噛みつき評論 ブログ版

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モラルの破壊者

2018-04-22 23:02:03 | マスメディア
 新潟県知事、財務省事務次官と大物の辞任が相次いだ。一身に非難を浴びているのは知事と次官だが、果たしてそれでいいのだろうか。本当に非難されるべきは援助交際相手の女子大生とテレ朝の女性記者ではないか、という見方も可能であることを示したい。むろん報道で知り得た限りの知識による推測であり、真相は「藪の中」だが。

 女子大生は知事と援助交際をしていたとされる。一種の取引関係であり、私情を交えた関係であったかもしれない。知事は相手が週刊誌に売るとは夢にも思わなかっただろう。このような関係を外部に漏らすのは「商業モラル」に強く反するからである。女子大生を信頼していたとも言える。しかし彼女の行為はまさに裏切りである。背後からいきなり撃ったのである。しかも結果は重大で、職を失うだけでなく社会的に葬られる可能性もある。

 一方、テレ朝の女性記者は財務次官を予告なしに背後から撃った点は同じだが、少し事情は複雑である。彼女は上司にセクハラの事実を報道するように頼んだが、断られた。テレ朝は2次被害を心配してのことと言っているが、これはたぶん本当の理由ではない。報道することで財務省との関係が悪くなり、取材に悪影響がでるので「これくらいは我慢してくれ」と抑えたのだろう。彼女のセクハラを救うのなら担当を変えるなどの簡単な方法があるのに、放置したのはおかしい。世間ではよくあるケースだが、正義の立場からセクハラ報道を熱心にやっているテレ朝がやればダブルスタンダードの誹りを免れない。

 さらに女性記者はセクハラの事実を隠し録音した音声と共に新潮に渡したという。この時点では次官の辞職と政権への打撃は予想できる筈だ。第三者への情報提供は重大なルール違反であり、テレ朝の監督責任が強く問われる。この点に関しては財務省に抗議するのではなく、逆に謝罪すべき立場である。今後、テレ朝だけでなくメディア全体の信用が低下し、取材に影響が出るのは必至だろう。記者に信用がなければ話はできない。

 女性記者はセクハラが嫌なら上司に担当変えを求めることも出来ただろう。また身を守るために卑怯な隠し録音をしたというのもおかしい。録音を次官に示して、今後は止めるように要求できたはずである。そして次官とは数回の会食があったという。セクハラ発言があったとすれば、それは徐々にエスカレートするのが普通である。一般的な話だがこんな時、たいていのスケベな男は相手の態度を見ながら話を少しづつエスカレートしていくわけで、相手が心底から嫌った態度を見せればそこでストップする。私の推測だが毅然とした拒否の姿勢がなかったのではないか。曖昧な態度が次官の誤解を誘った可能性もある。

 結局、財務次官は辞めざるを得なくなり、政権は支持率の低下を余儀なくされた。代償としては大きすぎる。女性記者は次官の信頼を裏切ったわけである。そしてひどい裏切りに見合うだけの理由は見当たらない。次官にとって夢想だにしなかった事態であったろう。次官側に非がないと言うつもりはないが、内閣支持率まで低下させる結果の重大さと事件の大きさとがとても釣り合わないのである。これはアホな野党とメディア報道の問題でもある。

 二人の女性に共通することは相手の信頼を裏切るという背信行為である。私が腑に落ちないのは、知事と次官に対する非難は山のようにあるが、この女性たちの行為に対しては誰も非難しないことだ。社会的に葬られる可能性を知りながら、信頼してくれている相手を裏切る行為は許しがたい。社会人としての基本的なモラルの欠如である。これが許されるのは命が脅かされるときくらいだろう。私はこのような行為をする人物は信用できないし、絶対に関わりたくない。反面、非難されている知事や次官に信用がないとは思わない。

 裏切り行為、つまりこの場合の密告行為が非難を受けないのはメディアがこれを商売道具にしているからではないだろうか。誰かが週刊誌に密告、週刊誌が取り上げ、それをテレビや新聞が大々的に報道する、というルートが重要性を増している。こんなとき、密告者を非難すれば密告するものがいなくなって困るわけである。非難どころか密告者に謝礼をして奨励しているのである。メディアの商法のおかげで、人を裏切る、背後から撃つという行為を抑止する筈の倫理観が弱くなっているのではないだろうか。実際に背後から上司を撃った19歳の巡査もいたが、裏切りや卑怯の概念が彼を止めることはなかった。「卑怯」という言葉も死語になりつつあるように思う。

