛、経済等、日本を引っ張って頂き、本当にありがとうございました。僕の親族にも潰瘍性大腸炎を患っている者がいるのでいかに辛いかよく分かります。健康第一、治療に専念されて下さい。心から感謝申し上げます」

 海外のリーダーからも辞任を惜しむ声が多く届いた。多くは安倍首相に「敬意」という言葉を使っている。外交的な配慮があると思うが、中国からでさえ評価する言葉が届いた。けど左派メディアに敬意や感謝という言葉を見ることはない。

 人が死んだ場合、日本ではその人をむち打つことはしない。病気によってやむを得ず任期途中の辞任に至った場合も同様だと思っていたが、左派のメディアの感覚は少し違うようだ。当然のようにむち打つ。これは日本人の心情と相容れない。首相といえば国民が選んだリーダーである。敵ではないのに、左派メディアはまるで敵のような扱いである。仮に敵であったとしても、病のためやむを得ず去り行く人に石を投げるようなことを恥じる文化が日本にはある。

 ほとんどの大統領が辞めたらすぐに逮捕されたり、自殺に追い込まれたりする国が近くにあるが、日本の文化とは相容れない。日本の左派メディアはかの国に近い文化を持っているのかもしれない。そういえば、朝日はかの国を擁護することが多かった。

 誰もが利益を享受し、納得できる政治など存在しない。私心のない政治家がこれほどの業績を残しても、負の面ばかり注目され、叩かれるのでは、政治の世界を目指す若者が少なくなるであろうことは予想できる。

追記 共同通信が29-30日に行った世論調査で、安倍内閣支持率は56.9%で、8月22、23両日の調査より20.9ポイント増加した。辞任表明直後に支持率が急上昇したわけだが、辞任表明により改めて安倍首相の功績に気づいたのであろう。またそこには感謝の気持ちも含まれていると思う。朝日・毎日などの認識と大きなズレがある。どう考えれば朝日・毎日のような認識になるのか、理解できない。
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新聞・テレビの知能低下は深刻

2020-08-23 20:53:08 | マスメディア
 内閣府が17日発表した4~6月期のGDP速報値は前期比で7.8%、年率換算(*1)で27.8%減少した。要するに1~3月期より7.8%減ったということであるが、ほとんどの新聞・テレビ各社はトップで年率の27.8%を強調し、過去最大などと大々的に伝えた。年率という表示はあったものの注意しないとわからないものもあった。年率換算というのはこの減少率が1年間続いた場合の数値である。現在の新型コロナによる影響は恐らく1年間も続くことは考えにくい。近いうちに反動があるだろうし、現に中国はV字回復している。この27.8%という数値は現状を表すものとして不適当であり、事態を実際より深刻だと誤解させる恐れが強い。

 27.8%を強調したのはその方がインパクトが強く、読者・視聴者の注目を引くからだと思う。読者・視聴者に事実を正確に伝えるというのが本来の使命である筈だが、それは優先事項ではないらしい。読者・視聴者は全文を読んで理解するとは限らない。恐らく大部分は見出しやリードだけで済ませることは彼らにもわかっている筈である。従って全部読まなくても大まかな意味が理解できるように書くのがマスコミの仕事である。事実を正確に伝えようという職業意識が乏しい。

 また、テレビの情報番組は製作コストが低いせいかは知らないが、長時間の情報番組が多くなっているように感じる。そして司会者などの出演者にはお笑い芸人出身者が多いように思う。つまり優先されるのは事実を正確に伝えるのではなく、事実をいかに面白おかしく伝えるかであるのではないか。ここでもテレビが本来の役割を軽視している姿勢を感じる。一部の番組が井戸端会議のような低レベルであってもいいと思うが、そのような風潮が全体に広がっているように思う。もしかするとマスコミ自体、年率換算の意味もちゃんと理解していないのかもしれない。

 昨今の暑さについて気象予報士がいろいろと解説しているが、その中にフェーン現象(*2)を理由に挙げる人が多い。フェーン現象とは水蒸気を多量に含んだ空気が山を越えたときに起きる現象で、風が山を越えるときの上昇気流によって温度が低下し水蒸気が雲・雨となるときに凝縮熱を放出し、それが山を越えると、下降気流による温度上昇に凝縮熱が加わるためだと理解している。つまり山を越えるとき、雨が降ることが必要条件なのである。しかしどこにも雨が降っていないのに山越えの風があるだけでフェーン現象だと説明している。気象予報士はどんなことを勉強されているのか知らないが、テレビ側のチェック能力も怪しくなっているようだ。

 メディアがアホになり、くだらない番組ばかり作ること自体はかまわない。しかしその政治的影響力は強く、選挙の行方を左右する。メディアは第4の権力と呼ばれるくらいである。その権力がアホになったら、国の命運さえも左右されることになりかねない。

 ニュースの取捨選択にも興味本位を優先する姿勢が感じられる。ある程度は仕方がないが、度が過ぎる。情けないことにNHKが民放の後追いをしているように思われる。地上波テレビと新聞だけでは世の中の半分しかわからない。残りの半分を知るにはインターネットと雑誌(週刊誌を除く)を見ることであろうが、選択が大変である。

(*1)次の式が使われます。近似的に四半期成長率を4倍してもよいです。
年率換算成長率=((1+四半期成長率)^ 4 - 1 )*100

(*2)乾いたフェーン現象というものがありますが、あまり一般的なものではないようです。上空に温度の高い空気があってそれが下降する場合に起きるものとされています。
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