噛みつき評論 ブログ版

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拾得物の礼金をめぐって裁判沙汰

2007-09-21 14:02:02 | Weblog
 京都府向日市で昨年1月、株券が入ったかばんを拾った京都市内の男性が、株券の名義人2人に計約290万円の報労金を求めた訴訟で、7月17日、京都地裁は2人に計約140万円の支払いを命じた。判決によると、株券の昨年2月の時価総額は1435万9000円だった。
 遺失物法は、返還を受けた落とし主は、遺失物の価格の5~20%の報労金を拾った人に支払うよう定めている。判決は経済的価値を時価の80%とし、12%の支払いが相当だとした。 (asahi.com 2007/07/19より要約)

 要するに、株券入りのかばんを落とした人と、それを拾った人が謝礼をめぐって争っていたわけである。こういう見苦しい争いほど、見るのが面白い。私は、いわば棚ボタの金をめぐり、裁判をしてまで権利を主張するということに興味を持った。

 報労金を5~20%と幅もたしているのは恐らく金額の多寡に対応するためだろう。拾い主は290万円の請求だから、ほぼ上限の20%を請求して、落とし主と対立したのだろう。判決までに1年半ほどかかっている。

 私を含む古い世代は、金に拘るのは恥ずかしいこと、という感覚を持っている。高価なものを拾った場合、相手が提示した金額に不服をいうことはとても恥ずかしい。自尊心も傷つくから、内心不満に思ってもなかなか口には出せない。

 戦後広く読まれた「菊と刀」という本がある。著者はルース・ベネディクトという米国の文化人類学者だ。外国人による最初の本格的な日本人論だと思う。彼女は日本文化を「恥の文化」と捉え、行動の規範を「恥」に求めた。つまり他から見て恥ずかしいと思われる行動が規制されると考えた。そして西欧の「罪の文化」との違いとして、他人に見られなければ規制されない点を挙げた。「旅の恥はかき捨て」という言葉はそれを表している。

 現在は徐々にではあるが、自分の権利・利益を声高に主張する傾向が強まっているように感じる。むろんそれ自体は悪いことではないが、その裏で「恥」に対する感覚が少しずつ薄くなっているように思う。

 時代が進むにつれ、新しいものが加わり、古いものが消えていくのは当然のことだ。伝統的なものを守るべきだという原則論はあまり意味がない。消えていくべきものも数多くあるからだ。

 しかし、この精神風土は消えてほしくないもののひとつだ。「恥」という言葉を使ったが、これを遠慮という言葉に置き換えてもよい。これが弱体化すると争いが、そして裁判が増えることだろう。

 それを見越してかどうかは知らないが、政府は数年前まで毎年500人前後であった司法試験の合格者数をまもなく3000人にする予定だ。そして早くも弁護士の就職難が始まり、また弁護士の質の低下が懸念されている。その一方で、医学部の定員は抑えすぎて、現在の医師不足を招いている。

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