 倫理の崩壊というとちょっと大げさだが、文化を構成する重要な要素のひとつがメディアの商業主義の食い物にされているように見える。「人はパンのみにて生くるにあらず」というが、メディアは何よりもパンがお好きで、パンのためには何でもするようだ。モラルの破壊者はメディアであり、騒ぎに乗じて政権の足を引っ張る野党である。

 ついでに、セクハラという言葉について述べたい。この言葉の概念は非常に曖昧、かつ主観的な要素が大きいだけに、安易な決めつけに使われと危険であると思う。次官の、セクハラという認識がなかったとの発言があるが、その可能性もある。基準が人によって違うわけであり、うまくかわすことのできる女性もいる。セクハラと言えば「泣く子も黙る」では弊害も大きい。上司と部下というように逃げられない関係を成立の要件にすべきであろう。適用範囲が大きくすれば、男が女を口説くことが大きなリスクを伴うことになる。ちょっと大袈裟だが、それは将来の人口減少にもつながる。だいいち、そんな世の中、面白くもない。
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本当にうんざり

2018-04-15 21:44:23 | マスメディア
 森友・加計問題は1年を超えた。このところの国会の動きに対して「うんざり」と表現した方は、私の知る限り、二階幹事長と辛坊治郎氏だけである。現在の状況にはまことにふさわしい言葉だと思うが、メディアや野党の方々はそうではないらしい。他を疎かにしつつ、この程度の問題に一年以上も集中する、その執念としつこさには本当に脱帽する。

 この14日、市民団体が国会議事堂前に集まり、安倍政権の退陣を求めて気勢を上げた。主催者発表で3万人というから実数は多くて1万人、少なければ3千人くらいだろう。数日前、朝日新聞と毎日新聞、東京新聞にこの集会への参加を呼び掛ける半ページ大の広告が載った。広告代は2千万円を超えると言われるが誰が払ったのだろう。それとも各新聞が格安で引き受けたのだろうか。もしそうなら援助したのと同じである。報道の中立性からも疑問である。

 この種の集会の常で、掲げるプラカードはなかなか出来がよい。汚い手書きのものはほとんどなく、多くは活字を使った見栄えのするものである。米国では、銃規制に反対するデモや、数年前の「ウォール街を占拠せよ」のデモでも手書きの稚拙なプラカードがほとんどであった。参加者は一般の市民であることがわかる。日本の左翼によるデモのプラカードが立派であることは組織的な動員を疑わせる。一般市民のようでも多くは特定の立場の人達だと思う。誰かが企画し、資金を出しているのだろう。

 それにしても森友・加計・日報問題によって安倍政権は退陣せよという主張は私には理解できない。退陣を迫るなら綜合点で評価すべきである。むろん致命的な失点でもあれば別だが、森友などはとても致命的とは言えない。もっと優れた政権が簡単に手に入るなら退陣要求もよいが、過去の政権を見る限り優れた政権は大変少ない。これだけの人口がいて、優秀な人間も多いに違いないが、何故か我が国の民主主義システムでは優れた政権が生まれにくいようだ。鳩山政権や菅政権が生まれたことでもわかる。

 しかし現実には森友問題などの印象操作を狙った報道のせいか、内閣支持率はかなり低下している。特に低下が目立つのは女性のようだが、理ではなく、印象や感情で判断しがちな女性の特性が反映しているようにも見える。

 ともかく一年以上にわたって、左派メディアと野党が政権の足を引っ張ることを使命としているような姿勢には本当にうんざりである。こんな調子ではより重要な問題、財政や外交、防衛問題などに関心が向かず、従ってまともな見識も生まれない。まあ、9条があれば平和が保たれるという頑固な連中にまともな見識を求めることが無理かもしれないけれど。しかし左派が主導するメディアと野党が鳩山政権を誕生させた事実を忘れてはならない。
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硬いアタマ

2018-04-08 22:31:55 | マスメディア
 前回、柔らかい頭について書いたので、次は固い頭にしようと思っていたところ、願ってもない「模範例」が登場した。「女性は土俵に上がらないで下さい」と言って、救命より伝統を優先した人物のことである。ご本人にとってはとっさの判断を迫られたことなのでお気の毒な点もあるが、角界の伝統を真面目に守るつもりであったのだろう。その後、土俵に大量の塩をまいたそうだが、恥の上塗りである。BBCは「相撲協会にこそ塩をまくべきだ」との声を紹介している。国際的な話題となったようで、日本は先進国なのかと疑問を持たれるかもしれない。

