晴れたらいいね…。

人生をゆったり、のんびり暮らしたい人のためのブログ。

ナスカの地上絵は誰が描いたか?

2006年03月31日 | 人生のらりくらり
ペルー南海岸の砂漠地帯に800 平方キロメートルもの
広さにわたって描かれている巨大な地上絵は、
いったい誰が何の目的のために描いたのでしょうか?
パルパと呼ばれる砂漠には、ハチドリ、キツネ、コンドル、
フクロウの目をした身長30 メートルの人物、渦巻きなど、
地上から見ると何が描いているのかわからず、
はるか上空から見てはじめてその姿やカタチがわかるという、
さまざま絵や図形が描かれています。
1930 年代にアンデスを越えて上空を飛んで最初に発見した
パイロットもさぞや驚いたことでしょう。
いったいどうやって描いたのか? 何の意味があるのか?
古代の話はロマンがあっていいですね。

今、そんな謎に迫る展覧会が上野の国立科学博物館で行われています。
特別展「世界遺産 ナスカ展-地上絵の創造者たち」です(~6月18日)。

地上絵はなぜ描かれたのか? 実際のナスカの石で作ったジオラマ、
地上絵に描かれているモチーフと同じ動植物が描かれた土器、
地上絵の模型などが展示され、その謎に迫っているそうです。
2部構成で、1部ではナスカの自然や神々、暮らし、文化、
音楽などが紹介されています。果たしてその答は?

上野は桜の名所。来週にでも花見がてらに散歩してこよう。

国立科学博物館のHPは、
http://www.kahaku.go.jp/ です。


読者カードが到着!

2006年03月29日 | 白血病闘病記
出版社から僕の白血病闘病記「血液型が変わっちゃった!」の
去年から今年にかけての読者カードが送られてきました。
いちばん最新のものは2006年2月26日に消印。
発売から1年半がたってもまだ買って下さる……。
出版させて頂いた方としては本当にうれしい限りです。

闘病記は、小説などと違って、発売当初から山積みになって
売られることはまずありません。よほど大きな書店が棚を
とってくれる程度で、最初からどこに置かれているのかもわからず、
時間がたてばほとんどの本屋に置かれていないのが現状です。
僕の本も、新宿紀伊国屋書店が販売時に3カ所で棚をとってくれ、
半年ほど1つの棚を並べてくれたのと、僕の実家の兵庫の姫路市や
西脇市(親戚がいた)の書店で、特大の「血液型が変わっちゃった!」
コーナーができたぐらいです。全国ではほぼ無名でした。
にもかかわらず買ってくれる。大感謝です。

読者カードには、「闘病に意欲が出た」「闘病の意識が変わった」
「病気じゃないけど勇気が出た」「あきらめていた自分を反省した」
「生命力が病魔に打ち勝つ要因だと思った」「元気が出た」という
生の声があふれていました。出版社は「まだ売れ残りがあります!」
といいますが、僕としては、本の売れ行きより、
この読者カードの生の声で充分です。僕と妻の2年間
(トータルでは5年間)のもがいて苦しんで掴んだ体験が、
同じ病気で苦しんでいる人、また、違う病気で闘っている人を
励ましていると思うと、つくづく本にまとめておいて良かったと
思います。
「なかなか闘病中の患者に読ませることができる本がないけど、
この本なら読ませられるし、息子が前向きになってくれると思います」
というお母さんのメッセージや、病気ではない人からの
「私は病気じゃないけど生き方のヒントになった」という
読者カードにいたっては、逆にこちらが感動してしまいました。

北海道から沖縄まで全国のみなさんありがとうございました。
あれからも変わらずに壁に頭をぶつけながら
ポジティブに、明るく、力強く生きています。
気持ちはいささかも変わっていませんョ。
2冊目の本も出さないとネ! 



