「神の沈黙と不在」に絶望 マザーテレサの告白
以下のニュースが問題になってます。。。。
http://www.heiwaboke.com/2007/09/post_1109.html
マザーテレサの遺品から信仰を否定する書簡がザクザク! 西側諸国騒然!!
ノーベル平和賞受賞者であり、ローマ・カトリック教会の修道会
「神の愛の宣教者会」の創設者、マザー・テレサが亡くなって
十年を迎えたが、ここにきてマザー・テレサの生前の
書簡内容が明らかになった。
それによると、コルカタで死に行く貧者の救済に生涯をささげた
マザー・テレサが「神の沈黙と不在」に絶望し、
「孤独な日々」を過ごしていたことが浮き彫りになっている。
「貧者の天使」と呼ばれたマザー・テレサの告白は世界に
大きな衝撃を投げ掛けている。

(写真はTIME 2007年9月号)
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その修道女テレサが亡くなって五日で十年目を迎えたが、
それに先立ち、テレサの生前の書簡内容が明らかになった。
それによると、修道女テレサは
「私はイエスを探すが見いだせず、
イエスの声を求めるが、聞けない」
「自分の中の神は空虚だ」
「神は自分を望んでいない」
といった苦悶を告白し、
「自分は孤独であり、暗闇の中に生きている」
と嘆いている。
「貧者の天使」の告白に衝撃を受けた西側メディアは
「テレサ、信仰への懐疑」などとセンセーショナルな
見出しを付けて報じた。
彼女は生前、その書簡を燃やしてほしいと願っていたが、
どのような経緯からか燃やされず、
このように彼女の内面の声が明らかになったわけだ。
マザー・テレサの告白で彼女の神聖に疑問を投げ掛けることは、
もちろんできない。
しかし、修道女テレサの苦悩が、「神の不在」に関する
現代キリスト教神学の不十分さを痛感させる一方、
結婚と家庭を断念して修道院で神を求める信仰生活が神の願いで
あるか、という問い掛けを内包していることだけは確かだろう。
ソース:http://www.worldtimes.co.jp/w/eu/eu2/kr070918.html
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この記事を読んで、小説家の国木田独歩を思い出しました。
『武蔵野』『春の鳥』などで知られる明治の小説家・国木田独歩は
熱心なクリスチャンでした。
肺病で七転八倒の病床に、かつて洗礼を受けた牧師・植村正久を呼び、
彼は心の煩悶を訴えました。
「あなたは、かつて初めて私の心を開いてくださった人。
今、死を前に、私の心はまた閉ざされてしまった。
どうかもう一度、あなたの鍵で私の心を開いてください」
植村牧師は言います。
「鍵を持っているのは、私ではありません。神です。祈ることです」
「祈れません。私には、祈ることが出来ません」
「祈らずとても助くる神なきや」
独歩は、ベッドの上で泣きました。
キリスト教では、最後まで神に祈れ、といいます。
さすれば神は天国に救い給う、と。
しかし、かの独歩ですら、祈り続けることはできなかったのです。
■ガガーリンの 「地球は青かった」の次の言葉も思い起こされます。
http://homepage3.nifty.com/time-trek/else-net/topics-5-4.html#2005-4-12
ガガーリンが地球一周。神はどこにも居なかった …
1961年4月12日、ユーリ・ガガーリンが人類初の有人ロケットで地球を一周。
有人宇宙船ボストーク1号で地球周回軌道に入り、大気圏外を1時間50分で一周した。
あとで手記に遺している。
「地球は青かった。しかし、どこを見回しても神はいなかった …」
■実存主義の哲学者、キュルケゴールは、最後日記につづった。
「キリスト教はどこにもない」と。