 以前にも取り上げたが、福島第一原発の事故ではバッテリーが間に合わなかったために炉心溶融が起きた可能性が指摘されている。バッテリーが緊急に手配されたもののトラックは高速道路の通行許可がなかなか得られず、到着したのは2日以上経った14日の午後8~9時で、すでに炉心溶融、3号機の爆発が起きた後であった。道路の担当者は真面目に規則を守ったわけである。当時の民主党政権の対応にも疑問が残る。菅元総理はすぐに駆けつけて邪魔になったと批判されたが、現場に必要であったのは菅氏なんかではなくバッテリーであった。

 最近、西部邁氏の自殺を幇助したとして2名が逮捕された。警察は真面目に捜査をして捕まえたのだろうが、そこまでする必要があったのか、疑問である。また逮捕に意味があるのだろうか。オランダやスイスなどでは一定の条件下では違法とされない行為である。見て見ぬふりという選択もあったと思う。この逮捕に賛成する人がいるだろうか、まともな人で。

 これらに共通することは無条件に規則や伝統を守ろうとする頑なな態度である。時と場合によっては破ってもよい、とは考えられない狭量な人たちなのだろう。優先順位を考える手間がない分、楽ではあるが問題が多い。石頭、頑固、頑迷固陋など、こういう人たちを形容する言葉は多い。伝統を守る芸術家や職人などには有用な資質であろうが、変化していく社会では有害であることが多い。時と場合によっては規則は破ってもよい、と教えるべきである。

 ついでながら、我が国には右翼対左翼、保守対革新と言われる政治的な対立がある。同じような教育を受けて、同じようなメディアに接しているのに、なぜこのような対立がいつまでも続くのか、と不思議に思う。

 一般に、頭の硬さ、頑固さは老人の特徴と思われている。現在、左翼、革新と呼ばれる人たちはかなり高齢者に偏っていることが世論調査などからわかる。「9条の会」も、昨年の9月4日に結成された「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」も超高齢者が中心であることはそれを象徴している。若者が保守、高齢者が革新、というもの奇妙である(普通は逆)。オールドリベラルとか旧革新と呼べばよいと思う。

 高齢の左派の人と議論をしても話が噛み合わないという経験が私には何度かある。つまり頭が固まっている感じ。現在の高齢左翼というのは戦後の日教組教育によって作られた古い考え方をずっと持ち続けている、頭の硬い、頑固なグループであると見ることができる。右翼と左翼の対立は柔軟な頭と頑固な頭との対立という側面を持つと考えてもよいだろう。
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柔らかい頭

2018-04-01 22:29:15 | マスメディア
 ポエニ戦役は紀元前219年から紀元前201年にかけてローマとカルタゴとの間で戦われた戦争である。カルタゴの名将ハンニバルによってローマは敗戦を繰り返すが、最後にローマの名将スキピオ・アフリカヌスによってカルタゴは敗れ、ローマは国家的危機から脱する。このスキピオは25歳のときに2個軍団、2万5千から3万の軍の指揮を任される。当時2個軍団を指揮するのは執政官か法務官で資格年齢は40歳以上とされた。15歳も足りないのに例外的に認められたとされる(塩野七生 ローマ人の物語より)

 紀元前に法治国家を確立したローマであるが、法に対しては比較的柔軟な考えを持っていたように見える。ローマ人は法を絶対的なものと考えなかったのではないか。興味深い問題だが、その背景には、私の想像だが、法の不完全性を理解していたのではないかと思う。法を曲げた方が国の利益になる場合は曲げると。

 このような態度は憲法や法を金科玉条のように考える硬直的な態度とは大きく異なる。むろん法は尊重されなければならないことはわかる。けれど何が何でもというわけではない。法にも矛盾があり、法より優先されるべきものもある。違法の方がすべてうまく行く、という場合もある。国破れて憲法あり、では困るのである。

 森友問題は違法行為ですらなく、忖度があったかどうかの問題に過ぎないが、メディアのおかげで内閣支持率にも強い影響を与えるほどになっている。証人喚問された佐川氏は政府側からの働きかけはないと証言したが、野党は納得しない。事実はどうであれ、佐川氏の証言はこれでよかったと思う。もし政府からの働きかけがあったと証言すれば内閣が倒れる可能性さえあっただろう。