本当に闘う闘病者たち。

2006年03月27日 | 人生のらりくらり
悩んだ人間がその悩みの本質を知ることができるし、
同じ悩みを持つ人を励ませる。
最近、病気や障害の分野で、新しい世代の人々が積極的に
活躍されているのを目にする機会が増えたと思います。
例えば難病の特定疾患のクローン病ト潰瘍性大腸炎の闘病者や
その家族が読む雑誌「C C JAPAN」を発行するKさん。

クローン病は、消化器官や腸などに炎症などが起こる病気で、
腹痛や下痢などのさまざまな症状をともないます。
個人差はありますが食事のメニューなどにノウハウが必要で、
僕が関西で闘病してた頃もすぐ横にクローン病の患者がいて、
彼は苦しみながらも自らの対処法を体得して、
牛乳はだめ、魚は煮付けだといい、牛肉はだめと見事に
体調にさわらない食べ物だけを食べ分けていました。
クローン病の患者は日本では約2万人ぐらいいるそうですが、
そんな人に「C C JAPAN」は患者の立場からリアルタイムに
最新の治療法や励ましの声を届けています。
パイは決まっているのでビジネスとしては大化けしないにしても
読むほうの患者にとっては生きるためのかけがえのない情報です。
kさんすごいなあ。

患者は、闘病中はもちろん自分の治療でいっぱいいっぱいです。
また、闘病中は治療に必死でなかなか社会に目を向けられず、
自分のことでせいいっぱいです。そんな状況下で、
自分の問題を抱えながら他人のことや社会のことも考えて
動ける人ってすごいなあ。真剣に尊敬し、感動します。

病気で苦しんだ人、何かで悩み抜いた人は、
きっと何かできることがあるはずです。
まずは自分自身が病気を治し、元気になることが先決ですが、
元気になったならぜひ立ち上がりましょう。
そして個々の問題で闘いながら、大きな問題が起こったときは、
ともに手を取りあって連合を組みましょう。
今苦しんでいる人たちのために。後輩の元気な人たちのために。
ちょっと熱すぎたか……。

「C C JAPAN」のHPは、
http://www.mikumosha.co.jp/ です。

ユニークフェイスという団体…。

2006年03月25日 | 白血病闘病記
ユニークフェイスという団体の代表、石井政之さんと知りあった。
というか、石井さんとは2年ほど前のとある出版パーティで名刺交換して、
その後、2回ぐらいほかのパーティでも会ってはいたのだが、
今回はじめてゆっくり話をした。

ユニークフェイスは顏にアザやキズがある人の団体。
自身がそうでその体験を多数の著書に書き、
「ユニーク(=固有の)フェイス(=顏)」という
団体を起ち上げ、ピュアカウンセリングという手法で、
ユニークフェイスな人の発想と気持ちの転換を促し、
社会的な問題提起、意識改革に日々活動されています。

大勢のパーティで会うと迫力があり、けっこう喋らないので
コワイ人と思っていた。ところが話してみると気さくであり、
ユーモアもあり、何よりも自身が苦しんだ分、
人の苦しみがわかる人でもあった。
日本の「障害」という概念がおかしいのではないか。
ユニークフェイスも社会的ハンデという部分では
「障害」ではないのか(石井さん)、
ガン生存者(キャンサーサバイバー)をはじめ、病気で
社会復帰に苦しむ人も「障害」ではないのか(パパヘミング)、
患者の社会復帰を支援する「システム」や「患者学」が
必要ではないのかと、瞬時に意気投合しました。

人は出会うべくして出会う。最近、こんなの多いなあ。
石井さんは団体で映画も作られ、年頭から全国上映キャラバンが
少しずつはじまっています。
みなさんもぜひ意識を持ってください。
ちなみにユニークフェイスのHPは、
http://www.uniqueface.org/index.html

苦しんだ人、問題を目のあたりにした人が
コツコツと動くからこそ世の中も動くのですね。
苦しんだ人こそ立ち上がりましょう。意見をいいましょう!
後輩のために、あとからその道を通る人のために!


