幸福学専門30年 筬島正夫が語る本当の幸せ


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「自由論」J.S.ミル

2007-10-08 | その他



物理学者の、竹内薫先生が、ブログに

「ミルの『自由論』とヴィトゲンシュタインの『青本』を

 読み返している。

 ともにファイヤアーベントの作品や論文に登場する

 キーマンたちだ」

と書いています。

 

8歳にしてラテン語、ユークリッド幾何学、代数学を学び始めた

という、哲学者にして経済学者だった
ジョン・スチュアート・ミル(英)
そのミルの著書「自由論」からの抜粋です☆

 

「ほんとうに重要なのは、ひとがどのような行動を

 とるかだけではない。

 その行動をとる人がどのような人間なのかも重要

 である。

 人が一生を使って完成し、磨き上げていくのが適切な

 もののなかで、何より重要といえるのは、明らかに

 自分自身である」



「いまでは、社会の最上層から最下層まで、すべての人が

 敵意をもった恐ろしい監視のもとで暮らしている。

 個人や家族は、自分の好みは何なのかとは考えない。

 自分の性格と気質に合っているのは何ののか、

 どうすれば自分のうち最高で最善の部分を活かし、

 それが成長し開花するようにできるのだろうかとも

 考えない。

 考えるのは、自分の地位にふさわしいのは何なのか、

 自分と同じ地位、同じ収入の人はふつう、どうしているのか、

 そしてもっと悪い見方だが、自分より地位が高く、収入も

 多い人はふつう、どうしているのか、である。

 各人が自分の好みに合うものより、世の中の慣習になっている

 ものを選ぶといいたいわけではない。

 そうではなく、慣習になっているもの以外には、自分の好みを

 何も思いつけなくなっているのである。

 精神まで、抑圧のくびきに屈伏している。

 娯楽のときですら、真っ先に考えるのは、世の中に合わせること

 である。

 いつも大勢に順応していたいのだ。

 何かを選ぶときでも、ふつうに行われていることのなかからしか、

 選ばない。

 人とは違う趣味や、変わった行動は犯罪と変わらないほど避けようとし、

 いつも自分の本性にしたがわないようにしているので、やがて、

 したがうべき本性をもたなくなる」
 
 

19世紀のことばですが、現代にもなまなましく

せまってくるものがありますね!

以下、「自由論」についてうまうまとめられていましたので、

紹介させてもらいます。


■自由とは人に迷惑をかけないことだと言ったJ.S.ミル

元記事はコチラ
   
 J.S.ミル(Mill 1806-1873 英国人)の『自由論』は
 明治の文明開化の時代に『自由之理』という題で訳されて
 日本でも有名になった本である。

 古い本のようだが中身は新しい。
 なぜなら、彼の議論は民主主義社会がすでに出来上がっている
 ことを前提にした議論であるため、そこまで行っていない
 アジアの人間が読むと、これを論じるのはまだ早いのではと
 思わせるような内容なのだ。

 つまり、自由が圧政からの解放と民主政治確立を意味していた時代は、
 彼にとっては過去のものなのである。
 彼が言う自由とは世論(世間)からの個人の自由である。
 つまり「個人が自分自身だけに関することをどのように
 しようとも自由だ。
 それを回りの人間(世論)はとやかく言う権利はない」という自由である。
 ここに彼は、人に迷惑をかけないかぎりという条件をつける。
 そうであるかぎり世論も官憲も個人の生活に口出しすべきではないと言うのである。
 
 曰く「個人は、他人の迷惑になってはならない」(岩波文庫114頁)
 曰く「個人は、彼の行為が彼自身以外の何人の利害とも無関係である限りは、
 社会に対して責任を負っていない」(同189頁)
 
 なぜ個人の自由が大切かというと、個人の生活に規制を加えるようになると、
 個性が育たなくなり、そうなると天才も生まれなくなり、その社会が発展
 しなくなってしまうからだと彼は言う(第三章)。

