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裁判官は歴史まで決める?・・・沖縄の集団自決判決

2008-03-31 08:58:12 | Weblog
 沖縄の集団自決を命じたなどとする記述で名誉を傷つけられたとして、旧日本軍守備隊長と遺族が、「沖縄ノート」の著者の大江健三郎氏と岩波書店に出版差し止めなどを求めた訴訟の判決で、大阪地裁は28日、原告の請求を棄却しました。

 判決は軍の「命令それ自体まで認定することには躊躇を禁じえない」が、軍が深く関わったと認定しました。軍命令の存在が認定できないということは、疑いだけがあるということです。その上での原告の請求棄却は「疑わしきは罰す」に通じるようで、この判決の論理が釈然としません。

 しかし、黒白をつけるのが裁判所の仕事とは言え、このような歴史問題を判断してよいものでしょうか。軍命令に関しては相反する意見・証言があり、誰もが納得する決定的な判断材料はない状況だと思います。将来もわからないままになるかもしれません。

 裁判官は歴史家ではありません。1人(または3人)の裁判官が短時間で資料を読んだ上での判断だと思いますが、それらの客観的条件は適切な判断をするには十分とは思えません。双方の主張する資料や証言の一つひとつについて信用性を調べる必要がありますが、少数の歴史の非専門家が短時間にその作業を完了するのは難しいでしょう。

 ならば、正直に「この問題は難しくて私には判断できない」とし、「沖縄ノート」の問題箇所には両論併記を命じる、といった判決の方が望ましいと考えます。

 決定的な証拠を欠き、しかも政治的に対立する問題の判断は判定者の主観に支配されることが多く、問題のある恣意的な判決を生みやすいと思われます。わからないことを無理やり判断せず、不明なことは不明のままにするのが誠実な態度でしょう。失礼ながら裁判官は神ではないのです。

 余談ですが、判決文に「認定することには躊躇を禁じえない」という表現が使われています。なぜこんなややこしい表現を使うのでしょうか(自信のなさの表れとも理解できます)。「躊躇」は否定的な意味ですから「禁じ」「得ない」と3重否定の文になっています。中学生程度の国語力で理解できるように、「認定できない」とすべきでしょう。

 司法改革は「裁判が身近で分かりやすいものとなる」ということが目的のひとつとして挙げられています。ならば、まず平易・明確に表現することに努力されては如何でしょうか。判決文は文学作品ではないですから、美文・名文はご遠慮願いたいものです。

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