区から米寿の祝いとしてかなり大ぶりな封書が届いた。私の住む区は、隣接する杉並区や世田谷区より、ここのところ税収が増え、かなり豊かになったと聞いている。米寿の祝いで100万円は多すぎるが、せめて10万円か5万円は入っているだろうと、さもしさを剥き出しにして開けてみた。期待が大きく外れ、区長の挨拶文と小学生が描いたお祝いのカードだけだった。
さもしい私が悪いのか、しみったれ区長が悪いのかは知らないが、小学生のカードだけはないだろう。区の経済が苦しかった時代を忘れない区長を褒めるべきか?さもしい私をあざ笑うのが正しいか?
以下は現役の時に通っていたマダガスカルである。通った年月は長く、回数も多かったので、その撮った写真も膨大である。とても全部を掲載するのは無理である。
バオバブの写真を撮りに行ったのではなく、この並木の奥にある森の中にパリサンダーを探しに行ったのである。途中で原始猿が木から木へ飛び移るのを見かけた。全体が白く、顔の一部が黒かった。種類を聞いたが忘れてしまった。現地の案内人が「ラジャコ、ラジャコだ」と叫びながら木の幹を指さした。本来夜行性の原始猿が木から木に飛び移るのを昼間見ることは珍しい。この光景を観た人間には幸運がもたらせると聞いた。此の森のある一帯はモロンダバで、首都のアンタナリブから西へ500キロほど行ったところにある。この地方では猿を「ラジャコ」と呼んでいるが、東の地方では「マキ」と呼んでいる。マダガスカルにはないと云われる方言が多少はあるようだ。また、寒いは一般的に「マガチカ」であるが、東南部では「マガチャカ」と云う。他にもあるようだが、私の語彙ではせいぜい此処までだ。
余談だが、この何年か後にマラリアにかかった。マラリア菌の血中濃度は10%だった。この数値での生存者は非常に少ないと聞いた。昼間に飛翔するラジャコを観た幸運が私を生かしてくれたのかもしれない。
マダガスカルの東の先端のフォート・ドファンのホテル。此処のオーナーが「日本人が来る」と何週間も前に聞き、私が到着する前にアンタナナリブから日の丸の国旗を取り寄せてくれホテルのほぼ中央に建てて私を待っていてくれた。涙が出るほど嬉しかった。此処から山の中に入っていったのだが、二週間ほどして私が戻ってきても日本の国旗はそのままだった。チェックアウトをするときに「このホテルにお泊り頂いた日本の方は貴方様が初めてです。これからもずっとお国の旗は立てておきます」とオーナーが云ってくれた。
首都のアンタナナリブから東南の方向にある「宝石の街」。残念だが、街の名前は忘れてしまった。地方の町の中では非常に豊かそうに見えた。而し、街の中心部から離れた四つ角でうっかり車を停めてしまうと、宝石売りがわんさと押しかけてくる。殆どが偽物と大きくても価値のないものだけだそうだ。実は大儲けしてやろうと考え、その宝石を買おうとして取引先の社長に止められたのだ。
森の入り口にほど近いホテル。この森の中に木目のいいパリサンダーが多くあると聞いてきたのだが、期待外れだった。
マジュンガ(アンタナナリブから南西に約800キロの地点)の森で、国から禁じられている紫檀を樵がうっかり切ってしまった。私のような素人は木の肌を見ただけでは紫檀とパリサンダーの区別はつかない。本職の樵でもたまに間違えるほどだ。この分の料金はいらないからパリサンダーと一緒に受け取ってくれと云われた。
マダガスカル唯一の国際港のトマシナ(タマタベ)からほど近いところにある広大なレストラン。鶏料理が専門で、マダガスカルの中では一番のレストランである。そして味の面でも他の追随を許さない。