 だから例えば、教育を国がするのはよくない。
 国は教育の機会さえ平等に与えていればよい。
 その中身に国は口出しすべきではない。
 そんなことをすれば、誰も彼も同じ教育を受けた金太郎飴のような人間が
 出来上がってしまう。
 そうなると、個人は不幸になるし、国は発展しなくなる。
 
 曰く「個性の自由な発展が、幸福の主要な要素の一つである」(同115頁)
 曰く「賢明な、または高貴な一切の事物の創始は、個人から出て来るものであり、
 また個人から出て来ざるを得ないものなのである」(同134頁)
 曰く「およそ或る人民は、見受けるところ、或る期間は進歩して、
 やがて停止する。
 では、いかなる時に停止するか? その人民が個性を持たなくなるときである」(同143頁)
 
 ところが、世論(世間)というものは自分たちと違うものを認めようとはせず、
 異質なものを排除しようとする。
 強い好みや嗜好や欲求を持っている者を理解せず、普通にしろと口出しをしたがる。
 そして、
 
 曰く「人間性の諸部分のうち特に抜きん出て、その人物の輪郭を平凡な人と
 異なったものとするようなあらゆる部分を、中国の婦人の足のように
 緊縛して不具にしてしまう」(同141頁)
 
 この傾向は特に東洋で強く、そこでは、
 
 曰く「正義と公正とは慣習に一致することを意味している」(同143頁)
 
 このようにミルは個性を非常に重視する。

 言論の自由についても、ミルは一章をあてて、それがいかに大切であるかを
 詳細に論じている(第ニ章)。
 彼が言うには独善に陥らない最善の方法こそ、言論の自由である。
 反論される機会を作っておくことは、自分の考えの正しさを担保する
 唯一の手段であるというのである。
 逆に、言論の自由を奪うことは、自分の意見の正しさを絶対視することに
 つながり、それは結局は自分自身の失敗につながると言う。
 
 曰く「人間は、議論と経験とによって、自分の誤りを正すことが出来る。
 経験のみでは充分ではない。
 経験をいかに解釈すべきかを明らかにするためには、議論がなくては
 ならない」(同44頁)
 
 真理というものは必ず一面的なもので、仮に自分の考えが真理であるとしても、
 それに対する反論の中に自分の意見を補うような真理が必ず含まれていると言う。
 
 曰く「その問題に関して自分の主張を知るに過ぎない人は、
 その問題に関してほとんど知らないのである」(同76頁)
 
 そして反論を受けないようにしてしまった真理は真理としての力を
 失ってしまうと言う。
 
 曰く「その意見がいかに真理であろうとも、もしもそれが充分に、
 また頻繁に、且つ大胆に論議されないならば、それは生きている真理としてでは
 なく、死せる独断として抱懐されるであろう」(同73頁)
 曰く「論争が行われない場合には、意見の根拠が忘却されるだけではなく、
 また実にしばしば意見そのものの意味が忘却される」(同81頁)

 これは宗教について特によく当てはまる。
 その典型はキリストの言葉である。
 彼は例えば、「貧しき者、卑しき者、世に虐げられる者は幸いである」
 とか「もしも人が外套を取るならば、さらに上着をも彼に与えなくてはならない」
 とか「けっして誓ってはならない」などと言い、キリスト教が迫害された昔には、
 これが真実の言葉として意味を持っていた。

 しかし、今のキリスト教徒はこれを真剣に実践しようとする人はいない
 だろうし、これを実行していないと批判する人は嫌われてしまう。
 なぜなら、これらは単なるスローガンになってしまっているからである。

 曰く「キリストのことばは、好感のもてる柔和な言葉に単に耳を傾ける
 ことによってもたらされる快感以上には、ほとんどなんの効果をも生みだす
 ことなく、彼らの精神の中に受動的に併存しているのである」(同87頁)
 
