幸福学専門30年 筬島正夫が語る本当の幸せ


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唯物論者ぽん太郎さんからの質問

2010-07-19 | 
前に予告しておりましたが、唯物論者のぽん太郎さんから

唯物論についての質問(ものいい?)が届いておりますので

少しずつお答えしたいと思います。

※私は、唯物論に反対の立場です。



関心のない方もあるかとは思いますが、これを機会に

一度、唯物論について考えてみてはいかがでしょうか?



さて、そもそも『唯物論』とはなんぞや?
ポン太郎さんは、次のように定義してますね。


私の考える唯物論の定義は下記のとおりです。

<唯物論の定義>この世界は物質のみよりなる。

(説明)

物質のみが実在です。心は実在ではありません。
心は物質系の働きとしての存在です。
心は存在しますが、実在ではなく働きとしての存在です。
生命は人間も含め全て精密機械に過ぎません。


そうですね、私もほとんどの唯物論者がこのような定義を
していると思います。


「唯一」「物」のみが「ある」という「論」

名づけて「唯物論」

(対義語に、「唯心論」があり、比較して論じられるのが
 「物心二元論」ですから、「物」は「心」に対する言葉
 であることに異論はないかと思います)


「物」だけ、

裏を返せば「心」はない。


ただ、ここで少しややこしい問題があります。

それは、さすがの唯物論者も「感情」は「ある」と
いっていますし「心は存在しますが、実在ではない」
とも論じているからです。

これは別に矛盾ではありません。
ただ、少し混乱しやすい問題です。


ちょっと整理してみましょう。
唯物論者といっても、微妙に考えが違う人もあるので、
今回は、ぽん太郎さんの主張をベースに論じてみたいと
思います。

ぽん太郎さんは、こう説明しています。


>感情も脳の純機械的仕組みから生まれます。
>心は純機械的仕組みより生まれる働きに還元できます。
>心は物質に還元できます。
>(つまり、心は純物質的仕組みのある働きに還元できます)


ちょとまだ難しいと思われる方もあるかもしれません。


そこで、「結局はこういうことだ!」という説明をしますと


 生命は人間も含め全て精密機械に過ぎません。(ぽん太郎)


という一行に収まると思います。


そして、ここが私が一番問題にしたいところなのです。


 生命は人間も含め全て精密機械に過ぎない。(唯物論者)


つまり、唯物論者に言わせると


ペットの猫ちゃんもワンちゃんも、インコも、金魚も、

みんな機械です。

ロボットです。


そして、

人間(お父さんも、お母さんも、お兄さんも、お姉さんも

   弟も、妹も、おじいちゃんも、おばあちゃんも、妻も、

   夫も、恋人も、子供も、孫も、アイドルも、人気歌手も、

   今、窓の外から見える人も、もちろん、あなた自身も)

は全員、機械(ロボット)という論、これが唯物論です。


心と思っているのは、電気信号に過ぎない、という考え方です。


「愛している」という感情も、しょせん、プログラムされたか

なにか分かりませんが、ともかく電気信号的に機械の性質として

変化した「アイシテル」という状態に機械が動いたに過ぎません。

その「アイシテル」という言葉を聞いたとき、条件にかなえば

プログラミングか何かされていて、「嬉しい」という

反応をしたに過ぎません。


つまり、愛情も友情も、喜びも、
脳のこの部分が、こういう数値になりました、
ということにすぎない。
それ以上のものはない、

という論。


これが唯物論。


結局はそういうことなのです、人間が機械だということは。

(逆にいえば、確かに、脳は様々な数値を示すだろうけども、
 その脳の状態が大事なのではなくて、もっと大切な『心』と
 いうものがあって、その心をこそ、大事にすべき、と考える
 のが、このブログで主張するものです)


以前、唯物論について記事を書いたときも、このような
ことを書きました。

唯物論が正しいかどうかを論ずる《前に》、
一体、もし、本当に、この世界が、「物」だけだったら
それはどんな世界なのか、について問題提起しました。
(正しいかどうかの議論はその後にしました)


そして、こう書きました。


「もし真理を探求し、人間を徹底的に調べたところ、

 まことに残念なことに

 まことに悲しいことに

 肉の塊でしかなかった。

 しょせんは機械だったと泣くのならまだ話は分かりますが

 もし、堂々と、

 『私は科学的理論的で知性的な唯物論者でございます、

  えっへん』

 と思っているなら何かおかしくありませんか?」


私の周りにも、ニヒリスト(虚無主義者)の唯物論者はいました。

しょせん、感情も愛情も、電気信号にすぎない、

人間も、ロボットに過ぎないんだと、

あきらめた人生を送っていました。


良い悪いはともかくとして、もし、徹底的に唯物論が正しいと
その人が思ったならば、このような虚無状態になるのが
普通だと思います。

これは、(まことに悲しいですが)筋は通っているのです、一応。


ところが、

「人間は機械!感情も電気信号!」

って、熱いっぱい言う人に会うと(実際にそういう人に何人も

会いましたが)、この人、本当に唯物論がわかっているのだろうか

と思ってしまいます。



さて、ぽん太郎さんのご意見はどうでしょうか?

