
昨今の襲撃事件に感じるのは、主犯が標的に近づく際の周到さ。疑われないように普通を装うのが意図的で、凶器を隠し持ち、実行の脳内行程が綿密に感じる。
衝動が原因にあっても、その実行には「普通を装い近づく」までの小芝居まで支度にある。そこに凝ることを厭うていない。
段取りが個人の犯行のうちにも支度がある。演じもし、矢継ぎ早に一振りの後の次なる打撃を目論めてる周到。この妙な冷静というか、虎視眈々っぷり自体が平準化してるみたいで、空恐ろしい。
犯行者が事件ごとに違ってても、手口の周到さ、見破られないように標的に近づくという小芝居に長けてる不穏さ。犯行の完遂に波状攻撃の凶器の入念さ。
こうした心の支度っぷりが妙に怖い。
複数の犯人が、多発的に、任意に、恣意的に、別地域で、個別ターゲットごとに、これらを似通わせる、この通底。
翻せば社会側がこうした構築が要ると思わせもさせる素地がなかったとは言い難くも思えてくる。
その陰湿さと執拗は、犯行者に同じ動機や手順を想起させたわけで、変な表現だけど「時代の要請」のされ方が、似通いさせたってことに思い至ってしまう。
無論犯行は一切許されぬ。されど手口に着想させる一種の巧妙狡猾っぷりには衝動の犯行者より頭脳労働の側面が非常に高い比率で見受ける。その空気感の怖さ。



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