 もし佐川氏が嘘をつけない正直な人物で、仮に政府から働きかけがあったとした場合、その通りに証言すれば、国益を損なう可能性が高い。北朝鮮問題など、国難ともいえるこの時期にそんなことになれば大混乱になりかねない。佐川氏が自らを犠牲にして問題の波及を食い止めたならば、少し大袈裟だが、佐川氏は公益を優先した救国の英雄となるかもしれない。まあ、こんな見方も可能である。

 一般論として、事実を隠蔽して混乱を防ぐのがよいか、それともすべて話して混乱を仕方のないものとするか、政治哲学に出てきそうな問題であるが、明確な解はないと思う。ただ一国民としては、今回のような場合、バカ正直に話すことが善であると思うような単純な人物でないことを願う。「嘘も方便」である。利己的な目的のために相手を騙すウソとは区別すべきであろう。
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有害メディアと有害野党

2018-03-25 22:05:31 | マスメディア
 いじめなどによる中学生の自殺が報じられるたびに、なぜ学校以外の世界があることに気づかなかったのだろう、と残念に思う。だが本人にとって、それは難しいことなのだ。学校でも会社でも、その小さな領域が社会だと思ってしまう傾向がある。たとえ辛くても、逃げ出すのは簡単ではない。彼の頭の中に作られた社会のすべてがその小さな領域だからである。

 政治の領域に関しては、多くの人はテレビや新聞から情報を仕入れる。とくに顔なじみのキャスターやコメンテーターが出演する報道番組を毎日見ていると、彼にとってはそこが社会と感じられる。多くの国民の政治空間はテレビの中にあると言ってよい。もっとも彼は聞くだけでの立場であるが、その場にいる参加者のように錯覚するのかもしれない。しかし別の俯瞰的、長期的な視点に触れることはほとんどない。たいていのメディアは近視眼が特徴である。

 そこでは、森友文書が書き得られた、では誰が指示したのか、何のために、麻生財務相や安倍内閣に責任がある、などが連日延々と繰り返される。見物人はよほど重大な問題に違いないと思ってしまう。その結果内閣支持率は落ち込む。そして左派メディアはこんなに支持されていない内閣は辞めるべきだ、騒ぐ。

 例えば1月の失業率は2.4%、24年9カ月ぶりの低い水準となったが、10%前後が普通の欧州と比べると際立つ結果である。失業者は収入の道を閉ざされるだけでなく、社会における存在理由を失うのである。メディアで高級を食んでいる連中には失業の恐ろしさはわからないだろうが、現内閣の大きな功績のひとつであろう。そのような功績は大きく報道されることはなく、多くの人は知らず、失点ばかりで評価することになる。

 メディアが内閣の退陣を求めるのなら失点ばかり取り上げるのでなく、在任期間における功罪を等しく取り上げて、評価しないとフェアとは言えない。一部の官僚組織の不手際が内閣の致命傷になるのは筋が通らない。メディアやそれに乗せられる国民には功績を評価しようという気持ち、感謝する気持ちがないのではないのだろうか。或いは、保守政治家=性悪と考えているのだろうか。

 韓国は不思議な国で、大統領は辞めてから逮捕されるのが伝統になっているようだ。政治家には失敗もあるだろうが功績もあるのが普通である。逮捕があたりまえになっているのはちょっと理解しがたい。どの大統領も性悪な存在とみなされるのか、それとも功績に感謝するという気持ちが極めて薄いのだろうか。逆に恨みは千年も忘れないと朴前大統領が公言する国である。感謝の心が薄いという点で、日本の左派メディアと通じるところがある。

 現在、日本の安全保障が大きなテーマになっている。というかテーマにするべき状況である。そんなときに国会でこのような卑小な問題を長期間やっていていいのだろうか。周囲からバカにされても仕方がない。米国と北朝鮮の間で、北朝鮮が米国へ届くICBMだけを廃棄するという妥協ができた場合、日本は大変不利な立場におかれるとされる。

 例えばの話であるが、もし賢明な野党があって、日本は核武装すべきだとの議論を国会ですれば、それは外交の力になり得る。日本の立場を無視した解決は日本の核武装を招くという懸念を持たせることができるからである。議論だけの、極めて低コストの防衛・安全保障策である。