豪華客船 ジェネシス

2006年03月23日 | 人生のらりくらり
六本木ヒルズの高さを知っていますか? 238メートルだそうです。
ちなみに東京都庁は243メートルです。
どうしてこんなことを書くかというと09年に登場する
世界最大の豪華客船ジェネシスの全長が360メートルだからです。
六本木ヒルズを見た人ならわかると思いますが、
あれの1.5倍の大きさのものが海に浮かぶと思いますか?
重さは、22万トン! もあります。
前号の「軽自動車のキャンピングカー」に続き、乗り物つながりで
この「世界最大の客船」の話をしましょう。

前に務めていた会社で、客船とフェリーガイドムック、
「ぐるりニッポン船旅ガイド」を制作したことがあります。
その取材で商船三井の客船「日本丸」で「グアム・サイパン 
ニューイヤークルーズ」(7泊8日)、「小笠原クルーズ」(4泊5日)
に出かけたことがあります。最近、郵船クルーズの客船「飛鳥」も
新しくなりましたが、それでも日本の客船は2~3万トン規模です。
世界では10数年前までは10万トンクラスが大きいといわれていましたが、
1999年に就航した「ボイジャー・オブ・ザ・シーズ」は14万2,000総トン。
現在、最大は米カーニバルの「クイーンメリー2世」で15万1,400総トン。
さらには、この6月に15万8,000総トンの「フリーダム・オブ・
ザ・シーズ」が就航予定です(「ボイジャー」「フリーダム」の所有は
「ジェネシス」と同じく、ノルウェーの世界最大級の
クルーズ会社RCI=ロイヤル・カリビアン・インターナショナル)。
年々大型化していたとはいえ、22万トンはありえない大きさです。

乗客数は5,400人。これらの人が1カ月の旅をしたとすると、
1日に4人で1本のワインを飲んだとしたら1回のクルーズで
4万500本のワインが必要です。食事時はドレスコードによって、
服を着替えますが、5,400人もいたら美容室だって大変です。
クリーング店も1店ではたらないでしょう。
食事は、都心の大きなレストランでも200席程度ですが、
5,400人がほぼ同時間帯に食事をするとなると、いったいいくつの
レストランが必要なのか。おそらく10以上ないとパニックになる
でしょう。規模によっては20以上あるかもしれませんね。
まさにひとつの街が移動しているようなものです。
総造船費はおよそ1480億円! すごい時代になったもんだよなあ。

軽自動車のキャンピングカー

2006年03月17日 | 最近のアウトドア
2月に千葉の幕張メッセに行く用事があり、そのついでで覗いた
『キャンピングカー&RVショー2006』ですごいクルマを発見しました!
なんと軽自動車ベースのキャンピングカー!
1000万円クラスのキャンピングカーがズラリと並ぶ中で、
我が家では、ひときわ輝いていたのがコイツ、「ラクーン」だった。
カワイイ! 見つけた瞬間、妻と「プッ!」と笑ってしまった。

ベースはマツダのキャリイ。660ccのボディにFRP製の立派なシェルを載せ、
全長370cmながらテーブルとソファーとシンク(流し台&タンク)を完備。
さらにはソファーを広げれば大人2人が寝れる充分なスペース、
運転席の上などに多量の収納スペースを備えています。
小っちゃな子供ならちょっと窮屈だけど4人家族でも充分使える広さです。

実は、僕は、白血病の再発で、下肢麻痺という障害者になってしまって
奇跡の復活をとげて自分でクルマを運転できるようになったけど、
今も障害が残っていて、すっかり運転が下手になってしまった。
だから大きなクルマが欲しいけど、無理なんだなあ。
昔はクルマの雑誌の取材で色んなクルマを乗り回していたのに……。
真剣にダッジバンやシェビーバンの購入を考えた時もあったなあ。
というわけで最近は、必然的に小っちゃなクルマ贔屓なのだが、
我が家には子供がいないので、夫婦2人の旅にはぴったり。
夫婦2人して気に入ってしまった。