 ここで、ミルはキリスト教道徳を受動的服従の教説であると切り捨てて
 いる(同101頁)。キリスト教は
 
 曰く「積極的であろうとするよりもむしろ消極的であり、能動的であるより
 むしろ受動的である。すなわち、高貴であることよりも、むしろ罪を犯さぬことを
 尊び、精力的に善を追及することよりも、むしろ悪より遠ざかることを尊ぶ」(同101頁)
 曰く「この道徳は、古代人の持っていた道徳の最善のものに比べて、
 はるかに劣っているし、また人間の道徳に対して、本質的に利己的な性格を
 付与しようとしつつあるものといわねばならない」(同101頁)
 
 それは何故かというと、
 
 曰く「キリストの言葉は真理の一部分を含んでいるに過ぎず、
 またその意図で語られていた」(同103頁)
 
 したがって、
 
 曰く「キリスト教の体系は、人間精神の不完全な状態においては真理にとっての
 利益のために意見の多様性を必要とするという規則に対して、何らの例外をなすもの
 ではない」
 
 キリスト教に対してこのような見方が存在するということを知るだけでも、
 この本を読む価値があるというものである。
 
 ここまでに紹介した内容は、第二章と第三章に書いてあることだが、第四章では、
 最初に述べた「個人の自由に対して社会や世論がどの程度に干渉する権利があるか」
 について、具体例をあげて論じている。
 その例としとはモルモン教と禁酒法があげられている。
 
 モルモン教に関しては、ミルはこの宗教をけしからぬもの、野蛮の復活であると
 しつつも、それを弾圧することには反対の立場をとっている。
 その普及を阻止するためには、宣教師を派遣するなど、あくまで正当な手段を
 取るべきだという。なぜなら、
 
 曰く「野蛮が全世界を支配していたときにおいてすら、文明は野蛮に打ち勝った
 のであるから、野蛮がすでに充分に征服された後において、それが復活して
 文明を征服するかもしれないなどと告白するのは、行き過ぎというものであろう。
 己の一旦征服した敵に負けるような文明は、まず第一に、すでに甚だしく
 退廃していて、それの任命した僧侶や教師も、その他のいかなる人物も、
 このような文明を擁護するために立ち上がる能力もなければ、またその労を
 取ろうとする意志もなくなっているに相違ない」(同187頁)
 
 そしてそのような文明の例として一旦自分たちが征服した野蛮人に滅ばされた
 西ローマ帝国をあげている。
 
 ところで、このモルモン教迫害の急先鋒だったのが新聞だったという。
 いつの時代でも新聞は知的であるよりは感情的なものなのである。
 新聞は一見自由を標榜しているようであるが、異端な個人の自由に対する
 最大の脅威としてしばしば機能する。

 曰く「大衆に代わって思想しつつあるのは、新聞紙を通じて時のはずみで
 大衆に呼びかけたり、大衆の名において語っているところの、大衆に酷似している
 人々にほかならない」(同134頁)

 第五章では、個人の自由と社会の介入の二つの原則、つまり
 
 「個人は、彼の行為が彼自身以外の何人の利害とも無関係である限りは、
 社会に対して責任を負っていない」(同189頁)

 という原則と、
 
 「他人の利益を害する行為については、個人に責任があり、また、
 社会がその防衛のためには社会的刑罰または法律的刑罰を必要とする意見である
 場合には、個人はそのいずれかに服さなければならないであろう」(同189頁)
 
 という原則の、二つの原則の境界線上にあることがらについて検討を加えている。
 例えとして、飲酒やギャンブルが検討に対象になっている。
 
 ギャンブルは個人その人にだけ関係している事柄である。
 純粋に個人の責任でやればよいはずだ。
 しかし、ギャンブルにのめり込んで不幸になる人が出て来たり、逆にこの営業に
 よって大儲けする人が出て来る。
 そこで、ギャンブルを禁止したり、ギャンブルの営業を禁止したりする国がある。