 今の野党のような議論を続けていると、日本政府は変化する状況に対して的確に対応できるのかと、国としての信頼に疑問を持たれるだけでなく、外交力をも失われる。視聴率のためかもしれないが、書き換え問題で同じように騒いでいる非左翼メディアにも、それがどれほど国益を害しているか、自覚してもらいたいものである。左派メディアや野党と共に国会という最重要機関の機能を台無しにしているわけである。
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森友問題はそんなに重要か

2018-03-18 22:19:44 | マスメディア
「文書改ざん 歴史ねじ曲げた」
「森友文書 民主主義の岐路だ」
「安倍さん 潔く身を引いては」

 ずいぶん大袈裟な文言だが、これはこの数日に掲載された朝日の「声」欄トップの見出しである。見出しは朝日の担当者が作ったものである可能性が高いし、内容も担当者の手が入っているのが普通だ。これらを「声」欄のトップに据えたのは朝日の主張を代弁しているからであろう。いつもの手口である。財務省が書き換えを認めた翌日の朝刊ではこの問題を一面だけでなく7ページを使って糾弾している。まるで鬼の首を取ったかのようである。

 森友文書の書き換えは財務省の失態も含め、小さな問題ではないが、この朝日などのメディア、野党の1年を超える反応は大きすぎではないか。内閣が揺らぐほどの問題なのだろうか。書き換え前の文書に贈収賄などの違法行為の明確な記述でもあれば別だが、官僚による忖度の疑いがあるという程度に過ぎない。そしための国会の長期にわたる空転は国家的な損失である。

 背景にあるのは左派メディアと野党の反安倍体質であろう。僅かなことでも政局に利用しようとする強い意思が見える。安倍内閣は100点ではないにしろ、過去の内閣に比べ成功した政権だと思うが、この程度の問題で倒されたのでは内閣がいくつあっても足りない。この問題の重要さと内閣を倒すということとは全く釣り合いが取れない。過去の事務所経費の問題などで内閣が倒れた例がいくつもあるためか、多くの人は成り行きによっては安倍内閣が危ないと思っているかもしれないが、これはやはりおかしい。繰り返される事態によって非常識を常識と思わされているだけである。

 左派メディアが安倍内閣を倒そうとする姿勢は明らかだが、ではその後、どの政党に託すのか、誰を首相にしたいのかということは全くわからない。「安倍、やめろ」と叫んでいるデモの参加者にマイクを向けて「では誰がふさわしいのですか」と是非とも尋ねてもらいたいものである。大塚首相、志位首相、玉木首相、又市首相など想像したくもない。

 ともあれこのような問題が起きるたびに左派メディアが大袈裟に報じ、政権支持率を下げる効果を生んできたのも事実である。この書き換え問題のためか、最近の安倍内閣の支持率は9.4%急落した(最近の時事通信調査)。

 メディアが政策論争より政権の足を引っ張ることに熱心なのは何故だろうか。恐らく左派メディアの党派色が非常に強いことが理由の一つであろう。朝日や毎日の紙面はまるで野党の機関紙のようである。さらに政権を嫌悪する感情があるようさえに感じる。この気持ちが反日的な報道の理由でもあるのだろう。この感情が影響力をもつと理性的な判断は後退する。

 大新聞が強い党派性を持ち、政権の僅かな失敗に対し、過大な批判攻撃をすると、多くの有権者は大変なことだと思い込む。それで政権が危機に追い込まれれば、国会の機能を妨げられたり、さらには政権が倒されて無能な政権を誕生させるという危険がある(民主党政権で実証済み)。新聞が中立を大きく逸脱するのは大きな危険を伴う。大手報道機関の偏向こそ民主主義の危機だと言ってよい。森友文書書き換えの比ではない。
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砲艦外交は健在なり

2018-03-11 23:32:01 | マスメディア
 1853年-54年にかけて、米国のペリー提督は軍艦を率いて来日、艦隊を江戸湾に進入させ日本に開国を認めさせた。これは軍事的圧力を使って交渉を行う「砲艦外交」の有名な一例だが、砲艦外交は現在の世界でも重要な外交の要素である。しかし、この言葉はなぜか広辞苑(第6版)には載っていない。左派の岩波書店としてはこんな言葉や言葉が示す現実を消してしまいたいのではないかと勘繰りたくなる(大辞林には載っていた)。(*1)

