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西洋哲学は2回のパラダイムシフトを経て、東洋哲学に帰結する!?⑫ハイデッガー(2)

2007-06-13 | 科学・哲学
2回目のパラダイム・シフト(「枠組み」「世界観」の大転換)が起こり、

実存主義の大成者ハイデッガーの登場まできました。

さて、これからしばらく、ハイデッガーシリーズが続きます。

ではガンバッていきましょう~(^o^)/

  マルティン・ハイデッガー 
(Martin Heidegger,
 1889年9月26日 - 1976年5月26日)
 ドイツの哲学者。
 現象学の手法を用い、存在論を展開した。
 また、後の実存主義、構造主義、ポスト構造主義などに
 大きな影響を与えた。


ハイデッガーの主著、「存在と時間」

 

「西洋哲学の歴史のなかで最も重要な著作の一つ」と評されます。

さて、ハイデッガーは、人間を「世界=内=存在」(せかいないそんざい)

だと言いました。

人間とは「世界=内=存在」??

いきなり理解しがたい唐突な表現だと思う人もあるかも知れませんが、

「人間は、そういう在り方をしている」とハイデッガーは言うのです。

頭のてっぺんから足のつま先までが人間、という表面的な

意味ではないわけですね。

原文を見てみますと

『人間の「実体」は、心と肉体の総合としての精神ではなくて、実存なのです。』
    (「存在と時間」中巻 p44)

 
(このシリーズでは岩波文庫の桑木務訳で通します)

とあります。単なる、肉体を<ひと>とは定義づけず、「心」も単純な

意味ではありません。

哲学者ですから、哲学的に、そして厳密に人間というものを

定義づけているわけです。

では「世界=内=存在」とは何ぞや?


ハイデッガーの言った「世界=内=存在」とは、

「世界の内に在る、という有り方をしているものが人間だ」ということです。

もっとうがって言えば「世界は人間(私)の構成分の一つだ」ということに

なります。

原文には

『世界は、世界内存在として、現存在の自己存在に属しています。』

 (「存在と時間」中巻 p44)

とあります。


大人のための哲学授業には、次のように書かれてありました。



「現存在の存在」ひらたくいえば「人間の生のありよう」を、ハイデガーは
<世界=内=存在>(イン・デア・ヴェルト・ザイン In-der-Welt-sein)
 と名づけています。
「世界に関わりつつ存在している」くらいの意味です。


「肉体が私」という固定観念を取り払って、心を空しくして、

ハイデッガーの哲学に耳を傾けてみましょう。


「世界=内=存在」といことは、私の身体も、目の前のペンも、部屋も、

家も、景色も、全てひっくるめたものが私だ、ということです!!



まあ、まずは続けて読んでみてください。

すべてをひっくるめて私ということは、どういうことか、説明します。

例えば、自分の家を見る時、その家は、子供時代からの思い出を全てふくめて

「慣れ親しんだ」もの、として見るでしょう。

そういう見え方をしている家というのは、私の世界にだけ、あるわけです。

親、兄弟、といってでも、見え方は違いますよね。ましてや友人が見た場合、

たまたま通りかかった人が、家を見た場合と、その家は、違う形として

うつれているわけです。

その意味で、私の家は、私の世界の一部であり、私という人間の一部、と言える、

ということです。


だから、一人一人が一人一人の世界(仏教でいう業界)を持っている

ということ。

原文では

『世界のなかに溶けこむ、』 p107

とあります。ちょっと難しいですかね(^-^;


「心が世界を生み出す」とも表現されます。

「心が世界を生み出す」という言い方は、私達の心が実体としての机や、

実体としての地球を生み出す、ということではありません。

心が、今までの心の歴史から(仏教でいう業)そういう見え方の世界を生み出す、

ということです。

回りの世界は決して己を離れたものではなく、その成立の由来から、己と深く

かかわっている(なれ親しんでいる)わけです。

これがハイデッガーのいう「世界内存在」なのです!!


ちなみに、これは単なる心理的投影ではありません。

 心理的投影とは、そのときの心理状態によって見え方が変わるということです。

 例えば、切るものを探している時、はさみは切るものとしてうつれます。

 磁石の実験をしているときは、はさみは、鉄としてうつれます。

 強盗に襲われたときは、身を守るものとしてハサミを見るでしょう。

 こういう見え方の違いが心理的投影です。


では、そのように回りの世界の中の色々なものが慣れ親しんで感じられる、とは

どういうことか、とハイデッガーは分析をすすめますが、

いっぺんにやりすぎると大変なので、つづきます!!!

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