 しかし、これらの禁止措置の合法性についてミルは疑問を投げかける。

 個人がギャンブルをすることを禁ずることは個人の自由の侵害であるから、
 禁止してはならない。
 その営業だけを禁止することもおかしい。
 ギャンブルをする本人を許しておきながら、それを助けるものだけを許さない
 というのでは本末転倒だと言うのである。
 (同199頁の「これに対する反論としては」から同200頁の「以上の議論には
 相当強いものがある」までが、営業だけの禁止を擁護する議論である)

 このようにミルはかなり広範囲に個人の自由を認めている。
 
 その他、最後の章では、国の官僚機構が肥大化するとに警告を発してる。
 そうなってしまうと、いかに民主国家であっても、出版言論の自由が確立して
 いても、その自由は名前だけのものとなって国家は衰退すると言っている。
 
 曰く「国内に存在している広大な教養と練達した知能の一切が、厖大な
 官僚群の中に集中し、社会の残りの人々は、何もかもひたすら彼らにだけ
 期待することになるであろう。
 すなわち、一般国民は、自分たちの為さねばならぬ一切の仕事に関して、
 彼らの指導と命令を期待し、能力と野心をもつ者は、自己の立身出世を
 そこに求めるであろう」
 
 こうなると
 
 曰く「官僚群の利益に反するような改革は、けっして実現することは
 出来ないのである」
 
 日本の政治改革も行政改革も困難な所以である。
 以上のように、いろんな点で教えられることの多い書物である。
 一読を勧めたい。

 なお、日本語の訳書については、残念ながらよいのがない。
 現在入手可能なものはここで引用した岩波文庫のものと中央公論の世界の名著の
 ものであるが、どちらも帯に短したすきに長しで、単独で読み切ることができない。



■ジョン・スチュアート・ミルについて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ジョン・スチュアート・ミル
(John Stuart Mill, 1806年5月20日 - 1873年5月8日)
イギリスの哲学者にして経済学者であり、
社会民主主義・自由主義思想に多大な影響を与えた。
ベンサムの唱えた功利主義の擁護者。
晩年は自ら社会主義者を名乗る。

■幼年時代
ジョン・スチュアート・ミルはロンドンにてジェームズ・ミルの
長男として生まれた。
ミルは父親によって教育され、また父親と親交が深かった
ベンサムやフランシス・プレイスにも助言をもらったりした。
その教育法はすさまじく、彼は小さい頃から年中勉強させられ、
父親はミルが同年代の他の子供たちとは遊ばないようにさせた。
父親のジェームズ・ミルはベンサムの思想に共感しており、
また連合主義(associationism)の支持者でもあった。
父親のジェームズはそれらの考えにもとづき、
ミルを優れた知識人として、またベンサムと自分に続く功利主義者
として育て上げようとしたのである。

よって、子供時分のミルは普通では考えられないような業(わざ)を
やってのけた。
彼は、三歳にしてギリシャ語のアルファベットと単語を母国語の英語と
共に教わり、八歳になるまでにアイソポス寓話、クセノポンの『アナバシス』、
ヘロドトスの著作全てを読み、またルキアノス、ディオゲネス・ラエルティオス、
イソクラテス(Isocrates)、プラトンの六編(ミルの自伝を参照)を
理解した。
彼はまた英語で書かれた歴史の本も多く読んでいる。

8歳から13歳にかけてのミルの学習の記録は、彼と同時代に生きた
スコットランドの哲学者であるアレクサンダー・ベイン(Alexander Bain)
によって出版されている。
ベインによると、ミルの自伝は彼が実際にやってのけた学習量を控えめに
述べているという。
8歳の時分にミルはラテン語、ユークリッド幾何学、代数学を学び始め、
父親によって家族内で彼の弟たちの教師役に選ばれた。
彼の読書の大部分はいまだ歴史物が大半を占めていたが、
ミルはまた当時の学校や大学で広く読まれていた全てのラテン語と
ギリシア語の著作を読んでもいた。
ミルはラテン語やギリシア語で作詩することは教(おそわ)らず、
それらの言語での著作の内容を理解するためだけに向けられていて、
10歳の頃には彼はプラトンやデモステネスを難なく読むようになった。
彼が12歳の頃、1818年に父親のジェームズによる著作『インドの歴史』が
刊行され、そのほぼ直後からミルはスコラ論理学を全般的に学び始め、
またそれと同時に、アリストテレスの論理学に関する論文を原語で
読みはじめた。
翌年、彼は政治経済学を始め、アダム・スミスや リカードを父親と
共に学習・研究し、彼らの古典経済学の生産要素の見方を完全に学び取った。