 米朝の首脳会談が実施されることになったが、その背景には経済制裁とともに砲艦外交が大きな力になったと思われる。外交の要諦を表す漫画に、にこやかな顔の紳士が握手の右手を差し出しながら、左手には棍棒を持っている絵が使われることがある。砲艦外交を視覚的に表せばこうなるわけである。ただ現代では砲艦より空母がふさわしい。他国に圧力をかけるのに最も適した攻撃的戦力だからである。中国が高価な空母を作ろうとしているのはこんな意味もあるからだろう。

 逆にいうと、もし米の軍事的圧力がなければ北朝鮮は意志を変えず、首脳会談への可能性はなかっただろう。砲艦外交が功を奏し、平和的な解決に役立つことになるかもしれない(騙すのが得意技の国だけにどうなるかわからないが)。弱い軍事力しかもたない日本が同じことをやっても北朝鮮から嗤われるだけだろう。砲艦外交はけっして褒められたものではないが、現実には有効な手段として使われる以上、これから目をそらすことは誤った認識を招く恐れがある。高邁な理想や人権・人道などを何回言っても全く効果のない国もある。効くのは物理的な力だけである。

 むろん北朝鮮が砲艦外交をやるような可能性もあるし、そうなっては困る。今回は米国の圧倒的な軍事力がそれを防ぐことになりそうというわけである。ナチスドイツのように秩序の破壊者になりそうな国が強大な軍事力を持つことがもっとも恐ろしい。膨張政策を続ける中国は将来どうなるかわからないが、危険な国になる可能性を排除できない。

 強い軍事力の保持は侵略を抑止する効果だけでなく、強い外交力にもなる。あたりまえのことだが、今回の米朝の関係から得られる教訓である。長く平和を享受したいなら強力な軍事力をもつことが必要という考えが成り立つ。逆に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」、防衛を疎かにすれば、戦乱や侵略の憂き目に遭うこともある。

(*1)読者の方からご指摘をいただきました。今年発売の広辞苑第7版には載っていたそうです。私が調べたのは第6版でした。訂正いたします。
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右翼というレッテル

2018-03-04 22:18:29 | マスメディア
 リンゴやバナナ、机や椅子などの名前にはその定義に争いがほとんどない。対象物が明確だからである。しかし右翼や左翼などの名前はそう簡単ではない。対象となるものは複雑、多面的だからである。一方、正確ではなくとも、その言葉の持つ一般的なイメージというものもある。だからある人々、あるいは団体に右翼とか左翼とかと呼ぶことには慎重さが要求される。一旦レッテルが貼られると、そのレッテルが持つ固有のイメージが定着し、実際との乖離が起きることは珍しくない。大事なことは正確な理解や評価が損なわれることである。たかが名前ではないのである。

 百田直樹氏、櫻井よしこ氏、青山繁晴氏らはしばしば右翼と呼ばれる。彼らに限らず左翼に反対するだけの人も右翼と呼ばれることがある。元来、右翼とは議会で議長席から右方を占めた保守派を指すそうである。しかし右翼と言えば日の丸を掲げ、軍歌などを大音量で流しながら街宣車を走らせる光景を思い浮かべる方が多いと思う。また戦争好き、国粋主義、ファシズムを想起する方もおられるだろう。どちらにしてもあまりいいイメージではない。

 しかし百田氏らは明らかにそれらとは違う。ネトウヨ(語感がよくないですね)と呼ばれるネット上で騒ぐ連中も上記の右翼とは違う。ドイツやフランスでは移民受け入れの拒否、ないし制限を掲げる政党が進出しているが、メディアはこれらを極右政党と呼ぶ。これもファシズムを思い出させる言葉であり、適切な言葉とは思えない。

 戦後の長い間、左翼は知識層が中心で右翼はアホが多いと一般に信じられてきた。そのイメージはかなりはっきりしたもので、今も中高年層には強く残っていると思う。学者・文化人などが共産主義を信奉したのが一因であろうが、その共産主義の信頼が失われた現在、騙されていたのは学者・文化人の方であることが明らかになっている。

 というわけで現在、国粋主義者やファシストでもないのに右翼呼ばわりすることは不正確であるばかりか、蔑(さげす)みの意味を持たせることになる。ひどい蔑称であるが、これは恐らく意図的なものだろう。しかし左翼批判しただけで右翼呼ばわりするのは悪質なレッテル貼りであろう。こんなレッテルを貼られた者の言葉に耳を傾けようとする人はいなくなるだろう。

