夏目漱石の【行人(こうじん)】には、気が狂っていく主人公、一郎が描かれています。
しかし、気が狂っている一郎の方が真実を言い当てているようにも思えます。
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「自分のしていることが自分の目的になっていないほど苦しいことはない」
「人間の不安は科学の発展から来る。
進んで止まることを知らない科学は、かつて我々に止まることを許して
くれたことがない。
徒歩から車(人偏に車)、
車(人偏に車)から馬車、
馬車から汽車、
汽車から自動車、
それから航空船、
それから飛行機と、
どこまで行っても休ませてくれない。
どこまでつれて行かれるか分からない。
実に恐ろしい。」
「流転していくのが我々の運命」
「十年間でも一年間でも、縮めていえば云えば一ヶ月乃至一週間でも、依然
として同じ運命を経過しなければならないから恐ろしい。
君は嘘かと思うかもしれないが、僕の生活の何処をどんな断片に切って見
ても、たといその断片の長さが一時間だろうと、三十分だろうと、それが
きっと同じ運命を経過しつつあるから恐ろしい。
要するに僕は人間全体の不安を、自分一人に集めて、そのまた不安を一刻
一分の短時間に煮つめた恐ろしさを経験している。」
「兄さんは碁を打つのはもとより、何をするのも厭だったのだそうです。
同時に、何かしなくっては居られなかったのだそうです。
この矛盾がすでに兄さんには苦痛なのでした。
兄さんは碁を打ち出せば、きっと碁なんぞ打っていられないという気分
に襲われると予知していたのです。
けれどもまた打たずに居られなくなったのです。
それでやむを得ず盤に向かったのです。
盤に向かうや否やじれったくなったのです。」
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最初の「自分のしていることが自分の目的になっていないほど苦しいことはない」
にすべてがおさまるのではないかと思います。
科学の進歩をはじめとして、みんな一生懸命いろんなことをやっているけれども、
はたしてそれが本当の人生の目的になっているのか?
目的と手段の混同はされやすく、しかもそれは大変な間違いにもつながりかねません。
行人、どこへ行く人か、その「どこ」が大事と思います。
★関連記事 浄土真宗 親鸞会|現代に生きる仏説・本当の人生の目的を知らないから、迷う
ウチのは「こころ」の感想なんですけど、せっかくなんでTBさせていただきました。
行人は読んだ事がないんですけど(というより、「こころ」以外の夏目漱石作品を読んだ事がない)今度読んでみたいと思います
【行人(こうじん)】は、読んだことないです。
ぱんださんの記事を見て、ぜひ読んでみたいと思いました♪
漱石は、本当に深いですね・・・。
ご無理なさらないように!
自分のしていることが自分の目的になっていないことほど苦しいことはない。
名言ですね。
ほんとうにずっと実感しています。
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