このブログでは写真を1枚しか掲載できないので、
中の写真が紹介できないのが残念だけど、内装も見事な出来栄え。
中に入ってみたが、室内は幅1.53m、長さ2.1m、高さ1.67mもあり、
ソファーに座っていると、とても軽自動車とは思えない。
真剣に購入を考えてしまった。HPを紹介しますので、
内装などを自分でチェックしてみて下さい。
HPは、http://www.az-max.co.jp です。

ここ1カ月、このミニミニキャンパーのカタログが
僕の仕事机の正面に貼ってあります。トコトコと走ると
楽しいだろうなあ。見ているだけでニヤニヤしてしまいます。
でも軽自動車でこんなシェルがのっかって、さらに大人2人が
乗ったら走らないだろうなあ。しかも軽のくせに約240万円!
経費で買ってこれを事務所にしちゃおうかなあ。
空想旅行を楽しんでいます。幸せな男です!


江戸のマエストラのように。

2006年03月16日 | 人生のらりくらり
倉本聰さんの富良野風話「この国のアルバム」を読んでいて
面白い一節を見つけた。「マエストラ」というエッセイ。

話は倉本さんが万年筆のモンブラン社から、「モンブラン・
デ・ラ・キュルチュール」という国際文化賞を受賞した話。
副賞として、モンブラン山から採取した黒い石彫りの箱に入った、
ブルーの細かな金細工が施された万年筆をもらったことから、
話ははじまる。そして、今だにヨーロッパにはたくさんマエストラが
いることに感動し、日本の伝統職人の減少に嘆く。 

「七宝、彫金、漆工芸、蒔絵、銀細工、染物、からくり。
明治の初期まで続いていたはずのあれらの職人の業というものは
一体どこへ行ってしまったのか。」
「つくづくこの国が明治以降の文明開化に毒され、或いはもっと後の
近代化、能率化の波にのみこまれて、我々が古来財産としてきた固有の
文化を、無神経かつ乱暴に捨て去って来たということにゾッとする。
豊か、という意味を改めて考える」
「~戦後求めて来た豊かさとは、物質的豊饒への追究であり、精神的
内面的豊かさというものからどんどん遠去かってしまった気がする」
「藤沢周平氏の小説などを読んでいると、江戸の市井の暮らしを支える
底辺の様々な職人たちが出てくる。第九、紙漉き、版彫り師、鏡師、
錺職人、磨師。~大量生産の時代になって、これら身近かにいた
職人たちが消えた。~残っているのは作家と呼ばれる芸術家のみである」

最後の「残っているのは作家と呼ばれる芸術家のみである」という
部分はともかく全体としてはまさにその通りだと思う。
明治以降、果たして僕たちは進化したのか。
ここまで物質的な豊かさが必要だったのだろうか。
人間の豊かさを追究するような文化はもうなくなってしまった。
伝統の業を持つ職人ももうわずかになってしまった。

アレルギーにてんやわんや。

2006年03月15日 | 人生のらりくらり
白血病闘病中のアレルギー症状が出て、この2~3日、
すわっ(この表現ももう使わないよね)再発かとてんやわんやしました。

僕の白血病闘病記「血液型が変わっちゃった!」にも書きましたが、
血小板を輸血すると、ものによってはすごいアレルギー症状が出るもの
があります。輸血後すぐにプツリプツリと発疹が現われはじめ、
数分でそれが全身に広がり、数十分経つとブツブツの上にブツブツができ、
肌が高さが数ミリの凹凸のあるモコモコ状態になります。一気に全身が
モコモコになると見舞いに来てくれた人は恐怖を感じたようです。

骨髄移植から4年、輸血をしなくても疲れてくるとそのブツブツが
出てきていたのですが、半日もすると消えていました。
ところが3日前、朝起きたら前日の腕のブツブツが、
両足の前面に広がっていたのです。