 9条があれば平和が保たれるという妄想をしつこく信じているのは老文化人を主とする左翼だが、彼らは批判されて当然であると思う。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」は目指すべき理想としてはよいが、それを現実と捉えれば妄想となる。実現したいのなら日本政府ではなく、軍備を増強している中国や北朝鮮に対して軍備を止めるよう呼びかけるのが筋である。

 宗教的信念や特定の思想信条に影響された認識は客観性を欠くのが常である。百田氏や櫻井氏らの主張の方がより客観性があり現実的だと思う。左翼はインテリ、右翼はアホという古い分類はもう逆転していると言ってよい。
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歴史を見る目

2018-02-26 00:14:49 | マスメディア
 塩野七生氏は代表作「ローマ人の物語」の終わりに次のような意味のことを書いている。「この巻を書くために必読とされている研究書歴史書を一応勉強したが、同時代か、百年ぐらいしか違わない時代に生きた研究者たちの著作に何となくしっくりこないものを感じていた私に、まるで素肌にまとう絹衣のように自然に入ってきたのが、これら三人のギリシャ人の史観なのであった」と。

 三人のギリシャ人とはポリビウス、プルタルコス、ディオニッソスのことで古代の人物である。「なぜ二千年も前に生きた人間のローマ観の方が、私にはしっくりくるのか。この問題は、私をずいぶん長い間考え込ませた」と述べ、その理由を四点に要約できるとしている。

 第一はローマの興隆の因を精神的なものに求めなかった。
 第二は、彼ら三人はキリスト教の普及以前に生きたのだから当り前にしても、私もまたキリスト教信者ではないということである。
 第三は、これまた知らないで死んでしまった彼ら三人には当然の話にしても、フランス革命によって打ち上げられた自由・平等・博愛の理念にこの人々は少しも縛られていないという点である。(第四は省略)

 引用が長くなったが、何が言いたいかというと、第二と第三は、歴史を理解する上でキリスト教などの宗教、自由・平等・博愛などの理念は障害になるということであろう。現代や中世の価値観や理念を持ち込めば歴史を見誤る可能性が高くなるというわけである。塩野氏の指摘は大変興味深いものであり、これは歴史認識のみならず、政治や社会の認識にまで一般化してよいと思う。まことに重要な指摘である。

 戦勝国が自国に都合がよいように歴史を意図的に改変することはよくあるが、これは意図的・自覚的な行為である。しかし宗教や自由・平等・博愛などの理念によって認識が変わるのは意図的でなく、自覚的でもない。本人はごく自然に考えているという無意識こそが厄介なのである。

 オウム真理教などの宗教がもつ世界観・歴史観には荒唐無稽なものが多い。キリスト教は大きな影響力を持つが、信者はいまだに世界は神が創ったという創造説を信じているそうだ。彼らの反対のため、アメリカのハイスクールの半分ほどは進化論を教えられないという。妄想のような思想、異様な価値観からは異様な歴史観や非現実的な現状認識が生まれるのは当然であろう。

 左派の人たちはなぜ現実の世界を見ようとしないのか、ということが以前から気になっていた。九条があれば平和が保たれるといった議論は、日本を攻撃する可能性のある国が全くないという条件でのみ有効である。しかし現在は中国と北朝鮮が存在する。けれどこの現状の変化を理解しようとしない。

 戦後、戦争を始めた悪い日本に対して、外国は「平和を愛する諸国民(憲法前文)」という考え方が定着した。また米国の比較的寛容な占領政策にもかかわらず、反米と共産主義に対する憧憬が知識階級を中心に広まり、共産国は侵略戦争をしないと信じられた。現在、脅威になっている中国と北朝鮮は共産国家であるがどちらも軍事力の増強に努力を惜しまない国々であり、中国やロシアは侵略の実績をもつ。

 戦後、広く浸透したこうした理念が現実を見えなくしていると考えればある程度は納得がいく。但し、ある程度である。たとえ理念によって目を曇らされたとしても、九条があれば平和が保たれるという非常識な認識に至るのは無理があるように思える。現実を理解するのは中学生でもできることだからである。とすれば歴史に関する驚くほどの無知が同時にあるのだろうか。しかし九条を金科玉条のごとく考えている朝日新聞が無知ぞろいというのもちょっと考えにくいことである。やはり朝日経といわれるように宗教的情熱で頭がやられた結果なのだろうか。どちらにせよ、現実を冷静に客観視するのは簡単なことではないらしい。