たくさんコメントいただきましたが、その一つを紹介しましょう。


まず、先に私が以前に書いた文章を引用していました。
それはこの部分です。


「もし人間が機械でしかなく、心(感情も含め)は電気信号でしか

 ないなら

 愛情も電気信号で何らかのプログラミングの一つでしか

 ないわけですね。

 その笑顔も、感謝の言葉もつくられたもの。

 涙流しておわびしているのも全部誰かのシナリオ

 こころから 悪いなんてさらさらおもっちゃいない

 もしすべての人が機械なら

 心からのおわびを期待するのが間違いですね。

 愛情をもとめるのもおかしい。

 そんな心はないのだから。

 あったとしても所詮はつくりものだから。」


はい、この私の主張に対して

ぽん太郎さんは、


>グーグーパンダさんも機械に過ぎませんが、
>謝るとき「こころから 悪いなんてさらさらおもっちゃいない」
>でしょうか?
>グーグーパンダさんに「心からのおわびを期待するのが間違い」
>でしょうか?
>グーグーパンダさんに「愛情をもとめるのもおかしい」
>でしょうか?

>そうではないはずですね?!
>これは唯物論に対するごく初歩的な誤解です。


と言ってこられたのですが、

申し訳ありませんが、これ、さっぱり理屈が分からないのです。
私の読解力不足なのでしょうか。


以下、ぽん太郎さんに対しての私の見解です。


まず最初に

>グーグーパンダさんも機械に過ぎませんが、

という前提で話がいつの間にか進んでいるのですが、
なぜこんな前提で話を進められるのでしょうか?
私は、機械でない!って思いっきり主張しているんですけども。

この前提で始まって

>グーグーパンダさんも機械に過ぎませんが、
>謝るとき「こころから 悪いなんてさらさらおもっちゃいない」
>でしょうか?
>グーグーパンダさんに「心からのおわびを期待するのが間違い」
>でしょうか?
>グーグーパンダさんに「愛情をもとめるのもおかしい」
>でしょうか?

>そうではないはずですね?!

といわれても。

はい、そうではないです。
と、まあ答えますね。
(機械に過ぎない、という主張はスルーして)

私は、お詫びするときは、『心(電気信号レベルではない)』から
お詫びせねばならないと思っていますし、
「愛情(電気信号レベルでない)も求めています」

それは「心がある」からです。

もし「心がない」ならどうか。

どんなに涙ながしてお詫びしてても、
上手に機械が、塩と水を使って、目と呼ばれるところから
水滴を数滴落としているにすぎませんし、
愛情でいえば、仮に「あいしてる」といわれたとしても、
あいつはそういうプログラミングを実行しているに
すぎないし、たとえ俺が「うれしい」と感じたとしても
それは、俺の心が思ってのではなくて、
機械である脳の、ある部分が、そういう数値を示したに
過ぎないのですから、それを嬉しいと思うのは、
余計こっけいです。


ですから、

>機械である、グーグーパンダさんは愛情を求めているでしょう。

>ゆえに

>機械だって、別の機械に対して愛情を求めるのですよ、


といわれても、

「なるほど、すごく理論的だな」

とは思えないのです。
私は、自分のことを機械とは認めていないのですから。


やっぱり、もし人間が機械だとすれば、
その、お詫びも、愛情も、「所詮はつくりもの」なのではないのでしょうか?



申し訳ありませんが、もっと深い意味があるのならば、
もう少し、『初歩的ミス』をしている私に分かりやすく
教えてもらえないでしょうか??



その他にも、いろいろお返事したいのですが、
なかなかややこしい問題でもありますので、
少しずついきたいと思います。


最後に

『唯物論』の問題点、危険なところをあげておきましょう。


 ・生命観の問題
   (人を心のない《モノ》と見るわけですから、命の尊さは感じにくい)

 ・死生観の問題
   (どうせ人はモノだから、死んだら無になる。
    苦しい人生、生きていくよりも、なかったことにしたい、自分の人生
    消してしまいたい、それには死ねばよい、という発想になりやすい)


※唯物論者全員がそうなるとはいいません。
 だからこそ、「感じにくい」「「なりやすい」という表現にしました。
 しかし、そういう危険性が非常に強いといえるでしょう。
 
 ですから、もし唯物論が間違っているとすれば、
 その間違いは正さねばならないでしょう。
 

 百歩ゆずって、もし唯物論が正しいとすれば、それは
 絶望の世界です。

 このことを認識している唯物論者は一体どれだけいるのでしょうか?

 そして、

 「私の人生」「私の幸せ」が抜けて、ただ論ずるために論ずるようでは
 机上の空論になってしまうでしょう。

 

 
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■脳科学者・池谷裕二さんは

 《「心は脳から生まれる」と主張するのは危険です》と言っています。

 茂木健一郎氏は、

 《科学が発達しても人生の目的は分からない》と言っています。

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ジョニーデップの名言(1)「人間の欲望は…」

2010-07-19 | 煩悩
『アリス・イン・ワンダーランド』

『パイレーツ・オブ・カリビアン』

『チャーリーとチョコレート工場』

『ネバーランド』

『シザーハンズ』

などなどの映画に主演し、様々な人気投票で一位を獲得している

ジョニーデップ


そんな彼の名言をシリーズで紹介しましょう☆



「人間の欲望や期待は限りなく大きくなるが、
 それをかなえたからといって
 幸せになれるものではないからね」

             Johnny Depp



人間は、煩悩具足といわれ、煩悩に目鼻つけたような存在。

欲に限りはなく、一つ願いをかなえたとて、

また次なる欲が湧き上がってきます。


なかなか思いどおりにならない世の中ですが、

思いをとげて、欲を満たしても、それが幸せとは限らない。


よくよく『人間』というものを知らないと、

見当違いな努力を続けてしまうことになりそうです。



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