瞬時に再々発⇒また1~2年の長期入院かと、恐怖に震えました。
たまたまその日の昼から病院だったのですが、血液検査の結果が
返ってくるまで、「頼む」「うそだろ」「おいおいおい」と、
やきもきしました。結果は異常なし。
「季節の変わり目で、食べ物とか何かのアレルギーのせいだろう」
といわれました。

ふぅ。いまだにカラダがだるかったり、胸のあたりに鈍痛があると、
再発⇒死の恐怖におびえます。
だからこそ、今はせいいっぱいに生きなければ、意味のある
一瞬一瞬を過ごさねばと思います。
生きているうちに何を残せるか、どこまで自分の可能性に挑戦し、
自分の欲望にふりまわされず、人間として自分の人生を開いていけるか。
異常でも何でもありませんが、僕には、自分の「死」までの時間が
カチカチと音をたてて刻まれているのが聞こえます。
カチ、カチ、カチ……。その一瞬一瞬を勝利する。
あと20年、いや10年、せめて5年は今のまま生かせてくれ!
妻には決していえないけど、ずっとそんな気持ちで過ごしています。
くわばらくわばら。
※今回はてんやわんや、すわっ、やきもき、くわばらなど、
 最近、マイナーになりつつある言葉を使ってみました。

まだまだ成長するぞ。 by 超ポジティブ・シンキング男。

悲しいぞ! 年齢と体力……。

2006年03月13日 | 人生のらりくらり
僕は38歳である。最近、悲しいことがある。
まわりにいる若い人を見て、なんて元気なんだろうと思う。
なんてイキイキしているのだろうと思う。
そりゃ人生まだ見えてなくて夢いっぱいであり、
無防備に自分の可能性は無限大だ! と信じられる若さもある。
しかし、その点では負けてはいない。人生の「粋」も「辛」も
わかりはじめ、それでも前向きに生きようとするポジティブさでは
38歳で受けている大学の授業で知りあう若い人と比べても歴然だ。
当然か。

ところが体力面となるとさっぱり。太刀打ちできない。しようとも思わない。
5年も入院、前後を合わせると7年ぐらいも闘病生活をしていた影響も
あると思うけど、年々、体力が著しく低下しているのだ。
最近、自分が老いはじめたのがよくわかる。

取材や打ちあわせで都内を3カ所も移動するとかなりダウンしてくる。
長い階段なんて登る前から覚悟し、決意しなければ登れない。
昔は「大盛り」なんて聞くとうれしかったが、最近は「大盛り」を
見れば気分が悪くなる。「大盛り」を食べる体力もない。
だいたい朝から仕事していると夕方、眠くて仕方ない。
徹夜仕事はもうやらない。やると3~4日はリズムが狂うし、
徹夜をやったからといって作業が進むわけではない。
きっと生存本能から来る、「もう寝ろ!」という腦からの命令と、
「書かなきゃ締切りに間に合わない」という葛藤で、
脳みその動きの半分はとられてしまう。原稿を書いているどころではない。
肉大好きだった食事もだんだん魚や野菜を選んでしまう。
気がついたら酢の物系のつまみでちびちび酒を飲んでいる。
お酒もすっかり弱くなった。缶ビールなら2~3本で、
日本酒なら2合ぐらいで酔っぱらう。それ以上、飲むと
必ず次の日にひっぱる。3時間以上飲むと2~3日は影響がでる。

なんということだ! わずか10年ぐらい前まで、徹夜を3日ぐらい
続けようが平気で、朝まで飲んでも次の日は出社でき、平然と
仕事をしていたのに……。これが加齢ということか……。
だいたい「若い人」って20代を分けているところがおっさんだ。
髪の毛が薄くなってきたので「ちょいハゲ オヤジ」で売ろうかなと
思ったら、円形脱毛症ができて「円ハゲ オヤジ」になった。
笑いごとではない。長期入院から退院してきた頃は、
体重が50キロぐらいになってスリムな革のかっこいいいパンツを買った。
それから2年と6カ月。ウエストのボタンが閉まらないどころか、
足すら入らず、太もものところでつっかかってしまう。
ウグググ…。最近、20代に対してすごく勝負心を持ち、
挫折感と嫉妬心を持ってしまうのである。
まだ「オヤジ道」の白帯1級ってところか。