ミルはケンブリッジ大学から研究の場を提供されたがこれを断り、
父と同様に東インド会社に奉職した。
従って、ミルは専門職としての「学者」であったことは一度も無い。

東インド会社の解散後は、ロンドン・ウエストミンスター選挙区選出の
無所属下院議員として1865年から68年まで短期間ながら選出されている。
ミルは当時のリベラリストの代表格として、この時期にアイルランドの
負担軽減を主張し、イギリス下院における最初の婦人参政権論者となっている。
「代議制統治論」では比例代表制、普通選挙制など、はるかに時代の流れに
先駆けた選挙制度改革を主張した。
植民地におけるジャマイカ事件でダーウィンなどとともに反乱側(黒人)を
擁護し、エア総督を弾劾する論陣を張ったのもこの時期である。
もっとも、政治家としてはあまりにも先進的・理想主義的であったために
世の受け入れるところとならず、次の選挙では落選している。
結局、英国で男女の普通選挙が実現したのは1928年のことであった。
なお、ミルはバートランド・ラッセルの名付け親でもある。

ミルはフランスのアヴィニヨンに滞在中に、丹毒(連鎖球菌感染症の一つ)
によって死去した。


■ 政治哲学におけるミル

人が一生をかけてもなし得ないような偉業を様々な分野でやり遂げたミルだが、
その中でもとりわけ彼の名が刻まれているのは政治哲学での貢献であろう。
ミルの著わした『自由論』(1859年)は自由とは何かと問いかけるものに
力強い議論を与える。
ミルは、自由とは個人の発展に必要不可欠なものという前提から議論を進める。
ミルによれば、私たちの精神的、道徳的な機能・能力は筋肉のようなもので、
使わなければ衰えてしまう。
しかし、もしも政府や世論によっていつも「これはできる。あれはできない。」と
言われていたら、人々は自らの心や心の中に持っている判断する力を行使できない。
よって、本当に人間らしくあるためには、個人は彼、彼女自身が自由に考え、
話せる状態(=自由)が必要なのである。
ここで、ミルの功利主義はその提唱者であるベンサムとはたもとを分かつ。
簡単に述べると、ミルの功利主義は、快楽に(ベンサムが唱えた量的なものよりも)
質的な差異をみとめ精神的な快楽に重きを置いた。
それは次のミルの有名な言葉で表されている:
「満足した豚よりも不満足な人間である方が、
 また満足した愚か者よりも不満足なソクラテスである方がよい」(『功利主義』第二章)。

ミルの『自由論』は個人にとって自由とは何か、また社会(国家)が個人に
対して行使する権力の道徳的に正当な限界について述べている。
『自由論』の中でも取り分け有名なものに、彼の提案した「危害の原理」がある。
「危害の原理」とは、人々は彼らの望む行為が他者に危害を加えない限りにおいて、
好きなだけ従事できるように自由であるべきだという原理である。
この思想の支持者はしばしば リバタリアンと呼ばれる。
リバタリアンという言葉が定義するものは広いが、通常は危害を加えない行為は
合法化されるべきだという考え(=「危害の原理」)を含む。
現代において、この「危害の原理」を基盤に幾人かのリバタリアンが合法化される
ことを支持するものとしては売春や現在非合法の薬物も含めた薬物使用がある。


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