 ひとつの例を挙げる。2月23日、トランプ大統領は「制裁に効果がなければ第2段階に移行せざるを得ない」、「第2段階は手荒な内容になる」と警告、(実行されれば)「世界にとって非常に不幸な事態となる」と述べたことが報道された。これは戦争の予告とも考えられるものだが、ざっと調べた限り、朝日新聞は制裁の強化だけを載せ、この警告を載せなかった(他の主要紙は掲載)。米国の方針を示す重要なメッセージであるにもかかわらずである。朝日の特殊な歴史観、現状認識のためであろう。それ故、日本が始めなくても身近に戦争が起こるかもしれないという現実を隠したいのであろうが、困ったウソ新聞である。
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オリンピック過熱報道

2018-02-18 23:47:34 | マスメディア
 土曜日の夜7時のNHKニュース、フィギュアの羽生選手の演技を2回も放送した。1回目は少しカットがあったが2回目はカットなし、これだけで10分間ほど潰した。そしてフィギュア関係だけで20分間ほど費やした。30分間の内、大半がオリンピック関連である。この7時のニュースの前も、その後もオリンピック、いくら何でもやり過ぎではないか。多くのニュースが没にされたのだと思う。民放も同様で、同じ映像が各局で繰り返し放送された。

 視聴者は様々である。全身、頭の中まで筋肉で出来ているのかと思えるようなスポーツ人間もいれば、スポーツなどに全く関心を示さない人間もいる。多くは両者の中間にあって、テレビが騒いだ時だけオリンピックに興味を持つ浮動票のような存在であろう。誰もがオリンピック好きではない。スキーやスケートなどの競技はオリンピック以外にも多く行われているが、地上波テレビで放送されることはほとんどない。これらは野球や相撲に比べてはるかに人気が低いからである。

 オリンピック人気はテレビを主とするメディアの演出によって作られたものと言える。そのお祭りによってテレビは収益を得るのだろう。それはテレビが巨額のカネを払ってまで放映権を手に入れることで説明できる。それにしても欧州のテレビ中継の時間に合わせるためだろうが、屋外競技を酷寒の深夜にすることはやり過ぎであろう。こんな不自然なことがあまり批判されないことも不思議である。メディア自身が利害関係者であるためと推定できる。批判すれば自身に矛先が向いてくる可能性があるからである。

 今回のオリンピックは商業化に加えて政治化もなかなかハイレベルである。こちらの方の批判は少しあるが強いものではない。オンピックから利益を得ているものとしては現状を変えたくないのだろう。2020年の東京オリンピックは酷暑が予想されるが、これに対する批判もあまり聞かれない。利益を享受する当事者であるためだろうか。酷寒では死者はまず出ないが、酷暑でのマラソンなど長時間競技ではその可能性すらある。真夏の開催になったのは米国のテレビの都合によるとも聞く。何人かの死者がでなければオリンピックのメディア偏重は改まらないと思う。

 過熱しているのはNHKだけではない。民放も同じであると思う。メディアスクラムという言葉は大事件のときによく使われるが、オリンピックも同様であろう。一見、協調性があるように見えるが、実は単なる付和雷同である。日本のメディアの抜きがたい特性だと言ってよい。戦前、朝日をはじめとする新聞は国民を鼓舞し、大いに戦争を煽った。付和雷同と反対意見を許さない空気の醸成は日本人の特性かも知れない。本来、国民が何かに熱狂した時、それを冷静にさせるのがメディアの役割であろう。メディアは多少マシな知性と見識を持つ筈だからである。メディアが一緒になって、あるいは率先して熱狂しては話にならない。

 余談であるが大雪のニュースも少しあった。その中で、テレビは車を止めて待機する場合、排気ガスが室内に流入する危険があるから「マフラー」の周囲の雪を除く必要があるという話を繰り返し行った。実は「マフラー」は消音器のことで排気管の中間に設置された消音のための箱のようなものであって、その周りの雪を除いても意味がない。必要なのは排気管の出口付近の雪を取り除くことである。マフラーと排気管出口(エキゾーストパイプ)を取り違えているのだと思う。民放だけでなくNHKまでも間違っているようだ。私の知る限り、「排気管」と言ったテレビはない。大した問題ではないが、この程度の知識はあって欲しいと思う次第である。メディアにとって、言葉は商売道具なのだから。
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