「おっちゃん」「おばちゃん」と言われて少し悲しい気分になっているアナタ、
アナタです、そうアナタです! 気持ちをお察しします。
ともに人生を投げ出さず、目の前の現実を受け入れていきましょう。
それを考えると、オリックスの清原や巨人の工藤はあっぱれですなあ。

作家ジョルジュ・サンドのように。12

2006年03月10日 | 作家ジョルジュ・サンドのように。
フランス中西部の温暖なノアンの地で、豊かな自然に囲まれ、
思索と執筆、そして多くの人々を勇気づける励ましの作品と手紙を
発信し続けたサンド。憧れの生活ですよね? 日本で言えば、
八ケ岳でワイナリーを作り、畑を耕し、草を刈る人・玉村豊男さんや
富良野に住み、富良野塾、富良野自然塾を主催する倉本聰さんでしょうか?
いずれにしても心豊かな人たちですよね。

しかし、僕がサンドに惹かれるのはその生活スタイルだけではありません。
サンドの心の中には「自分」と同時に常に「他人」がいたことに惹かれるのです。
幼少期に恵まれず、燃えるような恋愛は派手なようですべて短命に終わります。
常に前を向きて生き、傷つき、それでも生きようとする生身の人間、サンド。
それと同時に、サンドの心の中には、自分が苦労し、悩んだ分、「人」が見え、
常にまわりの「人」も幸せにしていこう、という想いが自然と備わっていたのです。
サンドというと、「派手な恋愛」「田舎生活」みたいな話だけで終わりがちですが、
サンドは「自分のこと」だけでなく、「弱者」を守り、励まし、応援することに
人生の大半を費やした人ともいえます。「人間」をどこまでも信じ、
「自分」のことだけなく、「他人のこと」も同時に考えるサンド。
だからこそ、サンドの作品は意味を持ち、社会の多くの問題にかかわり、
私生活では、多くの芸術家の卵を応援したりしたのでしょう。
こう考えると、ミュッセ、ショパンなどの恋愛のはじまりも理解できます。

また、サンドは、その性格と執筆家という職業柄、目の前で「弱者」に
起こった出来事などを常に2つの視点から考え続けたのではないでしょうか?
ひとつは作家として「人間」のエゴや弱さといった内面を思考する視点。
もうひとつは「物言う執筆家」として、目の前に起こった出来事を広い視野で見て、
社会的に問題があるのかないのかを見抜く視点。サンドは問題に気づくだけでなく、
自分の先頭に立ってそれを改善するために闘う「作家」でもありました。
そこには絶対的に「人間の可能性」を信じ、「他人」のことを「自分」のことと
して捉え、すべてを抱き込みながら、それでも前に進もうという強い意志と
どこまでも深い慈悲があるように思えてなりません。
そんな「闘い」を約半世紀も続けたからこそ、
ジョルジュ・サンドの71年間の歴史は輝き、
200年を経た今の時代でも大きな注目を集めるのでしょう。
サンドは「人」を励ますとともに、不正、不公平、社会悪は
絶対に許さず、闘う人でもありました。

最後にサンドの言葉を紹介しておきましょう。
「心穏やかに生きようとして悪を許容するのは卑怯なのだ!」
「誠実さはすべての上に利益をもたらす!」
「あきらめは、私の性にあいません!」

ジョルジュ・サンドは1876年6月8日がノアンの館で亡くなりました。
享年71歳でした。      ~「ジョルジュ・サンド」完~

 ~連続ブログエッセイ 2月15日「大都会に惑わされて」からはじまった
   全14回の「サンド」シリーズ、いかがだったでしょうか? 
    興味があって調べ始めたものをリアルタイムでブログで書いてみました。
     明日からは通常モードに戻ります~